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「ただの古い車」と思うなかれ!調べるほど頭痛がするダットサン11型とは【推し車】

おっと日産車ではない?純粋な「ダットサン」?

1920~1930年代前半あたりの車ってなんとなくみんな同じに見えて、トヨタ博物館のダットサン11型フェートンもそんな感じ

日産公式WEBサイトの中でも、座間事業所内の所蔵車を中心に日産の歴史を紹介している「日産ヘリテージコレクション」はなかなか面白いのですが、最古のクルマは1933年式の「ダットサン12型フェートン」です。

一方、トヨタ博物館ではもっと古い1932年式の「ダットサン11型フェートン」を展示していますが、このクルマは「ダットサン」には間違いないものの、日産車ではないという、ちょっとヤヤコシイ話になっています。

ダットサンとはいえば、1933年から1986年まで日産の小型車向け、そしてゴーン体制下の2013年には新興国の低価格車向けとして復活したものの全くパッとせず、10年ほどで店じまいしてしまったブランド…おっと、それなら1932年式ダットサンとはなんでしょう?

「日産」と「ダット自動車」に挟まれたダットサン11型

しかしこれがありえないクルマ…500cc規格時代の小型車なのに、下の説明板に書かれている排気量は「722cm3(cc)」

何となく普通に呼んでいるので、「日産はニッサンであり、他の何でもないだろう」と思っている人が多いはずですが、そもそもは戦前の「日産コンツェルン」(鮎川財閥)の持株会社、「日本産業株式会社」が由来です。

まず大正時代に創業した日本史上初の国産車メーカー「快進社」と、東京石川島造船所(現・IHI)の自動車部門など数社が、時間をかけて組織や設備、ブランドを切った貼ったします。

その中には、「ダットサン」という商標(ブランド)で車を作る「ダット自動車製造株式会社」があり、1933年にメーカーとしては石川島系で存続して現在のいすゞになりますが、商標と小型車部門が日産コンツェルン系となったのが、現在の「日産自動車株式会社」。

分割直前の最末期、1932年にダット自動車製造で生産した小型乗用車がダットサン11型なので、トヨタ博物館では「日産車ではなくダット自動車の車」として紹介しています。

ただ、またややこしい話ですが、生産前年の1931年にはダット自動車製造が日産コンツェルンの戸畑鋳物株式会社(現・日立金属)傘下となっているためか、それ以降に生産したダットサン11型を「日産車」と解釈する場合もあるようです。

ありえない?知るほど困惑してしまう、トヨタ博物館の11型

何も知らずに見れば3人乗りのクルマですが、オリジナルの11型は500cc1人乗り小型車のはずで、オカシイのです

戦後に制定され、規格改正による排気量や寸法拡大は数多く行われた軽自動車ですが、戦前には「小型自動車」が同じような役目を持っており、寸法や排気量その他の制約がありつつ、無免許で乗れるというもので、3輪トラックや小型4輪車が数多く作られます。

その根拠となっていたのが戦前に存在した内務省による「自動車取締令」で、1930年改正版における小型自動車の規格は以下のようになっていました。

“寸法(全長×全幅×全高):2.8m×1.2m×1.8m

排気量:500cc以下

乗車定員:1名”

当時のエンジンで発揮できる性能を考えれば、現在ある1人乗りの「ミニカー」規格に近いもので、オートバイと似たような運転席に荷台をつなげたような小型3輪トラック向きでした。

しかし、この規格で乗用車を作ると1人乗りは不便ですし、3輪トラックのユーザーからも排気量拡大を求められたこともあって、1933年の改正で以下のように改められます。

“寸法(全長×全幅×全高):変わらず

排気量:750cc以下

乗車定員:4名”

おお!これで3輪トラックユーザーが喜ぶのはもちろん、小型乗用車としても一気に実用性が向上、日本版の「国民車」を作れそうです。

しかし1932年に生産されたダットサン11型は改正前で、トヨタ博物館に展示してある11型フェートン(オープンカー)も当然…と思いきゃ、運転席の背後に2人乗れる3名乗車仕様で、722ccエンジンが積まれていました。

おっと!これはもしかして「違法改造車」じゃないのか?!戦前にも「車検のたびにエンジン載せ替えがメンドクサイ」とか言っていたのか〜?と喜んでみたり、「こんな車は…ありえないッ!」と泡を吹いて絶叫したりで、知識があるほど困惑が深まります。

答えはトヨタ博物館の「年報」にあった

日産ヘリテージコレクションの12型と違い、左ハンドルなのはなぜでしょう…?

