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競合メーカーもスズキには一目置く?自動車メーカーの危機を救ったスズキ車たち【推し車】
軽自動車No.1メーカーとしての時代が長く、その後も現在に到るまでプレミアム・コンパクトカーで成功しているだけに、「自動車メーカーとしての危機」など無縁に思えるスズキですが、ライバルと同様に苦しんだ時期はありました。
今回は自動車メーカーとして軌道に乗れるか、軽自動車メーカーとして続けていけるか、GM傘下を離れてもやっていけるかという「危機」を乗り越えた、3台のスズキ車を紹介します。
フロンテ(初代・1962年)
第1回日本グランプリにフルチューンで挑み、スバル360をブッチぎり!
![](https://car-moby-cdn.com/article/wp-content/uploads/2022/07/26023316/suzuki_fronte_FEA_1gen_1963-1000x618.jpg)
初代スズライト(1955年)で初めて本格的な軽乗用車の量産に取り組んだものの、名車スバル360(1958年)の前には急に色あせ、結局は他メーカー同様、地道に軽商用車で足場を固めざるをえなくなったスズキですが、逆転のポイントは思わぬところにありました。
1963年に鈴鹿サーキットで開催された、第1回日本グランプリ。
「紳士協定破りで勝利した」のはトヨタだけではなく、むしろ紳士協定をバカ正直に守ったのがプリンスとスバルくらいで、オートバイでレースの実戦経験豊富なスズキもフロンテをフルチューンし、市販車の性能では絶対の自信を持っていたスバルを唖然とさせたのです。
宿敵スバル360を圧倒したスズキは自信を深め、ライバルとの争いを制して軽自動車メーカーNo.1への第一歩を踏み出しました。