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海外では大人気!…日本では「川越ベンツ」と大不振?初代ホンダ プレリュード【推し車】
国内販売不振の原因だったデザインも、今ならカッコイイ?
FFなのに思い切り低いボンネット、スーパーカーのようなリトラクタブルライトでキメ、デートカーとして大人気だった…ホンダ プレリュードといえばそういうイメージの強いクルマですが、それはあくまで全盛期、2代目と3代目の話です。
1978年に発売された初代プレリュードもFF車とは思えないロングノーズ・ショートデッキで、大人向けのシブいクーペとして発売されましたが、少々古くなって元気がないと言われた時代のホンダデザインが不評の元で、少なくとも国内販売はうまくいきませんでした。
もっとも、デザインの流行は繰り返すもので、今見ると何周か回ってかえってカッコいいとも思えるのですが。
久々のホンダクーペ、降臨
ホンダのクーペといえば、1960年代のS600/S800クーペに始まり、1970年代には軽スペシャリティクーペのZ(初代)はダイナミックな曲線の使い方でボディサイズの小ささを感じさせず、ホンダ1300クーペもなかなかシャレたデザインでした。
ただし最後のホンダ1300クーペは、重すぎた空冷エンジンによるフロントヘビーと、未熟成の足回りによってアンダーステアや急激な挙動変化に悩まされた初期型セダンのイメージを引きずり、改善されて以降も販売不振。
水冷エンジン化したホンダ145クーペも基本デザインは1300のままだったため、水冷化で軽くなったフロントでバランス改善された操縦性もロクに評価されず、初代シビック(1972年発売)を生産強化するため、短期間で生産終了しました。
それからしばらくは「シビックと軽トラ屋」になっていたホンダですが、初代シビックの大ヒットで経営を立て直し、初代アコード(1976年)でシビックより上級車種を求めるユーザーの期待に応えると、スポーティイメージの強い新型車、プレリュードを開発します。
当時、乗用車ベースのスペシャリティカーではなく、専用プラットフォームのFFクーペは珍しいものでしたが、1300クーペ、145クーペでの経験を活かして走りの面では自信があり、ホンダのイメージ自体もシビックとアコードで好転。
あともうひと押し、この新型車を活かせる何かがあれば…というタイミングで、ホンダの国内販売力強化が決まり、初代プレリュードはその目玉車種となりました。
初代プレリュードと「ベルノ店」
軽トラT360やSシリーズ、N360の頃までは街のバイク屋に毛が生えた程度で、N360の大ヒット時には押し寄せるユーザーをさばくのに一苦労だったホンダの販売店ですが、1970年代に初代シビックが大ヒット、さらに初代アコードも加わると問題が再燃します。
1960年代から1990年代はじめまでの日本では、特に問題のある車種でもなければ、車種数を増やすほど販売台数増加に貢献するものでしたが、販売チャンネル(系列)が1つだけだと、全く毛色が異なる車種を扱い、多様なユーザーへ対応するのは困難です。
そこで、ある程度の販売台数に達すれば販売チャンネルを増やし、それぞれの店のカラーに合った車種と、それを求めるユーザーへの対応に絞り込んでいくものでしたから、ホンダも新販売チャンネル、「ベルノ店」を1978年11月に設立します。
従来からの「ホンダ店」(後にプリモ店、クリオ店へ分離独立)と違い、スポーティな商品ラインナップを担当するベルノ店に新型スポーティクーペのプレリュードはマッチしており、ベルノ店設立と同時に、その目玉車種となりました。
「集中ターゲットメーター」が面白い、大人のクーペ
当時の同クラスクーペといえば、トヨタ セリカや三菱 コルトギャランGTOといったスペシャリティクーペがパワフルなエンジンと迫力あるアメリカンルックスで若者向けに攻めたコンセプトだったのに対し、プレリュードは大人向け高級ラグジュアリー路線。
90馬力の1,750cc直4CVCCエンジンは決してハイパワーとは言えなかったものの、890~915kg程度と軽量なため動力性能に不満はなく、四輪ストラット独立懸架サスペンションはしっかり最適化されて、狙い通りにハンドリングも高い評価を受けます。
装備面でも初代アコードから導入したパワステやビルトインエアコン、パワーウィンドーといった豪華装備を揃えて最上級グレードのXEへフル装備、日本初の電動サンルーフは「E」グレードを除く全車表旬装備という力の入れようです。
面白かったのはスピードメーターを外側、タコメーターを内側に配置した「集中ターゲットメーター」と呼ばれる同軸メーターで、視線移動も少なく的確な情報を一度に見られる…という売り文句ほど視認性も使い勝手も良くなかったようですが、ユニークな試みでした。
MT車なら、その時のギアに応じて回転数と速度を覚えておき、的確なタイミングでシフトチェンジするのに役立ちそうですが、疑似CVT的な動作をする当時のホンダ独自AT、「ホンダマチック」車だと速度と回転数の関連性を読み取り難かったかもしれません。
なお、スピードメーターは黒地の文字盤にオレンジ指針、タコメーターは灰色地にグリーン指針で、明度差によりスピードメーターを優先識別するようになっています。
アメリカでの成功と、日本での誤算
その気になれば軽快にヒラヒラ走るも、普段はユッタリとした走りを信条として、主要市場のアメリカではこれが大いにウケて大成功。
しかし日本では、走りこそ評価されたものの、初代シビックからの延長線上にあったデザインが古臭くなってきており、ヨーロピアン調でまとめてはみたものの、高い評価を得られません。
“自動車評論家から「川越ベンツ」と冷やかされ、お客さんからは「ホンダらしくない」と言われていた。”(岩倉 信弥 氏「千字薬 第91話 差し戻し」)という始末で、シビックやアコードの上級路線が歓迎されたアメリカと異なり、日本では若さが求められたようです。
初期に搭載したCVCCエンジンも期待されたスポーツクーペとしては役不足で、1980年の改良では酸化触媒を使うなど改良して95馬力へパワーアップしたCVCC-IIエンジンへ換装。
さらに1981年10月、最後のマイナーチェンジではフロントブレーキをソリッドディスクからベンチレーテッドディスクへ、リアブレーキをドラムからソリッドディスクとして、四輪ディスクブレーキ化した最上級グレード「XXR」を設定。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...