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「世界よ、これがトヨタだ」日本式・質実剛健が大ヒット!ランドクルーザー20系【推し車】

海外で信頼を勝ち取った、初のトヨタ車

トヨタ博物館へ展示されている、1957年生産のFJ25L型ランドクルーザー(型式末尾のLは左ハンドル)

「信頼性が高く頑丈で、よく走るクルマ」とは、よく聞く日本車の評価として定番ですが、今も昔もその筆頭格、それどころか「どこへ行っても必ず帰ってくるクルマ」として名高いのがトヨタ ランドクルーザー、通称「ランクル」です。

そもそもは軍用として1951年に開発、実際には警察など公的機関で採用された初代を経て、初めて一般向け販売を意図した2代目「20系」が1955年に発売。

トヨタが輸出を本格化させた頃に当たったため、初期のクラウンやコロナが海外で求められる性能不足で相次ぎ脱落する中、信頼性と悪路走破性一本槍で勝負して次第に評判になるなど、トヨタの海外販売はランクルに支えられた時期もありました。

今回は、トヨタ博物館で展示されているショートホイールベース・左ハンドル仕様のFJ25L型ランクルの画像を交えつつ、当時のランクルやトヨタの輸出事情などを振り返ります。

トヨタ ジープからランドクルーザー20系へ

フロントグリルやヘッドランプ周りのデザインを除き、既に名車40ランクルへ続くデザインが完成されている

太平洋戦争中のトヨタでは、いつか平和になった時のため乗用車の試作は続けつつ、本業はトラックやバスシャシー、そして軍用車両の開発・生産であり、ジープのコピー版AK10(四式小型貨物車)など4輪駆動車も手掛けていました。

戦後は復興に必要なトラックや、不足していた公用車を補う乗用車などの生産で軍需が途切れるかに見えましたが、進駐軍の車両修理などで結局は軍需も続き、戦勝国アメリカの車両技術、特に軍用車両のそれに触れる機会は多かったようです。

1950年に朝鮮戦争が勃発、進駐軍が「国連軍」として朝鮮半島へ出兵した後、ほとんどカラになった日本の国土防衛および治安維持を担当する「警察予備隊」(現在の陸上自衛隊)向けの国産車両が求められた時、トヨタが手を上げたのは当然の流れでした。

採用試験では日産の4W60(後の初代パトロール)ともども、三菱がアメリカのウイリス・オーバーランド社から生産ライセンスを得ていた「ジープ」に破れますが、ならばと国家地方警察(現在の警察庁と各道府県警)に売り込んで採用。

これが初代「ランドクルーザー」で、SB型トラックをベースに軍用4輪駆動車へ仕立て、型式は数字もなく、B型エンジン(後のディーゼルではなく、ガソリンエンジンの初代B型)を搭載するジープ(Jeep)の意味で「BJ」型。

初期には「トヨタ ジープ」を名乗りましたが、警察予備隊からの不採用でジープの商標が使えなくなると「トヨタ BJ」に改めて一般販売も開始、さらに1954年6月にはクラウンより古く、現在まで続くトヨタ最古の車名「トヨタ ランドクルーザー」へ改名します。

あくまで最初は警察向け、後に消防も含む公的機関や、土建業向けにも販路を広げたランドクルーザーが初のモデルチェンジを迎え、「20系」となったのは1955年11月でした。

無骨な軍用スタイルから、柔らかな民間スタイルへ

幌キャビンの後部には進行方向と直角に対面式4人乗りの後席があり、幌のショートボディのほか、メタルトップやロンゴボディなど、さまざまなバリエーションも既にあった

モデルチェンジした20系ランクルは、警察予備隊向けで軍用一点張りだった初代BJと異なり最初から民間向けに広く販売する目的で開発されたため、実用性・生産性オンリーのデザインから曲線を多用したデザインとなりました。

エンジンルームの外へ後付の形だったヘッドランプは大型の丸目2灯式となって、幅広くなったフロントマスクのグリル両端へ配置され、丸みを帯びたボンネットと合わせ、既にランクルを世界的名車へ引き上げた40系へつながるデザインがほぼ完成しています。

