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「どうせ外車に勝てない…」自信喪失していた日本車を牽引したトヨタクラウンRS型【推し車】

「クラウン」が誕生した意味とは

トヨタ博物館に展示されている、初代トヨペット クラウンRS型

戦後初の本格的な国産乗用車であり、トヨタが日本の、そして世界のNo.1メーカーとなる大きな一歩を築いたと言われる初代クラウン、トヨペット・クラウンRS型ですが、実際はその発売前から国産乗用車は存在しました。

初代クラウンはそうした「クラウン以前」の乗用車と何が異なり、そして未来に向けて何をつなげていったのか?

トヨタ博物館に展示されて、70年近く昔のクルマとは思えないほどピカピカに磨き上げられた初代クラウン初期型「RS」の画像を交えつつ、整理してみたいと思います。

クラウン以前の国産乗用車は、どんなクルマだったのか

同時期の簡素極まりない国産車と違い、丸みを帯びてメッキも多様された豪華な内装

明治時代半ば(19世紀末)に伝来した「自動車」という機械は、既に蒸気機関の国産化も進んだ日本ではすぐに国産車の開発が始まり、明治末期から大正にかけての開発成果、そして関東大震災後の東京で縦横無尽に走り回る活躍から有用性が認められます。

ただし戦前の日本でシェアの大半を占めたのはシボレー(GM)やフォードで、国防上の観点から軍用トラックの国産化が奨励されたり、商工省の後押しでトヨタや日産、後にいすゞも加えて国産自動車の振興策が始まったものの、輸入車の品質はまだ及びません。

1930年代の日本で「国民車」の萌芽が見えたのはダットサンやオオタの小型車で、特に1933年の規格改正で排気量上限を750ccへ拡大、乗車定員が緩和されて運転免許も不要になるなど、戦後の軽自動車に近いポジションを得ました。

第2次世界大戦中の戦時体制を経て、敗戦直後は戦災復興のため物流優先でトラックの生産が優先されたことや、戦前以上に窮乏した国民生活のため、乗用車の需要はタクシーや政府・官公庁・大企業向けの公用車に限られてしまいます。

道路事情も劣悪だったため、性能や乗り心地よりも耐久性や整備・修理が容易である事を求められ、トラックシャシーがベースだったり、とにかく頑強である事が第一で、欧米のように「乗り心地がよく高性能なクルマ」など、作っても売れない状況でした。

そんな状況は1950年代でも変わらず、根本的には1960年代に東京オリンピックを契機とした、国土改造による道路事情の好転を待たねばなりません。

気づけばトラックシャシーに架装されていた乗用車

時代が時代なので見た目は古いが現在のクルマで基本となっている装備はついており、公道でも驚くほど普通に走るという

敗戦直後も禁止されなかった乗用車の研究を継続、生産が認められるや1947年にはいちはやく戦後開発では初の国産乗用車、「トヨペットSA型」を発表したトヨタですが、理想の高さとは裏腹にユーザーが求めたのは「とにかく壊れず走る4ドアセダン」。

特にタクシー業界は、SAと同じエンジンでも、もっと頑丈なSB型トラックのシャシーへ4ドアセダンボディを架装したSB型改造タクシーを好み、トヨタもそれに応じ、トラックシャシーをベースに乗用車向けとしたSD、SF、SH/RHを販売します。

こうなった理由には、単にトラックシャシーなら頑丈というだけでなく、当時は自動車メーカーが生産するのはシャシーまで、ボディは架装メーカーが用意したという事情があり、どうせ架装のベースにするなら頑丈な方が…というわけです。

トヨタでも、「トラックシャシーばかり売れると思って調べたら、乗用車ボディが架装されていて驚き、本来の乗用車を買ってもらえないと嘆く」状態でしたが、背に腹は変えられません。

何しろ1950年頃のトヨタは、戦後の経済混乱で大幅に業績が悪化、授業員の雇用を守れず労使紛争で莫大な損害を受け、企業としての存続すら危ぶまれる状態だったのですから。

外国車の技術吸収に動く他メーカー

クッションの厚みがたっぷりあって、頭上スペースも広く、乗り心地は良さそうだと予感させる

トヨタ以外の自動車メーカーはどうだったかといえば、後述するダットサンやプリンス(たま自動車)を除けば戦前からのノウハウもなく、通産省の後押しもあって海外メーカー車との提携で技術を吸収する道を選んだメーカーもありました。

