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「誰もここまでやれとは言ってない」ぶっとびスポーツライトバンの先駆車・ホンダL700【推し車】

60年代の「ぶっとびスポーツライトバン」

ホンダコレクションホールに展示されている、LM700

1996年のアコードワゴンSiRまで「スポーツワゴン」に馴染みがなかったホンダですが、駆け込むように4輪車へ参入、試行錯誤を重ねた挙げ句に会社を傾けるほどチャレンジングだった1960年代には「スポーツライトバン」と呼べそうなL700がありました。

4輪参入には商用車が必要だと専務(当時)の藤沢 武夫氏に諭された本田 宗一郎が軽トラT360を作ったように、小型車でもオープンスポーツのSシリーズだけでは足場を築けぬとばかりに作って1965年に発売しましたが、これが実に当時のホンダらしい一台。

ピックアップトラック版のP700ともども、S800用エンジンをデチューンしたL800/P800へと発展、1968年までの短命に終わった後もSシリーズの部品取りに使われ残存台数は少ないものの、初期のRVブームまで生き残れば、それなりにウケそうなクルマです。

ライトバンから小型乗用車への参入は正しい…が!

なんとなくアメリカンピックアップ風だが、当時の日本では商用車然に見えるデザインで乗用車としては魅力に欠ける

1960年代、高度経済成長期で右肩上がりだった所得と、トヨタ カローラと日産 サニーの初代モデル登場でコストパフォーマンスとのバランスが取れ、後に「マイカー元年」と呼ばれた1966年まで、小型乗用車は存在しても需要がそう多くはありませんでした。

むしろファミリーカー的な用途で主力だったのは、ライトバンやダブルキャブのトラックなど小型商用車の類で、一番人気はマツダの初代ファミリアバン(1963年)。

平日昼間はガッチリ仕事で使い、それ以外の時間は(サラリーマンなら会社のクルマを使わせてもらって)、通勤や休日の家族サービスへ使う貨客兼用車が求められた時代で、後のワゴンブーム到来までステーションワゴンが貧乏臭いと言われる原因にもなりました。

それゆえ、軽トラT360で軽自動車へ、その排気量拡大版である小型トラックT500や、Sシリーズのスポーツカーで小型車へ参入していたホンダにとって、「次は小型のライトバン」となるのは当たり前です。

ライトバンとはいえ、ホンダ初のファミリーカー

デラックス仕様のLM700なので、2トーンカラーのシートなどシャレた内装となっており、前席はベンチシートのほか、セパレートシートもあった

しかし、「他にそういうエンジンを作っていなかったし」と、軽トラのT360へ平然とDOHC4連キャブの水冷エンジンを載せたホンダですから、ライトバンを作ると言ってもタダゴトでは済みません。

小型車用エンジンと言っても他社のように低中速トルク重視のOHVエンジンなどなく、ホンダ初のナナハン、ドリームCB750FOURが登場する前ですから、T500よりは排気量が大きいだけマシなS600の606ccDOHC4気筒エンジンAS285Eをベースにする以外は無理。

そこでAS285Eを687ccへ拡大、シングルキャブレター化とフラットトルク型へリファインしたAS700Eを作り、フロントにマクファーソンストラット、リアはリーフリジッドサスを組んだS600よりホイールベースが長いシャシーへ搭載しました。

こうして1965年9月に発売されたのがL700で、前項で記したようにファミリーカー的な用途も想定されますから、ベーシックモデルの「LA700」(48.8万円)と、商用登録のままながらステーションワゴン的なデラックス路線の「LM700」(52.5万円)をラインナップ。

同時期の1965年2月には、ワゴン的な用途も考慮したテールゲートつきクローズドボディの「S600クーペ」も発売されてはいましたが、ちゃんと後席があって定員5名のL700は事実上、「ホンダ初のファミリーカー」でした。

オーバースペックで肝心の仕事に使えず、乗用車としても高すぎ

後席のサイドウィンドウは横開き開閉可能だが、アルミサッシのように無骨な枠がデザインとしては今ひとつ

当時のカタログを見ると、「軽自動車をしのぐ最小回転半径4.0m」、「どんな雑踏も駆け抜ける0→400m/22.8秒の加速」、「登坂力21分30秒 どんな坂でもぐんぐん登り切る」と、ライトバンに要求される走行性能の高さをアピールしています。

「120km/hで連続走行OK!」という法定速度を無視した文言はさておき、1963年に名神高速が部分開通して以来、日本全土で建設・開通が相次ぐ高速道路時代への対応も先進的ですが、それよりライトバンとして重要なのは経済性です。

要するに多少動力性能が劣ろうとも、低中速トルクがあって加速重視の変速機を組めばDOHCエンジンなど不要で、安くて整備性に優れ、燃費がいいOHVエンジンでライトバンとしては十分なのに、オーバースペックな「スポーツライトバン」は仕事に不要でした。

スポーツワゴンとして使おうにも高価すぎ、S800用のAS800Eをシングルキャブレター化して搭載、「L800」へと改名した1966年にはデラックス仕様のLM800でも43.8万円と大幅値下げを敢行しますが、同年発売の初代カローラ2ドアセダンが43.2万円です。

それならば、ちゃんと乗用車に見えるカローラやサニーを買おうというのは当然の流れであり、L700/L800は完全に世の流れを見誤った存在でした。

短命に終わり、初代シビックバンまでライトバンからは撤退!

展示説明では48万8,000円とスタンダード仕様LA700の価格が掲載されているものの、上下分割開閉式のテールゲートに貼られたバッジを見ればわかるとおり、展示車はデラックス仕様のLM700である

こうして、誰にも求められない高価で高性能なスポーツライトバンL700/L800はピックアップトラック版のP700/P800を含め1968年をもって生産・販売終了、約3年ほどの短命で終わりました。

もし販売が順調なら、1965年の東京モーターショーで展示したL700ベースの2ドアハードトップセダン「N800」を発売して、マツダやダイハツ同様の「ライトバンからセダンへ」の流れで小型乗用車へ進出する夢も、幻で終わったのです。

それでもライトバンの後継車は「ホンダ1300バン」を開発、1968年の東京モーターショーへ展示しましたが、こちらはセダンの販売不振で煽りを喰らったか、バンを発売しないまま終わり、1974年の初代シビックバンまでホンダのライトバンは復活しませんでした。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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