フェンダーやテールデザインも丸みを帯びたものになって、当時としては十分モダンなデザインとなり、現存車をレジャー向けやリフトアップでカスタマイズしても似合いそうです。

ただし当時の基準で作られた内装だけは鉄板むき出し、快適性よりは「無事に目的地へたどり着き、補修も容易」が重点な事には変わらないので、現実的には既存のランドクルーザープラドなどを20系風デザインへカスタマイズするのが一番でしょう。

実際、トヨタ車体ではランクル系各車へ40系のボディを載せるなどのカスタムメニューが東京オートサロンで披露されましたし、20系があってもよさそうです。

なお、20系ランクルの仕様はショートホイールベースでシングルキャビンに荷台を組み合わせたピックアップや、横向き対面4人乗り後席の幌またはメタルキャビンを持つベーシックモデルが「FJ25」。

積載性を重視したテールゲートつきのFJ21、セミロングボディのFJ28V、ロングボディのFJ28VA、ロングホイールベースで快適性を高めたFJ35Vなど。

型式最初の「F」は3.9リッターのF型搭載車を表しますが、初代と同じ3.4リッターのB型エンジンを積むBJ25やBJ21もありました。

ベーシックモデルのFJ/BJ25がホイールベース2,285mmなのに対し、セミロング/ロングボディのFJ28V/FJ28VAでは2,430mm、ホイールベースをさらに伸ばしたFJ35Vでは2,650mm。

25/28系が現在のランドクルーザー70やランドクルーザープラドの元祖なら、FJ35Vは現在のランドクルーザー300の元祖と言えるでしょう。

海外市場でトヨタを支えたランドクルーザー

より洗練されて40系ランクルへ移行する前だが、ガッチリとたくましく、頼もしそうな姿や、舗装路で高速走行を要求されない用途がランドクルーザーを、そしてトヨタを救った

戦前には中国大陸を中心に輸出し、戦後も輸出制限の緩和で1949年から輸出が再開されると、沖縄(1972年に日本へ変換されるまでアメリカの統治下にあった)、台湾、タイ、ブラジル、そして1955年からは中近東への輸出も再開されます。

さらに自動車大国アメリカへも進出しようと1957年に米国トヨタ販売会社を設立、翌1958年には初代クラウンの試験的輸出が始まったものの、何しろ当時の日本には高速道路もマトモな舗装路のサーキットもありません。

1956年に完成した1周2kmのテストコース、あるいはオートレース場などで十分な高速試験ができるはずもなく、アメリカに持ち込まれた初代クラウンはフリーウェイでオーバーヒートなどトラブル頻発し、マトモに走れないのが判明しました。

当時のアメリカの新聞には、旭日旗のような朝日を背景に勇躍登場したクラウンが、フリーウェイの入り口を前にスゴスゴと帰っていく風刺漫画が掲載されるなど、現在では信じがたい、しかし当時では当たり前の笑い物となります。

それでも必死の改良で何とか克服し、2代目コロナも「ティアラ」の名で輸出しますが、その頃にはアメリカのメーカーも、ヨーロッパの小型車(相変わらず日本車は眼中になかった)へ対抗すべくシボレー コルヴェアなど小型車を投入すると、もう勝負になりません。

仕方なく、1960年にはクラウンもティアラもアメリカへの輸出を停止したトヨタですが、唯一ユーザーからの信頼を勝ち得て輸出を継続したのが、ランドクルーザーでした。

1960年には20系の後継、名車として知られる40系ランクルへモデルチェンジしていますが、そこまでの対米輸出を支え、トヨタを踏みとどまらせたのは20系の軍用上がりらしいタフな信頼性と悪路走破性だったのです。

これはアメリカに限った話ではなく、1957年に4,116台と前年の880台から大きく伸びた輸出実績のうち半分以上を占め、1961年以降倍増して軌道に乗るまでの輸出はランドクルーザーが頼みの綱でした。

まだ国内での自動車販売がトラックやバス、タクシー以外見込めなかった時代、トヨタが躍進するには輸出しかないという状況の中、大きな役割を果たしたランドクルーザーは、「信頼性が高く頑丈な日本車」という評判にもつながっていったのです。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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