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ダッジチャレンジャーとは?歴代車種の性能や燃費について解説

OKマッスル!筋肉は全てを解決する!(モリモリ)

ゴーカイにドーンといってみよー!(2023年3月20日にラスベガスのイベントに参戦したチャレンジャーSRTデーモン170…1025hpというから1039馬力!)

アメリカというのは面白い国で、テスラ車のように最新のBEV(バッテリーの電気だけで走る純電気自動車)で最先端をゆくかと思えば、昔ながらの「筋肉が全てを解決する!」とばかりの大排気量パワフルなマッスルカーも、その過激さを年々増していました。

その代表格のひとつが今や多国籍グループ「ステランティス」の一部門である「ダッジ」ブランドの2ドアクーペ「チャレンジャー」で、筆者の住む東北の片田舎でもたまに見かけては、猛烈な加速とエキゾーストノートでハートをズシン!と揺さぶってくれます。

「やっぱアメ車ってこうだよね〜日本車やヨーロッパ車みたいなアメ車はお呼びじゃなくて、こういうのを右ハンドルで普通に売ってりゃ良かったのに?」と思うのは、どうせ買いもしないクルマ好きの勝手な感想ですが、あながち間違ってないと思います。

どのみち、アメ車なんて日本じゃテスラとジープ以外はよほどの数奇者じゃなければ買いませんし。

もっとも、そんなチャレンジャーもついに2023年モデルで生産終了、あとは4ドアの盟友チャージャーのEV版などが電動マッスルカーの系譜を継いでゆくようですが、ホントですかね?

1969年、流行のポニーカーとして初代チャレンジャー誕生

トランザム(Trans America)レース参戦用ホモロゲーションモデルとして、340キュービックインチ(5.6リッター)V8エンジンに3基の2バレルキャブレターを組んだ1970年型ダッジ チャレンジャーT/A

日本的な感覚では「それのどこがポニーカーなんだ?」と、日本版ポニーカーの初代トヨタ セリカと見比べては唖然としてしまう、元祖アメリカのポニーカーですが、1960年代半ばに初代フォード マスタングが始まりと言われています。

普通の乗用車─と言っても何しろ元気いっぱいな時期のアメ車ですから、その時点で日本から見れば立派に大排気量マッスルカーでしたが─のシャシーへスポーツカー風ボディをかぶせ、「カッコよくて快適性は乗用車並のスポーツスペシャリティ」として売り出したもの。

そのうちパワフルになってスポーツカーとの境目がなくなっていきますが、ともかく登場当初は「気軽にスポーツカーに乗れるぜ!」と人気になり、オイルショックで小型車志向が進むまで好評を博しました。

ダッジ チャレンジャーの初代モデルはまさにその流行に乗っかった「クライスラー版ポニーカー」として開発され、元からあったプリムス バラクーダーの3代目を、「ダッジ」ブランド風のちょいワル系に仕立て直したものだ、と思っておけば、ほぼ間違いありません。

ただし発売直後に厳しい排ガス規制で有名な「マスキー法」(1970年大気浄化法改正法)や、ダットサンZ(フェアレディZ)など輸入小型スポーツカーの台頭でアメリカンサイズのポニーカーは人気を失いつつありました。

さらに第1次オイルショック(1973年)による原油価格高騰の影響もあってか、初代チャレンジャーは1974年で生産を終える比較的短命に終わったモデルだったものの、最初はけっこう売れたもので、「古きよき名車」の一角に収まるくらいの人気はあったようです。

「ダッジ チャレンジャー」の名が高まったのには、北米のど真ん中、コロラド州のデンバーからサンフランシスコまでチャレンジャーの陸送を請け負った男が厳しい制限時間で到着する賭けに乗るという映画「バニシング・ポイント」への登場も影響しています。

威信をかけてチャレンジャーの激走を阻止しようとする警察、どんな障害があろうと突破する男の駆るチャレンジャーは、新車の陸送がそれでいいのか…という話はさておきアメリカ的な自由とマッスルカーを象徴するような姿で、観客を沸かせたのです。

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マフィア梶田×ダッジチャレンジャーSRTヘルキャット「インドア派こそクルマが好きになる」