すなわち、日産(英オースチン)、いすゞ(英ルーツグループのヒルマン)、日野(仏ルノー)の3社はそれぞれ提携各社からの輸入部品を組み立てる「ノックダウン生産」で始まり、およそ5年程度で部品の100%国産化を達成、独自改良まで進むというものです。

そのメーカーだけでなく、部品の国産化を担当する下請けメーカーの育成にも役立つ手っ取り早くて効果的な政策で、設計・開発技術が未熟なため無謀な国産化へ挑むより早いことから、1950年代半ばまでの高性能国産車といえば、これら「国産外国車」でした。

プリンスセダンやダットサンなど、トヨタ以外の国産乗用車

戦後初のSA型以来、トヨタ車の愛称となっていた「トヨペット」がつく

では、トヨタ以外の国産乗用車はなかったといえばそうでもなく、戦前からの流れで小型車を作り続けた日産系小型車ブランド「ダットサン」は、戦前型設計のDA型/DB型小型乗用車を作りましたし、タクシー業界の求めに応じた4ドア車へ発展。

さらに1955年にはエンジンこそ旧式だったものの、それ以外は戦前設計から脱却した「ダットサン110」を発売、1957年には英オースチンとの提携を活かした新エンジンを積むダットサン210へ発展、初代クラウンと並ぶ近代国産乗用車の始祖と言われます。

戦後のガソリン流通事情が悪い時期、電気自動車で有名になった「たま自動車」も、初代クラウン以前に同クラスの1.5リッター級乗用車、「プリンスセダン」を1952年に発売しました。

ただし、このプリンスセダンは試作車の完成直後、ロクにテストもしないままいきなり受けた運輸省の試験に通って型式を取得してしまい、案の定発売直後には耐久性不足による不具合でクレームが多発するという、かなりムチャなクルマです。

同様のことは軽自動車でも起きて、初の本格量産軽自動車と言われるスズキの初代スズライト(1955年)など、運輸省の認可は受けても耐久性は絶望的、当時の劣悪な道路を走ればタイヤがモゲる代物で、数年かけて改良しながら少しずつマトモになっていきました。

このように、初代クラウン以前の国産乗用車といえば、トヨペットのトラックベース乗用車や、クラウンと同時期に発売されたダットサン110を除けば純国産車はほとんど製品の体をなしておらず、「国産外国車」がまだまだハバを利かせていた状態です。

「保険」もかけ、おそるおそる発売された初代クラウン

現在の基準では大きくもない1.5リッター級乗用車とは思えないほどの風格は、輸入車や「国産外国車」に負けなかった

他社も含めてそのような有様でしたから、トヨタも初代クラウンの開発に当たっては石橋を叩いて、なお渡らないほどの慎重さで挑みました。

「トヨペット」ブランドを確立すべく、工場を出る時から「クラウン」というクルマの形になるようボディは内製とされ、架装メーカーごとに好き勝手なデザインは存在しなくなります。

エンジンはトヨペット スーパーRH型(1953年・架装メーカーによりデザイン違いのRHN型とRHK型があった)で実績を積んだ、新型の1.5リッター直4OHVエンジン「R型」。

フロントはダブルウィッシュボーン独立懸架で、プリンスセダンの二の舞にならないよう万全のテストが行われ、リアもリーフリジッドとはいえ3枚リーフ(板バネ)でしなやかな乗り心地と耐久性を両立します。

しかしそれでも、当時の主要ユーザーであり、独立懸架へ根強い不信感を持つタクシー業界には受け入れられないかも…というわけで、トヨペット スーパーのビッグマイナーチェンジじみた保守的な構造の「トヨペット マスター」も同時発売する念の入れようです。

もしこの新型車クラウンが受け入れられなければ、まだ地道にトラックじみた乗用車を作り続ける日々が続いてしまう…しかし、フタを開ければ「クラウンは乗り心地がいいのに頑丈」と評判になり、保険として開発したマスターは1年でお役御免となりました。

これでダットサン110ともども、ようやく「国産乗用車の夜明け」が到来したのです。

ユニークだった観音開きドア

一説にはBピラーが細く済み、乗降性をさらに向上させたのも観音開きドア採用の理由と言われる

初代クラウンで後々まで有名となり、プログレをベースにしたセルフリメイク版「オリジン」(2000年)にも採用されたユニークなチャームポイントが、観音開きドアです。

もちろん保守版のマスターには採用されず、2代目以降のクラウンにも受け継がれなかったので、初代クラウンの独自性として有名になっていきましたが、「半ドアのまま走行すると開きやすく、後席乗員の安全性が確保できない」と、開発陣にも反対の声がありました。

