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《21世紀が走り出した瞬間に、ほとんど誰も気付けなかった》初代プリウス【推し車】
25年前には画期的すぎて、拒否感も強かった初代プリウス
「世界的にEVなど自動車の電動化が進む中、トヨタをはじめとする日本メーカーは出遅れている」という話もありますが、そもそもモーターで走る量産車について、近代でもっとも長く多数の知見を持つのはトヨタです。
エンジンを積んだハイブリッド車であり、純電動のEVとは違うと考える人もいますが、「モーターと走行用バッテリーをどう使えば効率的で環境にいいのか」という一点において、両者に根本的な違いはありません。
1997年の初代プリウス発売は、トヨタがまだその役割や可能性を残している内燃機関との協調で、電動車のメリットや限界へ挑む長い道のりの始まりでした。
そしてそれは、21世紀のちょっと早い幕開けでもあったのですが、当時はそんなことなど全く考えておらず、「なんか変なクルマが出たな」と、なんともノンキな時代だったものです。
ガソリン格安時代に歓迎されなかったエコカー
「21世紀に間に合いました」というキャッチコピーのCMや、「世界初の実用量販ハイブリッドカー」という事実は確かにインパクトの強いものでしたが、だからといって一夜で世界が変わったわけではありません。
何しろ、初代プリウスが発売された1997年の日本におけるレギュラーガソリン平均価格は107円/Lと値下がりしている真っ只中、ピークの1999年には99円/Lまで下がり、筆者が実際に見た一番の低価格は、茨城県日立市における79円/L、宮城県仙台市でも80円/Lくらい。
2022年12月現在の全国平均は160.9円/Lですから、今より格段にガソリンが安く、そこへ「ものすごい低燃費のクルマが発売されました!」と言っても、「安くて助かる」というより、「給油しなくても長く走れる」くらいにしか思わなかったものです。
筆者が当時乗っていたトヨタ コロナExivで燃費は10km/L走れば上等、むしろ良好な部類で、会社の後輩が安いジープ・チェロキーを買って「2km/Lしか走りません」と言っても、ただの笑い話。
そんな時代ですから、いくら戦略価格で安く抑えたとはいっても、1.5Lの4ドアセダンが215万円からというのはあまりに高価で、同じ1.5LでFF、ATのセダンならコルサで118万円、カローラでも121.2万円から買えたのに、なんで200万円以上も…となるわけです。
物価が違うとはいえ、今と比べてそんなに給料が低いわけでもなく、何もかもが安かった平成ヒトケタ時代において、初代プリウスとは「新しいモノ好きが乗るエコカー」であり、「燃費の差額でモトを取るのに廃車まで間に合わない」とまで言われる始末。
地元のタクシー会社が初代プリウスを導入すると新聞ネタになるほどで、今でいえばFCV(燃料電池車)くらい、「奇特なクルマ」だったのです。
評論家は笑い、富裕層がセカンドカーとして買った
当時のエピソードでよく覚えているのは、現在の自動車評論家の1人で、当時はまだ花形レーサーだった某氏が、あるラジオ番組でプリウスの開発者とトークするという企画です。
プリウスの意義を語りたい開発者を抑えるように、某氏の方は「これをあえてローダウンしてフルエアロ組んで、爆音マフラーつけたらカッコイイですよね!」と、終始そんな感じ。
しかしそれは暴言というより、ハッキリ言えば当時の日本国民、みんなそんなものでした。
何しろ筆者からして、東京オートサロンで初めて2代目のプリウスやインサイトを出展するブースが現れた頃、「足回りやエアロだけじゃなく、エンジンとかマフラーとかやらないんですか?」と聞いていたくらいで、低燃費の素晴らしさなんてわかってません。
従って、話題にはなったもののプリウスの販売実績は芳しくなく、富裕層が住む高級住宅地でメルセデス・ベンツのEクラスやSクラスの隣でセカンドカーの軽自動車みたいな扱いで止まっていたり、アメリカでもハリウッドスターがハマーH1と並べていました。
要するに大排気量で豪華な高級車に乗るユーザーが、「ウチは環境問題にも関心があるんザマス!」と言い訳するためのクルマに近く、本気でハイブリッドカーが主流の未来が来るとしても、「まあ21世紀になればそのうちね」くらい。
たまに走っているのを見かけても、モーターアシスト全開で高速道路を超高速巡航していたりで、現在のように「信号が青になったらモーターでゆっくり発進して、なるべくガソリンを使わず巡航速度へ載せる」なんてやっていません。
もちろん周りでは誰も乗っていなかったので、筆者が初めてプリウスに乗ったのも、21世紀に入って2代目20プリウスが初でした。
むしろ4ドアセダンとしてのパッケージに注目
エコカーとしては「そりゃ新しいかもしれないけど、高いよ!」と相手にされなかった初代プリウスですが、ほぼ唯一と言っていいくらい高い評価を受けたのは、4ドアセダンとしてのパッケージでした。
1997年当時、4ドアセダンはRVブームの影響で既に売れ筋を大きく外れたカテゴリーとなっており、ブームに乗り遅れ気味で国内シェアの沈滞がひどかったトヨタは「セダン・イノベーション」を提唱。
5代目ビスタ(1998年)や9代目マークII(2000年)ではルーフの高さを上げ、キャビンスペースを稼ぐという一種の「悪あがき」を試みていましたが、どうも広く大きくなったキャビンがコブのように目立ち、全体のバランスがよくありません。
しかし、振り返ってみると初代プリウスはカローラより短い全長で同等以上の車内空間を稼ぎ、2代目以降の5ドアファストバックセダンほどのワンモーションフォルムではなかったものの、デザインのバランスも優れていました。
特に2000年にマイナーチェンジされた後期型は、前期型ほど外観の安っぽいコストダウン感が薄まったことや、ガソリン価格が下げ止まったこともあり、少しずつ世の関心を引くようになっていったのです。
プリウスが本格的にヒットするのは3代目(2009年)から、トヨタのハイブリッドシステムTHSが普通のクルマへ当たり前に搭載され、「むしろハイブリッドが普通になる」のは2010年代に入ってから。
しかし、そこへ行き着くのはトヨタが地道な努力でプリウスはじめ、THS搭載車の継続と普及に努めたからで、それがなければ今のように、「ヘタなEVより環境にやさしいヤリスハイブリッド」や水素エンジンなどで、EV化へ抗うこともできなかったでしょう。
ただ、筆者が25年前にタイムスリップして、当時の自分へ「これが四半世紀後には普通どころか、EVが当たり前に走ってるんですゾ?!」などと説教してもピンとこなくて、「うざいオヤジ扱い」されるんだろうな、と思います。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...