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ホンダが右ハンドルJEEPを販売してた?日本車メーカーが販売していた輸入車たち【推し車】
クルマに限った話ではありませんが、「おたくでアレ売ってないんだ?ふーん、じゃあ何でも売ってるとこで買うわ」でお客に逃げられるのは結構悔しいもので、指名買いなんてなさそうなOEM車のラインナップがどこでも充実しているのは、そのせいです。
それでもバッジエンジニアリング(エンブレム変更)で自社ブランドと独自車名で売るならまだオリジナリティがある方で、中には自社ブランド化することもなく、そのまま売っているケースもあります。
今回はその代表的な3台を紹介しましょう。
ヒュンダイ エクセル(三菱 ヒュンダイXL・1988年)
表計算しそうな名前で中身はミラージュの韓国車
1988年のソウルオリンピックを前に、韓国No.1メーカーを自称しつつもフラッグシップセダンの自社開発ができないのに頭を抱えていた当時のヒュンダイ(現在は日本でもヒョンデと呼称変更)が、三菱と提携してデボネアVを初代グレンジャーとして販売。
その返礼というか、三菱側でも一応提携相手のヒュンダイでグレンジャーが売れ、自分たちでは絶対に回収できないデボネアVの開発コストも何とかなったという事情もあってか、ヒュンダイ エクセルを「ヒュンダイXL」名で150台、カープラザ店で販売しました。
メカニズムは2代目ミラージュそのものだったので、ミラージュ販売会社であるカープラザ店での販売に問題はなかったようですが、ジウジアーロに依頼したデザインは別物だったので、どことなくエクセルの方がヨーロピアンでカッコイイように見えなくもありません。
オペル・オメガA(いすゞ・1989年)
マイナーメーカー系ディーラーによるマイナー車販売 by GMグループ
現在は大西洋をまたいだ欧米巨大自動車メーカーグループ、ステランティスの一員となって生き延びているオペルですが、戦前から長いことGMグループに属しており、日本でも戦前は日本GMが、戦後は別な輸入代理店が細々と輸入販売していた程度。
ヨーロッパではそこそこメジャーなメーカーでしたが日本では無名に近く、同じGMグループだったいすゞが、カデットCをベースに初代ジェミニを作らせてもらえた事で、知られていたくらいです。
そうした縁もあってか、大型セダンのセネター、小型セダンのベクトラともども、ミドルクラスセダンのオメガもいすゞで販売していた時期がありました。
なんとなく始まり、なんとなく終わったいすゞによるオペル車販売ですが(1993年にヤナセへ意向)、もし古いオメガを見つけたら、もしかするとそれはどこかのいすゞディーラーで売られたクルマかもしれません。
ジープ チェロキー(ホンダ・右ハンドル仕様・1993年)
RVがないからと、アメ車初の本格右ハンドル車を引き受けた
1980年代からの貿易摩擦解消に努力したのは日本ばかりではなく、クライスラーも郵便用など限定された用途でしか必要なかった右ハンドルのジープ チェロキーを、日本で販売するため本格的に開発しました。
一方、当時の日本はRVブーム、国産車メーカーはどこも独自のSUVを売るのに忙しく、やる気の無いスバルを除けば、「RVを売りたいのに作ってない」のはホンダくらい。
そこでいすゞやローバーからOEM供給を受ける傍ら、せっかく右ハンドル車ができたならとチェロキーの輸入販売にも手を上げ、ホンダエンブレムもつけずにそのまま売ったら、意外やそれなりに売れたと言われています。
もっとも、当時のホンダは小型車ばかりでディーラーのリフトなど設備面でも難があり、全てのディーラーでチェロキーを扱えたわけではありませんが、その後ミニバンやSUVばかり売るようになるなど、当時は思いもよらなかったでしょう。
- 最新「ジープ・チェロキー」中古車情報
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本日の在庫数 168台 平均価格 197万円 支払総額 55~410万円
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...