MOBY(モビー)自動車はおもしろい!

MOBY[モビー] > メーカー・車種別 > トヨタ > 戦争時代、トヨタはどんな車を造ってた?木材を多用したKC型トラックとは【推し車】
トヨタ

更新

戦争時代、トヨタはどんな車を造ってた?木材を多用したKC型トラックとは【推し車】

太平洋戦争中期から戦後初期のトヨタ戦時型トラックKC型

直線的なフロントノーズやキャブ、むき出しのラジエーター、ペラペラのフェンダーといかにも戦時型のKC型トラック

現在は大衆車メーカーとして世界最大規模を誇るトヨタですが、戦前の1933年に創業して戦前は大型乗用車とトラックメーカー、そして戦時中は軍需がメインで、自動車も主に軍用のトラックや乗用車、それに特殊な軍用車両を作っていました。

1945年8月15日に終戦を迎えた頃は、前日の空襲で本社工場に大被害を受けたところでしたが、すぐさま民需転換して作れるものは何でも作ります。

もちろん戦後復興に必要なトラック生産にもすぐ動き、同年9月には日本へ進駐したGHQ(連合軍最高司令官総司令部)から許可を得て再開、戦後開発のBM型へ1947年3月に更新するまで作っていたのが、戦時型のKC型トラックです。

戦争のさなかに生まれ、統制経済に組み込まれていったトヨタ

キャブの中を除くと、木製部分の多さがわかる

1931年9月18日に始まった満州事変から、1941年12月からの太平洋戦争を経て1945年8月15日に終戦(ポツダム宣言受諾)、同9月2日に東京湾で降伏文書に調印するまで、若干の小康期間を挟みつつ約14年も戦争を続けていた日本。

トヨタが創業したのはその真っ只中の1933年で、最初はAA型乗用車やG1型トラックから始まり、1936年7月には国防産業の保護と発展を目的とする「自動車製造事業法」の対象メーカーとなって、その後もトラックなどの生産が許されます。

しかし戦時体制が強まる中、1938年4月には国家総動員法で民間の経済活動が制約されるようになり、ガソリンだけでなく鉄くずなど資材面も統制が厳しくなって、1939年1月にはついに全ての民需用乗用車の生産が禁止されます。

それ以降、トヨタも「いつか戦争が終わったら」と民需用自動車の研究試作は続けますが、生産面では完全に軍需産業へと転換、4輪駆動水陸両用車「スキ車」や、戦後にランドクルーザーの礎となる日本版ジープAK10などを開発しつつ、トラックを生産しました。

日本では世界を相手に戦争するにはあまりに貧乏で資源も少ない国でしたから、いくら兵器を生産しても足りない激戦が続く中でトラックも資材割当が厳しくなる一方、生産の継続、増強は求められ、今まで通りの生産継続が厳しくなっていきます。

鋼材使用を極限まで切り詰めた「KC型」トラック誕生

いかにも簡素なKC型だが、戦争末期のモデルはヘッドライトが中央1灯だけだったので、これはまだマシな形

中国との戦争が、ついには世界中との戦争に発展した太平洋戦争勃発以降、トヨタが1942年3月以降に生産したのは商工省からの要請で積載量を増大した4トン積みトラックの「KB型」でした。

しかし、さらに使用する鋼材の節約を求める戦時型トラックの規格が1943年7月に決定、それに基づき、KB型に対して約3割、260~300kgほども鋼材を節約した「KC型」を開発、1943年11月に生産開始します。

KB型に対し、全体的に流線型で角は丸みを帯びていたキャビンやボンネットは素っ気ない角型へ、同じく丸い滑らかなフェンダーも一枚板を曲げたように簡素となり、キャブ(キャビン)も各メーカー共通の統制規格型荷台も、枠以外は無塗装木製の安普請です。

さらに資材節約を目的に、駆動系もミッションからリアデフまでプロペラシャフトを覆い結合するトルクチューブから、単純なホチキスドライブへと変更するなど、キャブや荷台を含まない単純なシャシー重量はKB型の1,865kgに対し、KC型は1,680kgと軽量化。

さすがにエンジンは同じで、B型78馬力でしたから、シャシーだけでなくキャブや荷台も簡素な木製で軽くなった分だけ動力性能や燃費は良かったと思いますが、耐久性に難があったと思われます。

他にもラジエーターへ使う銅も不足したため鉄板で代用、左右2灯だったヘッドライトも中央1灯に減らされるなど、戦争が終わる頃にはさらに貧相な姿になっていました。

終戦と戦時規格の撤廃

床面まで木製の荷台では耐久性がなかったはずだが、補修も容易なのでよしとされたのだろう

1945年8月15日の玉音放送(ポツダム宣言受諾)で実質的に太平洋戦争、および第2次世界大戦は終結、トヨタも翌日からは「戦後復興からの再出発」を宣言し、8月17日にはKC型トラックの生産を再開しますが、資材を節約する戦時規格ではなく標準規格とします。

トヨタ博物館に展示されているKC型は、1945年生産と説明され、キャブや荷台が木製のままとはいえ、ヘッドライトが左右2灯のため、「標準規格」に戻った終戦以降に生産されたものかもしれません。

その後の生産は進駐軍の介入による軍需産業の操業禁止や民需に限った再開許可、動員された従業員の大量退職や、戦時中に配給会社へ再編されていた販売網の復活など苦戦続きでしたが、KC型の生産は1947年4月に後継の「BM型」が登場するまで続けられました。

トラックシャシーにバスのボディを架装したKC型もあり、高槻市営バスの「個性的なバス」などで、往時の姿が紹介されています。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

【推し車シリーズ】まとめて読みたい人はコチラ!

メーカー別●●な車3選はコチラ

スポーツカーを中心にまとめた3選はコチラ

「ちょいワルオヤジに乗ってほしい車」などの特集はコチラ

<悲劇>流行った下ネタと同じ名前だった車も…名前で損してそうなホンダ車たち【推し車】

「GT-Rの集大成」日産がGT-R 2024年モデル発表!R34風にデザイン刷新

執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

\ この記事が役に立ったらシェアしよう /

MOBYをフォローして最新記事を受け取ろう

すべての画像を見る

画像ギャラリー

コメント

利用規約

関連する記事

関連キーワード