しかし、観音開きドアには後席の乗降性をゆったりとさせ、結婚式の送迎に使っても文金高島田をかぶった花嫁の乗降がしやすいというメリットがありました(同様の理由で、ややズングリした見栄えになっても天井の高さは確保された)。

また、自動ドアなどなかった時代のタクシーでは、助手席の助手が降りて後席ドアを開ける手間があり、そのためには観音開きの方が素早くできて利便性が高いという理由もあって、なんとしても観音開きにせねば、と押し切ったエピソードが残っています。

後のスバル360(1958年)など、まだ乗降性重視の後ろヒンジ前開きドアが残っていた時期なので許されましたが、その後は特別な高級車や旧車の復刻版など以外では、ほとんど採用例がありません。

スポーツカーなど、通常の開口部が確保しにくくとも後席ドアの必要性があるクルマでは現在でもマツダ MX-30のように採用例はあるものの、「前席ドアを開けないと後席ドアが開かない構造」にしているのが普通です。

デラックス路線の始まりとなり、改良を続け7年近く販売

前席から降りた運転手や助手が、このドアハンドルを両手でそれぞれ握り、ボタンを押してバシャッと開ける

タクシー業界での好評を受け、発売から1年とたたない1955年12月にはラジオやヒーター、フォグランプ、ホワイトリボンタイヤなど装備を充実し、左右分割だったフロントガラスも1枚モノとなったRSD型「クラウン・デラックス」を追加。

「デラックス」というグレード名は、「スーパーデラックス」などスーパー○○、グランド○○、あるいはそれらの略称となる上級グレード名が登場すると、かえって格下の廉価グレード扱いになっていきますが、当時は文字どおりデラックスな豪華グレードでした。

この「ちょっと頑張れば豪華で満足度が上がる」というコンセプトは、後に初代パブリカがあまりに貧相な内外装と装備で失敗作となり、豪華装備の「デラックス」追加で巻き返したあたりから日本車の標準的な路線となりました。

1958年のマイナーチェンジでは、新型プレスにより工作精度が飛躍的に向上、モッコリと丸みを帯びていたボンネットが平らになり、ヘッドライト回りも突き出し、テールフィン回りも改められて近代的な重厚感あるデザインになりリアウィンドウも3分割から1枚化。

この時に型式もスタンダード(ベーシックグレード)がRS20型、デラックスがRS21型とグレードごとに分けられ、翌1959年にはエンジンがパワーアップされるとともに、1.5リッターディーゼルを積むクラウン初のディーゼル車、CS20型が追加されました。

小型車枠の排気量上限が1.5リッターから2リッターへ引き上げられた1960年にはデラックスに1.9リッターエンジン「3R」型を積むデラックスRS31型が登場(翌年に同じエンジンのスタンダードRS30型も追加)。

1962年9月に2代目クラウンへとモデルチェンジされるまで、上記を中心に改良を続けつつ、7年近く販売されました。

初代クラウンが未来へ残したもの

後のマイナーチェンジで前後ウィンドウは1枚ガラスとなり、テールフィンなどデザインも大きく変わって高級感を増していった

クラウンが2代目へとモデルチェンジする頃には、同クラスで日産からはセドリック、プリンスからはスカイラインとグロリア、いすゞからはベレルが登場し、1~1.2リッター級のミドルクラスではトヨペット・コロナやダットサン・ブルーバード(初代310)も登場。

スバル360の成功で軽自動車も実用化のメドがつき、商用車も3輪から4輪への流れが加速しており、さらにマツダやダイハツ、三菱でも近代的なニューモデルが発売を待っていました。

初代クラウンが発売された頃の「トラックシャシーへ乗用ボディを載せただけの貧相な国産乗用車」から一変しており、国産外国車も姿を消そうとしていた頃です。

「見てくれや快適性に難があるのは仕方ないから、とにかく壊れないでくれ」と言われたタクシー業界からも、壊れないのは当たり前、これからはデザインや快適性、性能で選ぶ時代と認められるようになりましたが、その最初のモデルが初代クラウンでした。

「これくらいで仕方ない」という自信なさげにうつむき加減のクルマづくりから、「これくらいは当然、もっと上を目指そう!」と、上を向いたクルマづくりができるようになったのは、トヨタだけではありません。

国産車メーカーが競うようにデザイン、性能、品質を向上させていける自信や情熱、闘争心こそ、初代クラウンが残し、未来へつなげていったものではないでしょうか。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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