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ユーノスコスモ

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「“エコなSUV”がフラッグシップのままでよいのか」かつて、マツダの頂点には確かな“エゴ”があった…マツダ ユーノス コスモ【推し車】

新ブランド「ユーノス」のフラッグシップとして

ペルソナ(1988年)などでマツダは内装に凝りまくっており、ユーノス コスモはインテリア面でも「マツダが到達したひとつの頂点」と言えるだろう

時代は流れて1980年代後半のバブル時代、「今がトヨタに追いつくチャンス!」と販売力の急速拡大を図り、後に失敗で終わる5チャンネル体制(マツダ/アンフィニ/ユーノス/オートザム/オートラマ)を始動したマツダ。

単に販売系列を増やすだけではなく、それぞれ別ブランド(※)で独自車種を展開するという、海外ではよくある方式を取り入れ、中でも最初に立ち上がったのが、1989年の初代ロードスター」発売と同時に設立された「ユーノス」です。

(※オートラマだけが「フォード」で、他はそれぞれのチャンネル名をそのままブランド名とした)

4代目へとモデルチェンジしたコスモは、新たにユーノス店のフラッグシップモデルとして「ユーノス コスモ」となって1990年4月に発売、3代目にあった4ドア車は廃止されて2ドアの高級ラグジュアリークーペへと一新されました。

当時だとトヨタの2代目「ソアラ」がハイソカー路線の高級クーペとして人気でしたし、日産も2代目「レパード」でそれを追い、三菱からも「GTO」が登場、翌年にはスバルも「アルシオーネSVX」を発売するなど、当時はこの種のクルマを出すのが流行っていた頃。

マツダとしても、マツダオートから1991年に改称する「アンフィニ」で扱うRX-7とは別に、ラグジュアリーなフラッグシップ系ロータリークーペを開発し、ヨーロッパ調の雰囲気あふれる車種揃いのユーノスで、イメージリーダーに据えようとしたわけです。

正式なフラッグシップとしては、高級セダンの「アマティ1000」を発売予定だったとも言われていますが、同車が幻に終わったため、コスモはユーノスブランドの、そしてマツダ全体のフラッグシップとして走り続けました。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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