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GTとピュアスポーツ、二兎を追ったマツダの力作・サバンナ 2代目FC3S型RX-7【推し車】
SA22CからFC3Dへ至るまでの「ちょっとした寄り道」
1978年発売の初代SA22Cから、2002年に生産を終えた3代目FR3Sまで3代続いたマツダが自他ともに認めるロータリー・ピュアスポーツの「RX-7」。
ただし、同じようにピュアスポーツとして今も代を重ねる同社のロードスターが一貫したコンセプトを受け継いで変わらないのと異なり、RX-7は良くも悪くも代替わりのたびに変化してきた乗り物でもありました。
もちろん、リトラクタブルヘッドライト、フロントミッドシップ、ガラスハッチを持つ3ドアファストバッククーペのFRロータリースポーツという意味では変わりませんが、それ以外ではブレが見られ、2代目FC3Sではそれがもっとも顕著なカタチで現れたと思います。
それはあくまで「ピュアスポーツ」でありながら、何となく「GT」的な要素も持ってしまったというところで、1980年代後半の日本車としては幸運にもマッチしましたが、RX-7の決定版!とはいかずに3代目FD3Sではよりピュアスポーツ化。
あるいはそんな回り道もまた、FC3Sの面白さと言えるのかもしれません。
マツダミュージアムに展示されているのもFC3Sならぬカブリオレ版「FC3C」で、今回はその画像を交えつつFCの特徴を振り返っていきましょう。
相反する目標、二兎を追ってしまった2代目RX-7
2代目FC3S型RX-7の開発が始まったのは、初代SA22Cが発売された1978年3月から1年半後と言いますから1979年半ば、まだイラン革命による第2次オイルショックの影響でガソリン代が再び高騰する前で、SA22Cが好調なセールスを記録していた時期です。
“そこで2代目に求められたのは、初代の築き上げた名声を高めつつ、さらに純粋なスポーツカーとして進化を遂げることだった。”
マツダ公式「マツダの名車たち RX-7 第2章:開発の軌跡 FC/13B Rotary [1985~91]」
初代と同じく2代目でも大ヒットさせるべく進化させよう、そのためには遅いスピードでも興奮するような面白さが得られるような、「心地よい緊張感が必要だ」とされます。
しかしその一方で、初代では面白いもののクセがあった唐突な挙動変化を落ち着かせるべく、「積極的に操縦安定性を高めよう」という目標もありました。
これはよい意味に解釈すれば「操縦安定性を高めることで積極的に攻めた走りができるので、低速域からでも緊張感を持った走りによる面白さを極められる」とも受け取れますが、一歩間違えれば高めた安定性がドライバーの期待とは異なる動きにつながります。
実際、FC3S発売当時に試乗したインプレッションの復刻などを読んでいると、「アクセルONでのアンダー傾向」が共通して目につき、積極的な姿勢変化がなかなか難しかったようです。
そこからのリカバリーは容易だと言っても熟練ドライバーの話で、SA22Cから乗り換えたり、技術的に未熟な一般ユーザーは戸惑う場面が多かったかもしれません。
トーコントロールハブの功罪
その原因となっていたのは「トーコントロールハブ」と呼ばれる、一種のナチュラル4WS機構で、SA22Cから大幅に変更されてセミトレーリング独立懸架となったリアサスペンションへ、安定性をもたらす仕組みでした。
ポルシェが928で採用した「バイザッハアクスル」を参考に、本来のセミトレーリング式ではリアサスへ横方向の力が加わった時にトーアウトとなって不安定になるところ、意図的にトーインへ変化させる構造。
これでコーナリング中にアクセルOFFによるタックイン誘発や、高速走行中の車線変更を安定化させる効果を見込みましたが、高速巡航を主用途とするGTカーならともかく、軽快な旋回性能も求められるピュアスポーツ向けとは言えません。
幸い、FC3Sがデビューした1985年は「プラザ合意」と呼ばれる国際的な円高ドル安体制の確立で、日本から輸出する自動車の高価格化、それに応じた高品質化が求められた時期です。
トーコントロールハブは安定性の高いGTカーとしての付加価値をRX-7に与えるのに役立ったと思われますが、一方でスポーツカーとしてはリアを積極的に動かそうとすると違和感が生じる構造でもありました。
そのため改良を重ねるごとにトーコントロール量を減らし、2シーターの限定モデル「アンフィニ」ではトーインにならないようにして、3代目FC3Sへのモデルチェンジではついに廃止されてしまいます。
似たようなナチュラル4WS機構を持つスポーツモデルと同様、FC3Sでも「トーコンキャンセラー」でトーコントロールをキャンセルするのが定番チューンとなってしまい、それがFC3Sで最大の「寄り道」でした。
FC3C「カブリオレ」設定などユニークでもあった2代目RX-7
トーコントロールハブでの回り道、インタークーラーの上置き配置とボンネットインテークによって、何となく「ロータリースポーツらしからぬ高さに見えるボンネットで、似てると言われたポルシェ944に一層近くなってしまう」など、RX-7としてはブレが目立つ2代目。
しかしトーコントロールハブの改善(というより無力化に近い)、初期の185馬力から最終的には215馬力へと出力向上もあって魅力を高め、3代目FD3Sへのつなぎ役を果たすだけでなく、漫画「頭文字D」での活躍もあってドリフトを中心に人気モデルとなりました。
もうひとつ面白いのがヴァンケルロータリー搭載車としては「ヴァンケルスパイダー」に続く2台目、マツダのロータリー車としては初、そして唯一のオープンモデル、「RX-7カブリオレ」の設定で、型式はベース車のFC3Sと異なる「FC3C」。
マツダのロータリーエンジン車発売、つまりコスモスポーツ発売からの20周年記念車として1987年8月に登場したもので、電動ソフトトップによって開閉は楽チン!
SMC(シート・モールディング・コンパウンド)という樹脂成型を用いたルーフパネルが脱着式になっており、装着時はクローズド状態で幌のバタつきを抑える効果があったほか、外した時は「ルーフレス」というタルガトップ形態にもできました。
つまりクローズド、タルガトップ、フルオープンと3形態にできたわけで、ソフトトップのオープンカーなのにタルガトップも可能というのは珍しいかもしれません。
このユニークなFC3C「RX-7カブリオレ」は3代目FD3Sへのモデルチェンジ後も1992年12月まで販売されました。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...