筆者もダットサン11型を紹介した資料をめくっては困惑し、「トヨタ博物館の展示車紹介にも理由はないし、こりゃ適当な事は書けないですぞ…?!」と嫌な汗をかきながら謎の解決に挑みましたが、その謎はトヨタ博物館の2020年版「年報」でアッサリ解けました。

まず1人乗りのはずなのに3人乗りになっている理由を引用すると…

「実は取締令改正に先立ち1932年の前半には2人乗りが、そして後半になると4人乗りまでが運用として暫定的に認められるようになっていたためである。」

トヨタ博物館2020年版「年報」

ガーン…そんな暫定運用、昔の法令集を探しても出てこないわけです。

ここから1932年に約150台生産された11型のうち、後半に生産されたものだとわかりますが、エンジンの排気量が違うのはなんででしょう?

これも上記の年報によれば、エンジン自体は打刻から1938年から1944年まで生産されたダットサン17型用の「ダットサン7型エンジン」とわかり、時期は不明ですが、載せ替えて使われ続けたものらしいです。

戦後も舗装率が低かった日本の道路では、走行中に巻き上げ、内部に入り込んだ砂ボコリで摩耗したエンジンをボーリング(掘削)してオーバーサイズピストンを入れていましたが、戦前も同様なところ、直すより早いと事故車か何かのエンジンをスワップしたのでしょう。

車検もありませんし、ダットサン7型エンジンは戦後も750cc小型車時代のダットサンDBシリーズなどで使われていましたから補修も容易で、使い続けるには便利だったと思われますが、なんとも適当な時代です。

真の「ラスト・ダット」、ダットサン11型

ただそのへんのエンジンを積んだだけかもしれないが、実はオリジナルの11型より大排気量のスワップチューンとは…

謎を解き、落ち着いた頭でトヨタ博物館のダットサン11型を見ると、1人乗りの運転席は左側にオフセット、つまり左ハンドル車で、2人乗りの後席は右側のドアから入って、運転席右側からウォークインする構造です。

日本では昔から左側通行ですし、日産が座間事業所のヘリテージコレクションで所蔵している12型は普通に右ハンドルなので、この11型は輸出車なのか、あるいはもともと1人乗りなので、乗降が便利な左側に運転席を設けただけなのか、「年報」にも記載はありません。

エンジンのスワップチューンでノーマルの11型より楽しく活発に走ったと思いますが、いつ頃まで実働し、どのような経緯でトヨタ博物館へ流れ着いたのでしょうか。

なお、この1932年式ダットサン11型フェートンを、トヨタ博物館が「日産車ではない」としている理由のひとつが、最初の方で解説した「ダット自動車製造から、ダットサンブランドと小型車部門が分離して日産自動車の一部となった」というところです。

戸畑鋳物はブランドだけでなくダットサンの製造・販売権も得ており、それ以前の生産車は快進社が1914年に作った「脱兎(ダット)号」以来のダット車、それ以降は戸畑鋳物自動車部、後の日産自動車が作った「日産車」と、トヨタ博物館は解釈しています。

つまりこのダットサン11型フェートン後期型は、快進社の流れを引き継ぐ純血のダットサンとしては最後に生産された、「ラスト・ダット」。

日産車と思えば日産ではない、750cc以前の小型車と思えばあちこち違うと、まさにゴタゴタした時期の「ダットサン」を象徴するという意味でも、知れば知るほど面白い車です。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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