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《逆襲のスズキ》“GMの低価格車”から“世界のプレミアム・コンパクトメーカー”へ……2代目スイフト【推し車】
目次
「軽自動車、低価格車のスズキ」からの転換点
クルマ好きの間では「安くて速い昔ながらのホットハッチ」として定評あるスイフトスポーツの印象が強いものの、スズキ スイフトの本質はもちろん実用的な小型大衆車。
しかし初代と2代目以降では「日本だと名前は同じだけれど、メカニズム的にもコンセプト的にも全く異なる別車」というほどの違いがあります。
特に2代目スイフトはスズキがGMグループの低価格車部門から離脱するにあたり、思い切り力を入れただけあって、日本で定着していた「スズキは軽自動車メーカー」というイメージを完全に覆す大きな役割を果たしたのです。
静岡県浜松市の「スズキ歴史館」で2代目スイフトが他のクルマと比べ、特別扱いのような形で展示されているのも当然のことでしょう。
GMグループの低価格車部門としての下積みが長かったスズキ
戦後にホンダの成功を見て、「バタバタ」とも呼ばれる自転車用補助エンジンから始まり、1954年にコレダCOで2輪へ参入、翌1955年には軽自動車の初代スズライトで4輪にも参入したスズキ。
小型車の販売実績を得るためのフロンテ800(1965年)を除けば、1970年代まで一貫して軽自動車メーカーであり、1974年にホンダが軽トラを除く軽自動車から撤退してからは、「軽自動車No.1」としての印象が強いメーカーでした。
一方で、大ヒットした初代アルト(1979年)に感銘を受け、グループ内への取り込みを図ったGMからの以来で低価格小型車カルタス(1983年)を開発。
GMグループから求められたのは、アルトと同じように「徹底的に簡素化した安価で低燃費の、それでいてちゃんと走るクルマ」で、シボレーなどGMグループのバッジをつけて世界中でヒットとなりますが、母国日本やヨーロッパでの評判は芳しくありません。
「やはり軽自動車止まりのメーカーなんだな」と言われても困るスズキは、渋るGMを説き伏せて初代カルタスへビッグマイナーチェンジ級の大改良を施し、続く2代目カルタス(1988年)では価格の割に高品質・高性能という評価を得るのに成功します。
GMとしても、キチンと計算して必要な部分にはコストをかけるスズキの手法を認めましたが、GMの庇護下でスズキが得た経験は大きく、この下積み時代が後に小型車メーカーとしてのスズキを形作るのに、大きな役割を果たしました。
「GMの低価格車」から逃れられなかった、初代スイフト
ただし、スズキのやり方を認めたとはいえ、GMにとってのスズキは依然として「低価格小型車部門」に過ぎず、2000年に発売した初代スイフトは新規格軽自動車のプラットフォームを拡大し、軽SUVのkeiからサイドバネルやドアを拝借した、安普請なクルマです。
シボレーのバッジをつけたシボレー クルーズや、ワゴンRがベースのワゴンR+/シボレーMWともども、「軽自動車はいいんだけど、スズキの小型車はただ安いだけ」という印象を強めるばかりで、正直その頃のスズキ小型車のブランドイメージは最悪でした。
JWRC(ジュニア世界ラリー選手権)でイグニス・スーパー1600(※)が活躍したといっても2戦級のイメージでしたし、全日本ダートトライアル選手権でC車両(ナンバーなし改造車)のスイフト・スーパー1600が圧倒的強さを誇っても、しょせんマイナー競技です。
(※海外では「スイフト」を名乗っていたカルタスがまだ一部の国で生産中だった事もあり、初代スイフトの海外名は「イグニス」だった)
初代スイフトにも「スイフトスポーツ」は設定され、エコカー時代としては115馬力でそこそこパワフルな1.5リッターDOHCエンジン、クロスレシオの5MTはそれなりだったものの、「もっとエンジンが気持ちよく回ればいいのに」と渋い評価も受けました。
総じて初代スイフトは、「GMに作らされた、安かろう悪かろうの代表格」から脱することができなかったのです。
GMグループからの脱却で魅せた「スズキの本気」
しかし、2000年頃からのGMは流行を完全に読み誤り、パワフルな大排気量大型車やピックアップトラックに固執して、サターンのような新世代小型車や、スズキも供給していた「ジオ」ブランドの低価格小型車の扱いを縮小した結果、深刻な経営不振に陥りました。
これをスズキではむしろ好機と捉えたようで、2008年にGMグループから完全離脱(資本提携の解消)するのに先立って、「もはやGMのためではない、スズキ自身のための小型車」となる世界戦略車の開発を独自に開始。
GMグループの低価格ブランドで販売するのを考慮せずとも良いので、軽自動車ベースではないプラットフォームを新たに開発、エンジンこそ既存のM型1.3/1.5リッターでしたがハンドリングが劇的に向上し、デザインや内外装のクオリティも大幅に高めました。
もはやGMからの横槍を気にすることもなく、「スズキの本気」を存分に込めた力作、2代目スイフトは2004年11月に発売されるや絶賛され、「しょせんスズキの小型車なんてこの程度」というイメージを完全に覆します。
さらに日本だけでなくハンガリー、インド、中国で同時に生産を立ち上げて世界中へ供給すると、スズキのブランドイメージは大いに高まりました。
ハンドリングとエンジンで定番車になったスイフトスポーツ
さらに2005年9月に2代目スイフトスポーツが発売されると、排気量が100cc上がって1.6リッターのM16Aエンジンになっただけではなく、初代では難があった高回転までの気持ち良い吹け上がりはスペック(125馬力)以上のパフォーマンス向上と大絶賛。
それより秀逸だったのは、当時のベストハンドリングマシンと手放しで褒められたハンドリング性能で、当時流行の兆しがあった「テンゴ」こと1.5リッターのスポーツハッチバック(ヴィッツRSやフィットRS、コルト1.5c、デミオスポルトなど)を駆逐します。
JWRCでも引き続き活躍したほか、国内でもダートトライアルだけでなくラリーやジムカーナで幅広く活躍、1990年代黄金期のテンロクスポークのようにリッター100馬力の高性能はなかったものの、エンジンの吹け上がりとハンドリングだけで定番車となりました。
何よりも素晴らしかったのは、ベース車も含め「高品質なプレミアムコンパクトでありながら、安価で提供」するのに成功したスズキのコスト計算技術。
これに勢いを得たスズキは、ソリオなどハイト系ワゴンでも同様の戦略を展開、立派な小型車メーカーとしてシェアを拡大していき、現在はトヨタにもその実力を認められ、トヨタ陣営の一員として世界戦略の一翼を担うようになりました。
もし2代目スイフトがなければ、現在のスズキはあったかどうか…それくらい「歴史の転換点」となった、偉大なクルマなのです。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...