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それでいいのか、どこかで見たような2代目チャレンジャー

三菱 ギャランΛ(ラムダ)のOEM車、1980年型の2代目ダッジ チャレンジャー

別にチャレンジャーに限った話ではないのですが、1970年代半ばから10年ほどアメ車はかなり深刻な迷走に明け暮れ、良くて何のヘンテツもない、最悪の場合はなんだこりゃというヘンテコなデザインのクルマへ、名車の名を冠して恥じない時期がありました。

1977年のチャレンジャーの2代目は幸か不幸か?何のヘンテツもない部類…というより日本のクルマ好きならおなじみ、ギャランΛ(ラムダ)のOEM車であり、「なんでこれがチャレンジャー?」と首を傾げざるをえませんが、当時のアメリカではよくあった話。

逆に1970年代前半の日本では、大型高級車のラインナップ不足に悩む三菱がクライスラーのヴァリアントやチャージャー(ヴァリアント・チャージャー)を「三菱クライスラーシリーズ」として売っていた(もちろん売れなかった)ので、どっちもどっちではあります。

ともかく三菱製2ドアクーペの品質はわかった、ということなのか、ダッジ コンクエスト(三菱 スタリオン)やダッジ ステルス(同GTO)のOEM供給へつながり、三菱としては大いに助かる話でしたが、ダッジ側では何かメリットはあったのでしょうか?

バイパーもいいけどマッスルカーはこうだよね!3代目

2018年型ダッジ チャレンジャーSRTデーモンは、ドラッグレース用のスタートシステムを標準装備し、市販量産車で初めてウイリーできるクルマだそうで…数年前にこんなモン作っておいて、これからはEVだよワハハ!って…そりゃないよねぇ?

1983年に2代目の販売を終えた後しばらくは使われず、おそらくはクライスラーのダッジ部門オフィスで金庫にでも寝かされていた「チャレンジャー」の車名ですが、寝ているうちに世界はめまぐるしく変わっていきます。

クライスラーは1998年にドイツのダイムラー・ベンツ(当時)と合併してダイムラー・クライスラーになったかと思えば、途端に販売不振になったクライスラー部門に見切りをつけたダイムラーは2007年に合併を解消、翌2008年にはリーマンショックで経営危機。

途方に暮れたところで今度はイタリアのフィアットに救われ2014年からFCA(フィアット・クライスラー)となり、2021年にはさらにフランスのPSA(プジョーシトロエン)と合併して「ステランティス」になって今に至るわけですが。

その中で一番ヤバイ時期、2008年4月に「1970年代の名車よ再び」とばかりに発売されたのが3代目チャレンジャーでした。

フォルクスワーゲンのニュービートル(1998年)以来、「現代の技術で復刻した名車」のブームが来ており、アメリカでも古き良きマッスルカーの復刻が流行って、3代目チャレンジャーもそのひとつだったわけですが。

アメ車はやはりアメ車らしくというか、過激なモデルほど昔ながらの大排気量V8OHVエンジンを搭載し、それを現代の技術でブン回し、さらにスーパーチャージャーまで追加するニンニクアブラマシマシ・チョモランマといったアンバイです。

「R/T」や「SRT」といった過激なバージョン名も、そのうち「ヘルキャット」や「デーモン」など物騒な名前が並ぶようになり、最強バージョンの最高出力は800馬力を軽々と超え、2018年型のSRTデーモンなど、「市販車で初めてウイリーできるクルマ」だそうで。

ほかにフロントタイヤをブレーキロックして、空転するリヤタイヤで猛烈な白煙を上げる「ラインロック」機構など、日本車ではありえない過激な装備が平気で並びます。

一般道の走行でそんなものは使わない、そもそもウイリーなんて必要あるのかなんて野暮な話はお構いなし、「これぞアメリカンマッスルカーだ!」という道をどこまで突っ走るのかと思いましたが、2023年モデルでついに生産終了というのは残念な限りです。

今後はダッジ チャージャーのEV版で「eマッスルカーだ!」とやるらしいですが、EUでは合成燃料なら内燃機関もOKだと言いますし、状況さえ許せば案外アッサリとチャレンジャー復活もありえるのかもしれません。

そりゃ地球温暖化対策も大事ですが、「ダッジ」ブランドまでイーロン・マスクの真似事をしないでも…というのが、クルマ好きの無責任な、しかし正直な気持ちです。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

ダッジの歴史

ダッジ・チャージャーとは

世界一加速が速い車ランキングTOP10

執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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