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宿敵ランチアを撃破!元祖「WRC最強の国産4WDターボ」ことトヨタ セリカGT-FOUR【推し車】

元祖「WRC最強の国産4WDターボ」

一時は国産最強ラリーマシンとして君臨した、セリカGT-FOUR(画像は2代目ST185)

まだランエボもインプレッサWRXもメジャーではない頃、WRCで活躍する国産4WDターボの雄といえば、トヨタ セリカGT-FOURだった…という時代がありました。

元はWRCのグループS構想頓挫で急遽グループAマシンに抜擢、デカくて重くて決してラリー向きではなかったものの、同時期の三菱 ギャランVR-4やスバル レガシィRSも同じ問題を抱えていましたし、コンパクトな日産 パルサーGTI-Rは開発に失敗。

おかげで一時は国産ラリー車のエース的存在であり、宿敵ランチアを撃破してWRCのマニュファクチャラーズ&ドライバーズのWタイトルを獲得した、日本初のマシンだったものの、その栄光は長続きせず…という、悲喜こもごものマシンです。

過去の栄光もあってファンは多く、MOBY編集部がAIに聞いた「30〜50代のクルマ好きが興味ある名車」にもピックアップされた歴代セリカGT-FOURを紹介しましょう。

ラリー以外に映画でも有名・初代ST165(1986年)

そもそもフルタイム4WDターボの市販車というのが珍しい時代、1986年にセリカGT-FOURを発売したトヨタでも開発は苦戦したが、国産車勢ではファミリアのマツダを抜いて、絶対的王者のランチアへ挑んだ

1980年代半ば、化け物じみた速さを誇ったものの安全性ガン無視で、深刻な死亡事故を相次いで引き起こした「グループBマシン」は1986年を最後にWRC(世界ラリー選手権)から排除され、より高性能を目指した「グループS」構想も頓挫。

そこで急遽引っ張り出されたのは、市販車のガワだけ被ったラリー専用車のグループBとは異なり、あくまで市販車ベースでそれまでは下位カテゴリーだった「グループA」マシンでしたが、ラリーに使える4WDターボなんて、当時は世界中のメーカーでも限られました。

日本車では4WD乗用車の老舗、スバルがレオーネでグループAに出場していたもののまだまだマイナーで、実績豊富なのはいち早くフルタイム4WDターボのファミリアで打って出たマツダくらい。

トヨタもWRCで勝負できる4WDターボは1986年に4代目セリカへ追加した「セリカGT-FOUR」くらいで、グループA規定を満たす生産台数5,000台達成まではスープラ(A70型)を代役にして、1988年からようやくWRCへ参戦しました。

FRで重いスープラよりマシとはいえ、本当なら初代カローラレビン(TE27・1972年)の時のように、カローラFXの4WDターボでも作れればよかったのでしょうが、日産がパルサーGTI-Rで小型化に失敗したように、当時としては時期尚早。

映画「私をスキーに連れてって(1987年)」での見せ場が有名で、どっちかといえばラグジュアリーなリゾートランナーという雰囲気だった初代セリカGT-FOURですが、WRCでも1990年にはカルロス・サインツが日本車初のドライバーズ・タイトルを獲りました。

日本車初の快挙を成し遂げた・2代目ST185(1989年)

セリカGT-FOURとしてはもっともバランスに優れ、ライバル台頭前の活躍でWRCダブルタイトルの快挙を成し遂げた2代目

あくまで急場しのぎだった初代とは異なり、水冷インタークーラーやワイドボディで最初からWRC参戦を見越した「GT-FOUR RC」の開発が行われ、基本的にはまだ5ナンバーサイズに留まったボディもあって、もっともバランスに優れていた2代目GT-FOUR。

WRCには1990年から出場し、グループAで猛威を振るったランチア デルタ・インテグラーレと真っ向から対決できた最初の国産ラリーマシンとして「WRC日本車黄金時代」初期の栄光を担いました。

1993年にはユハ・カンクネンがドライバーズタイトル、そしてマニュファクチャラーズタイトルも獲得して、日本車では初のWRCダブルタイトルという快挙を成し遂げ、カストロールカラーのGT-FOURはゲームなどでもラリーの定番車種となります。

ただし基本的にはコロナ/カリーナクラスのスペシャリティクーペとして車格過剰、サイズも重量も過大という問題は常にありました。

1クラス格下の車両へ4WDターボシステムを詰め込んだ、スバル インプレッサWRXや三菱 ランサーエボリューションが台頭してくれば不利になるのは明らかで、「セリカGT-FOUR」としては初の快挙を成し遂げると同時に、最後の栄光を担ったモデルでもあります。

でかい、重い、走らない・3代目ST205(1993年)

2015年のグッドウッド・フェスティバルで走る3代目ST205…だが、今のGAZOO Racing公式サイトのWRC関連コンテンツでも、ほとんど触れられることはない

3代目セリカGT-FOURはそもそもベースのセリカが、バブル時代に開発されてブクブクと肥え太り、バブル崩壊とRVブームで用済みになったラグジュアリーな2ドアスペシャリディクーペという、困った存在。

丸目4灯ヘッドライトにヌメヌメした曲面デザインは、同年発売のホンダ インテグラ(3代目…タイプRが出る前の前期型)ほど不評ではなかったものの、WRCでの勝利を目指すGT-FOURとしてはもはやでかすぎ、重すぎで走りません。

それでもトヨタのWRC活動を担当したTTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)は努力し、この重いドン亀4WDターボを何とか走らせようと努力した末に、ターボチャージャーの出力を規制するリストリクターの規則違反が1995年に発覚。

悪いことは悪いのですが、これで何とかWRCに勝とうと思うには、「アウト寄りのグレー、何なら見つかればアウト」で勝負せねばならないうえに、それで勝てたわけでもないので、同年限りでWRCから撤退しました(そもそも1年出場停止処分)。

雪道に強いラグジュアリークーペとしては悪くないクルマでしたが、漫画「頭文字D」では噛ませ犬的な出番だけでしたし、筆者の知人もジムカーナの4WDターボクラスでランエボやインプレッサへ挑んだものの、「重戦車」で勝利するのは困難だったようです。

結局セリカ自体が重すぎデカすぎで次のT230系ではダウンサイジングされるとともに4WDターボは廃止、「GT-FOUR」の名はカルディナGT-FOUR(3代目・2002年)に受け継がれたものの、それも2007年をもって販売終了して後継車はなし。

WRCの方は新たにWRカーのカローラWRCを作って1997年から復帰、ソコソコの成績を残したものの、そもそもベースのカローラFX(E110系)自体が日本で売っていなかったため、カローラWRCの市販車版が売られる事もありません。

結局、トヨタWRCマシンの市販仕様(に近いクルマ)が再び販売されるのは、GRヤリスが発売される2020年を待たねばなりませんでした。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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