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「ラダーフレームのスポーツカーってホントにあったの!?」ダットサン フェアレディとダイハツ コンパーノスパイダー【推し車】

重いラダーフレーム構造には、作りやすいというメリットが

ヨタハチ(トヨタスポーツ800)と激しく戦ったホンダのSシリーズも、重いラダーフレーム構造にパワフルなDOHCエンジン+4連CVキャブという、典型的な「重さをパワーで乗り切った」スポーツカーの例(画像はS800)。

スポーツカーといえば、パワフルなエンジン、空力に優れたデザイン、可能な限り軽量化されたボディといったあたりが相場ですが、まだ国産車の開発・生産技術が未熟で、生産数も少なかった1960年代には、あえて重たい構造に甘んじるスポーツカーもありました。

トラックなど商用車と基本的な構造は同じラダーフレームを使い、スポーツカーボディを架装するので重量はかさむもののボディで力を受け止めないため、オープンカーなど開口部の大きいデザインを作りやすく、重たい分はパワフルなエンジンを積めばよいという発想。S500に始まるホンダのSシリーズもその代表格ですが、今回はほかにもう2台、あえて商用車と同じラダーフレームを採用した国産60’sオープンスポーツを紹介しましょう。

初代シルビアも産んだ、ダットサン フェアレディ(1959年)

1,000ccOHVツインキャブ34馬力のS211ダットサン・スポーツ1000から始まったフェアレディもフェアレディ2000では2,000ccSOHCツインキャブ145馬力に達し、猛烈に速いがひどいジャジャ馬だった(画像はSP310フェアレディ1500)

厳密には、1959年から翌年にかけ少数販売された初代S211型が「ダットサン・スポーツ」、1960年に輸出用として左ハンドル車のみ作られた改良型S212/213型が「ダットサン・フェアレデー」で、「フェアレディ」を名乗ったのは1962年の2代目SP310から。

そもそも日産では戦前から小型車ブランド「ダットサン」でフェートン(オープンカー)を販売しており、その流れで戦後も1952年には「ダットサン・スポーツDC-3」を発売、国産車でいち早く市販スポーツカーの復興に携わってきました。

カタチだけ整えたDC-3に対し、S211以降はツインキャブ装着などでパワーアップ志向があり、「Zのつかないフェアレディ」としては最後となるSR311(2リッターOHVツインキャブ145馬力)まで、その流れは続きます。

特徴的なのは、同時期のダットサントラックやブルーバードのラダーフレームの補強・流用でオープンスポーツボディを載せ、サスペンションなどは決してスポーツカー向きではなかったものの、重たい構造をパワフルなエンジンで補った事。

改良で出力が上がるほど快適性や操縦性に難のあるジャジャ馬でしたが、それを補って余りあるパワーで最終型のSR311「フェアレディ2000」など公称最高速は205km/hに達し、ゼロヨン記録に至っては1980年代までそれを上回る国産車がいなかったほどです。

また、別ボディへの変更が容易な構造でしたから、SP311「フェアレディ1600」の時代には、クリスプカットと呼ばれる継ぎ目のない美しいデザインのクローズドボディを載せた姉妹車、初代「シルビア」(SXP311型)も存在しました。

ピックアップトラックからオープンスポーツまで!ダイハツ コンパーノスパイダー(1965年)

700ccと小排気量ながらモノコックボディで軽いパブリカコンバーチブルより170kgも重く、1,000ccツインキャブエンジンを頼りにしたコンパーノスパイダーもラダーフレーム構造のオープンスポーツで、後にグランプリレーサーのP-3へ発展。

戦前からオート3輪の名門だったとはいえ、4輪車への参入はかなり後発、戦後1958年のトラック「ベスタ」が初というダイハツですが、2023年8月現在も軽オープンスポーツの「コペン」(2代目)を販売しているように、オープンスポーツにはかなり熱心なメーカー。

同社初の乗用車となった「コンパーノ」も、1963年の発売当初はライトバン、続いてワゴン、ベルリーナ(セダン)を追加していきましたが、1965年にはオープンスポーツのスパイダーとピックアップトラックを追加します。

こうした幅広いバリエーション展開を可能にしたのは、重量増を受け入れつつ旧態依然なラダーフレーム構造を採用したためで、後に親会社となるトヨタが初代パブリカ(1961年)で先進的かつ軽量なモノコックボディを採用したのとは対照的。

まだ高度経済成長期の前半、現実的な動力性能と実用的な大きさのボディ、ソコソコの価格に抑えた800cc級大衆車といっても、乗用車メーカーとしては後発、商用車メーカーとしての歴史だけが長いダイハツとしては、商用車を重視するのが当然です(※)。

(※この点は同じく戦前からオート3輪の名門だったマツダも同様で、トヨタも初代パブリカ前期型では乗用車として売り込むのにかなり苦戦している。)

そのためライトバンをメインに乗用車もスポーツカーも作る、というスタイルになりましたがさすがに重く、コンパーノスパイダーの車重790kgは、初代パブリカコンバーチブル(1963年)の620kgに対し実に170kgもオーバー!

それを補うため、1,000ccエンジンを搭載してツインキャブでチューンというフェアレディ同様の「重さはパワーで克服」という方向性で、1967年には国産車初の機会式インジェクション(燃料噴射装置)を採用した、「1000GTインジェクション」も発売しました。

コンパーノスパイダーはマカオGPに出場してクラス優勝したほか、日本グランプリにもコンパーノをベースに空力を改めたボディで参戦、全くの別ボディにDOHCエンジンを積む「P-3」へ発展しています。

1967年のトヨタ傘下入りで、ダイハツは1970年をもって軽自動車とトラック以外の独自モデルを一時中断、コンパーノスパイダーに続くオープンモデルも、軽オープンのリーザスパイダー(1991年)を待たねばなりませんでした。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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