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「1990年代WRC日本車黄金期」の元祖として先陣を切り、2年連続2冠を成し遂げた歴代最強マシン!2代目トヨタ セリカGT-FOUR【推し車】

日本車初のWRCダブルタイトル獲得

ワイドボディ化と各部のチューニングにより、原型とは異なる迫力があったGT-FOUR RCベースのグループAラリーマシンは、WRCで大活躍した

ワイドボディ化されたST185H型が、「GT-FOUR A」というグレード名からグループAホモロゲーション車両のようにも思えますが、この場合のAは「グループA」ではなく「アドバンスド」の意で、あくまでGT-FOURの3ナンバー版。

これをベースに1991年9月、本格的なグループAホモロゲーションモデルとして全世界5,000台(国内1,800台)の限定発売になったのが「セリカ GT-FOUR RC(ラリー・コンペディション)」です。

これは真のWRC用エボリューションマシンで、グループAマシンとしての基本性能を引き上げるべく、ターボチャージャーはコンプレッサーの入口径を拡大するとともに、耐久性に優れたメタルタービン化などで235馬力に出力向上。

エンジン本体もWRCでの過酷な使用に耐えるべくバルブ周りの冷却性能を上げる加工などが施され、インタークーラーは上置きのままながら水冷化、ボンネットは単純なインテークが開いたものから、エアインテーク&エアアウトレットつきの複雑な形状になりました。

このGT-FOUR RCをベースに1992年から参戦したWRCでは、同年にカルロス・サインツがドライバーズタイトルを獲得すると、翌1993年にはワークスが撤退し、プライベーター参戦となったランチア デルアに代わりフォードワークスのエスコートRSコスワースと激闘!

最終的にはランチアから移籍したユハ・カンクネンのドライバーズタイトルと、マニュファクチャラーズ(メーカー)タイトルのダブルタイトルを獲得しました。

翌1994年も後継機ST205型(3代目セリカGT-FOUR)の開発遅れから、WRCの大半を戦ったST185H型2代目セリカGT-FOURは、ディディエ・オリオールのドライバーズ&マニュファクチャラーズを獲得、2連連続2冠を達成する原動力となっています。

3代目ST205型は大きく重くなって苦戦したことや、スバル インプレッサWRX、三菱 ランサーエボリューションの台頭に埋没したため、2代目ST185H型セリカGT-FOUR RCこそが、「WRC日本車黄金期の元祖であり、歴代モデル最強」と言えるでしょう。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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