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マツダが誇る最高で最後のロータリーFR“ピュア”スポーツ!黄と白はアニメファンからも熱視線…|マツダ 3代目RX-7(FD3S)【推し車】

さまざまな案から選ばれたフロントミッド・FRスポーツ

初代SA22C以来のフロントミッドシップ・コンセプトを突き詰めた、「RX-7の究極系」がFD3Sだ ©MOBY

ただ、FD3Sの企画・開発時点では、1989年にデビューするMX-5ミアータ/ユーノス ロードスターの開発も並行して進んでおり、「FRのスポーツカーを2台同時に販売するのはいかがなものか」という意見も、当然ありました。

日産のスカイラインやシルビアのように、セダンなどの派生車があるわけでも、旧型車のコンポーネントを流用するわけでもない、スポーツカー専用車を2台同時に販売するのは、マツダのような企業規模でいかがなものか…。

しかし、1980年代後半は、2024年6月現在とは逆に、急激な円高進行で海外で日本車の価格が急上昇、価格に見合った価値が求められていた時代でもあり、RX-7はラグジュアリー性も併せ持つ高級スポーツカーとして並立可能と見込まれます。

いわばロードスターと高級ラグジュアリー・ロータリークーペのコスモの中間的なモデルという位置づけで、中でも戦闘力では最強モデルとなるのがFD3S型RX-7の使命です。

そのためにはもちろんコスモと同じ3ローターの「20B」搭載も検討されますが、環境意識が高まる中では贅沢とされ、2ローターの13BでもNA、ターボ双方が検討された結果、13Bハイパワーターボの軽量ピュアスポーツに決定。

それならとリアミッドシップも考えられましたが、最終的には初代SA22C、2代目FC3Sと同様の、エンジン本体がコンパクトというロータリーの長所を最大限活かした、前後重量配分を限りなく50:50とする、フロントミッドシップFRスポーツに落ち着いたのです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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