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【F1レーサーの死亡事故】その原因と事故後に活かされた安全対策とレギュレーション変更
目次
- F1グランプリ レーサーの死亡事故動画
- まだ記憶に新しい:ジュール・ビアンキ 2014年
- 初期のF1に安全対策の重要性を教えてくれた:ビル・ブコビッチ 1955年
- シートベルトがあれば防げた死:ヴォルフガング・トリップス 1961年
- F1死亡事故動画4:ロレンツォ・バンディーニ 1967年
- F1史上最も悲しい事故:ロジャー・ウイリアムソン 1973年
- スターターの不手際が招いた悲劇:ロニー・ピーターソン 1977年
- マーシャルに巻き込まれた:トム・プライス 1977年
- カナダのサーキットに今も:ジル・ヴィルヌーヴ 1982年
- クラッシュテストの重要性を教えてくれた:リカルド・パレッティ 1982年
- 世界の歴史に残る名選手:アイルトン・セナ 1994年
- F1レーサーの死亡事故が私達に思い起こさせるもの
クラッシュテストの重要性を教えてくれた:リカルド・パレッティ 1982年
ジル・ヴィルヌーヴの事故があったベルギーGPからわずか1カ月後の6月13日、カナダGPの決勝スタートで、ポールポジションのピローニのマシンがエンジンストール。後続車は危機一髪でピローニのマシンをかわしていきますが、後方グリッドから加速中のパレッティは視界を前車に遮られており、ピローニのマシンに気付くのが遅れてしまい、高速で追突してしまいました。追突による衝撃は凄まじく、運転席が押しつぶされた格好となり即死状態でした。
映像で印象的なのは、パレッティに追突されたピローニが、パレッティのマシンに駆け寄り、その様子をみて頭を抱え絶望するシーン。リカルド・パレッティは、デビュー2戦目、弱冠23歳にして帰らぬ人となったのです。
立て続けに続いた死亡事故の後に、F1ではクラッシュテストが行われるようになり、これによってマシンの安全性は高まりました。
リカルド・パレッティ 。彼が現代のF1にもたらしたものはマシンの安全性の向上でした。彼のおかげで、F1での死亡事故は大幅に減少したのです。
世界の歴史に残る名選手:アイルトン・セナ 1994年
F1レーサーの死亡事故動画10選のラストは、アイルトン・セナの最後の瞬間です。
3度のワールドチャンピオンであった、彼の死は恐らく、F1史上最も大きな衝撃を人々に与えたのではないでしょうか。
1994年5月1日、イモラで行われたサンマリノGP決勝の7週目、イモラサーキット随一の高速コーナー、タンブレロで、彼の34歳の人生は幕を閉じました。タンブレロ・コーナーに差し掛かったところでコースアウトしたあと、コンクリートバリアに衝突しました。事故後すぐ搬送されましたが、すぐに死亡が確認されました。
事故原因については今も不明な点が多く、謎に包まれています。
しかし、セナの死後に数多くの安全対策が施されたためにF1の安全性は急速に向上し、冒頭で紹介したジュール・ビアンキの事故まで20年間、死亡事故0に保たれたのです。
チャンピオン獲得3回、優勝回数41回、ポールポジション獲得65回という大記録以上に、ファンの心に焼き付いているのは、彼のカリスマ的なドライビングスタイルと、深い人間性でしょう。
セナの死後、タンブレロ・コーナーには、彼をしのんで銅像が建てられ、死後20年以上経った今も、慰問に訪れるファンが絶えません。
F1レーサーの死亡事故が私達に思い起こさせるもの
モータースポーツの最高峰であるF1では、現在めったに死亡事故は起きません。
しかし、その安全性は、たくさんのレーサーの尊い命を犠牲に、向上してきました。
レーサーの死亡事故は、私達に、モータースポーツのもつ危険性だけでなく、その大切な事実も思い起こさせてくれます。
これからのF1グランプリも多くの感動と楽しさを届けてくれるでしょう !
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- MOBY編集部 カー用品チーム