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今のスイフトの原点?「世界トップの自動車メーカーを説き伏せた」初代カルタス【推し車】
目次
スズキ歴史館の初代カルタスに思うこと
2010年代に入って「軽自動車No.1メーカー」から本格的に脱却を図り、小型車の国内販売10万台という目標をアッサリ達成、スイフトやソリオといったドル箱を抱える現在のスズキですが、その原点となったのは1983年の初代カルタスでした。
初代アルト(1979年)に驚愕した米GMと提携、世界戦略小型車の開発を任されたスズキが、フロンテ800以来となる小型車開発に挑んだわけですが、そこはプライドの高いGM、最初からスズキが思うようにはならず、世界的にはともかく国内販売は大苦戦。
そこでGMを説得しつつ、熟成に苦労していくわけですが、「スズキ歴史館」に展示されているのは「GMから作れと言われて仕上がった」初期型で、いろいろな意味でスズキにとって忘れがたいクルマなのかもしれません。
フロンテ800以来の小型車再参入
「すさまじくチープなのに、ちゃんと走るクルマを作った」という意味で米GMに一目置かれたスズキは、そのGMと提携を結ぶとともに世界戦略小型車の開発を依頼され、奮い立ちます。
何しろ、スズキの小型車といえば1960年代、当時の通産省(現・経済産業省)が頼んでもいないのに自動車産業を保護して合併でメーカーの数を減らしたり、新規参入を締め出そうとしていた頃、小型車生産・販売の実績で対抗しようと少数販売したフロンテ800くらい。
その後、通産省の勝手な目論見が頓挫したり、キャリイやフロンテのヒットで軽自動車メーカーとしての基盤が確立されたこともあって、無理に小型車を作らなくても良くなりました。
しかしライバルメーカーはどこも小型車を作っていますし、アルトの軽ボンバン路線で活気づいた軽自動車市場がいつまた失速するかもわかりませんから、将来的な成長には小型車があるに越したことはありません。
そんなところへ舞い込んだGMからの提携話、しかもGMが世界中で売ってくれる小型車ですから、気合の入った開発スタートだったようです。
「世界の巨人」GMとタッグを組んだ第1作!しかし…
当初はスズキ独自に理想的なコンパクトカーを作ろうとしたようですが、大まかな案をGMに提出したところで、「おいおい、そうじゃないだろう?」と、あっさりダメ出しされてしまいます。
GMがスズキに求めたのはあくまで経済的な低価格小型車、すなわち「安い、軽い、燃費がいい」と三拍子揃っていなければならず、コンパクトカーなのに品質がいいとか性能がいいとか、そういう事はハナから求めていません。
ガッカリしたスズキですが、そこはすぐに頭を切り替え、つまり初代アルトの小型車版を作ればいいんだな?とばかりに「世界の下駄」をコンセプトに、練り直します。
それで完成したのは、内外装がひたすらチープだけどもデカールなどで派手な演出、リアサスに至っては当時の国産乗用車がもう使わないようなリーフリジッドのフワフワ足の、安くて軽く、よって燃費もいいという低品質・低価格・低燃費リッターカーがいっちょ上がり!
「そうそう、これこれ」と気に入ったGMが北米でシボレー スプリント、ポンティアック ファイアーフライとして売るなど、世界中で販売すると目論見どおりに大ヒットして、GMを喜ばせました。
しかし、日本国内でもスズキが発売すると、目標月販3,000台に対して6割くらいしか売れません…ダイハツ シャレードや日産 マーチといったライバルがひしめく中、「上等な軽自動車より安いのだけが売りなクルマ」など、誰も求めていなかったのです。
世界的には「GMにとっての軽自動車」といえる扱いで大ヒットしても、日本には本物の「安い軽い小さい」軽自動車があるので、全く勝負になりませんでした。
日本でも認められるべく、フルモデルチェンジに近い大改良
要するに日本では「世界の下駄」だと「日本の下駄」に勝てないわけで、もっと上等な、少なくとも軽自動車に対し、明確に差別化できていなければ話にならないのは発売直後に判明しており、国内ではすぐテコ入れに動きました。
まずは「オレ・タチ・カルタス」をキャッチコピーに舘ひろしを起用した限定車、「タチ・バージョン」で知名度を上げていき、その間に抜本的な高品質化に手を付けますが、さすがにフルモデルチェンジには早すぎます。
可能だったのは動力性能の強化と、内外装で可能な限りのリフレッシュ、そしてGMの横槍で低価格軽量化のため採用させられたリアのリーフリジッド・サスを更新すること。
動力性能面ではデビュー翌年の1984年にはグロス80馬力、ネット値でいえば70馬力もないような1リッターターボ車を発売していましたが、これをネット82馬力に強化し、マーチターボやシャレードターボに対抗。
さらにクラス世界初の1.3リッターDOHC4バルブエンジン(当初97馬力、後に110馬力)を搭載する「カルタスGT-i」を開発、内外装も若者向けのスポーティー路線へと切り替えます。
リーフリジッドサスも、コイルスプリングと車軸懸架を組み合わせたスズキ独自の3リンク式サスペンション「I.T.L(アイソレーテッド・トレーリング・リンク)」へ更新しました。
GMからの横槍を乗り越えて
しかし、そこでまたGMから「そんなもの必要ないだろう?」と横やりが入ります。
GM曰く、「サスペンションなんてフワフワしてればユーザーは満足するのに、安くて軽くて低燃費はどこに行った?」というわけで、フロアから作り直す費用や、複雑化するサスペンションのコスト、重量増加による燃費の悪化はどう説明するのか、というわけです。
実際、GMにとっては「このままでも多数のバックオーダーを抱えた大ヒット車種で、GMのコンセプトは何も間違っていない」ということになりますから、無理もないのですが、いかに提携したとはいえ、スズキはGMの下請け工場ではありません。
まずは論より証拠とばかりに試作車へGMの幹部を乗せ、リーフリジッドから改良するだけの価値があると理解してもらい、改良コストは日本国内やヨーロッパ向けの販売増加を見込めば割に合うのでスズキ持ち、燃費も落とさねばいいのだろうと説得に成功。
こうして1986年、実質的にはフルモデルチェンジに等しいビッグマイナーチェンジを敢行、高性能版GT-iも加え、日本やヨーロッパでもユーザーに納得してもらえる若者向けスポーツコンパクトとなった初代カルタスは、面目を一新して販売も上向きました。
この時、プライドの高いGMを説き伏せたスズキは、「低価格なだけではない小型車メーカー」として、ようやく真の第一歩を踏み出したと言えます。
もし、GMの言うまま妥協したクルマづくりを続けていたら、初代カルタスまではともかく、その後はパッとしない駄作を適当に作るメーカーになってしまい、現在のスイフトスポーツのように「安いのによく走る高品質コンパクトカー」など、作れなかったでしょう。
「スズキ歴史館」の初代カルタスは、スズキにとって忘れがたき反面教師なのです。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...