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フェアレディZ

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「スカイラインGT-Rのエンジンを断固拒否!」プリンスの血を拒んだ日産純血の元祖スポーツカー・初代フェアレディZ(S30)【推し車】

「売っているけど買えない不思議なZ」の初代、S30型

カッコイイ!と文句なしに言える国産車の1台であり、漫画などの影響もあって広い世代に有名な初代フェアレディZ、S30型

現在も「一応は販売」されているものの、抽選で当たらければどれだけ注文しても手に入らない、しかし中古車情報サイトを見ると登録済み未使用車が何台も出てくるという、不思議なことになっている「日産 フェアレディZ」。

現在のRZ34型は2022年にビッグマイナーチェンジを受けた6代目Z34の後期型ですが、その由来は1959年のダットサン・スポーツ1000にまでさかのぼり、フェアレディを経て「フェアレディZ」を名乗った初代S30型の登場は1969年という、由緒正しきスポーツカーです。

MOBY編集部がAIに聞いてみた「30〜50代のクルマ好きが気になる名車」にも当然ピックアップされており、今回はその魅力を紹介しましょう。

プリンスの血を拒んだ、日産純血の元祖スポーツカー

レースで勝つために生まれたZ432だったが、解決不可能な震動問題でプリンスの血、「S20エンジン」を拒んだ(画像は1970年の鈴鹿1000kmに出場したZ432R)

日産のスポーツカー、それもメジャーなレースのトップクラスで活躍できるようなモデルには2つの血統があり、1つはスカイラインGTに始まり、現在のR35型GT-Rへ至る「日産に吸収合併される以前のプリンス」を由来としたもの。

日産としても「スカG伝説」の宣伝でもてはやすものの、プリンス由来のため日産車としては異質の存在であり続け、ファン層も日産というよりは、今でも「プリンスのファン」と言えるかもしれません。

もう1つが現在のRZ34へ至る「フェアレディZ」の血統で、基本的にはプリンスの血はほとんど通っておらず、どちらかといえば過去の日産大衆車ブランド「ダットサン」の系譜、つまり日産純血というわけです。

プリンスと日産でそんなに違うものなの?今ではどちらも日産が作って日産が売ってるんだから、同じなんじゃないの?と言うなかれ、初代S30フェアレディZときたら、プリンス直系で、初代スカイラインGT-R用のS20エンジンを「拒絶」しました。

当初は鳴り物入りのホットモデル「Z432」として登場、競技ベース車の「Z432R」すら作ったものの、いざレースに出場させると、スカイラインGT-R(初代PGC10/KPGC10)では何の問題もないS20の震動問題で、まぁマトモに走りません。

ならばと日産純血のL型エンジンで、当初は輸出用だった大排気量版の2.4リッター直6SOHCエンジン「L24」を積んだ「240Z」をレースで走らせたらこれがよく走り、デビュー2年後の1971年にはついに日本国内でも発売されました。

「プリンスのエンジンなどで走ってやるものか!」と言わんばかりのエピソードもあって、初代S30型フェアレディZは、元祖「日産純血のスポーツカー」というわけです。

純血でありながら傍流?という微妙な立場

日産純血のL24エンジンを積む240Zは、レースだけでなくラリーでも大活躍した(画像は1973年のサファリラリーで総合優勝した240Z)

そもそも日産がなぜフェアレディZを作ったかといえば、北米日産がダットサン・スポーツ1000(1959年)に始まり、最終型のSR311型「ダットサン・フェアレディ2000」(1967年)へ至るスポーツカーの後継車を、強く望んだからです。

フェアレディは見た目こそヨーロピアンスタイルのカッコいいオープンスポーツでしたが、元がトラック用のラダーフレームへハイパワーエンジンで無理やり走るようなクルマでしたから、フェアレディ2000ではもうジャジャ馬、ピュアスポーツとしてはもう限界。

しかも1960年代後半の北米ではクローズドボディやタルガトップ、2+2シート、ラゲッジに荷物を積みやすいテールゲートを持つファストバックスタイルが主流…ジャガーEタイプやポルシェ911のようなクルマが、日産にも求められたわけです。

ただし問題は「北米日産の要望」だったことで、北米日産とは「ミスターK」とも言われた片山 豊 氏が、日本本国の日産本社の言うことを全く聞かずに行ったアレコレで大発展した組織であり、日産本社からすれば「憎いけど実績を上げたから何も言えない」存在。

フェアレディZも片山氏の主導で、フェアレディのままでいいと思っていた日産本社を説き伏せて開発したら、これがまた「Z(ズィー)カー」として北米では多数の熱狂的ファンを生む、超大ヒット!…当然、日産本社は面白くありませんが、売れたので仕方ないのです。

日産中興の祖と言ってよいほどの功績を上げた片山氏でしたが、帰国後は日産の中枢で活躍するでもなく不遇の扱いを受け、フェアレディZも北米だけでなく日本でも売れながら、何となく歴代モデルは煮えきらない扱いをされ続けました。

日産純血のスポーツカーでありながら傍流、売れるから仕方なくという感じで継子扱いされた初代S30型フェアレディZ。

現在のRZ34型が「なんでみんな欲しいのに、ちゃんと売ってくれないの?」という扱いをされているのは、そうした歴史の怨念、あるいは亡霊の影響がまだ日産に残っているから…と思うのは、考え過ぎでしょうか?

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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