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「ウーン。セドグロ以上、プレジデント未満」?初代は社会現象にもなったのに…2代目・3代目日産 シーマ【推し車】
世代によって大きく印象が異なるシーマの2~3代目
2022年に廃止されるまで、日産のフラッグシップ・サルーンとして君臨した「シーマ」。
初代は艶めかしいイタリアンデザインと3リッターDOHCターボの豪快な加速で日本の高級車観を大きく変え、「シーマ現象」という言葉を生むほどのヒット作となり、代を重ねるごとに存在感が地味になっていったとはいえ、日産ファンにとっては大事なクルマでした。
ただし、絶大なインパクトを誇った初代を除けばデザインやコンセプトが一貫していたとは言い難く、人によって「シーマ」の印象は大きく異なるかもしれません。
MOBY編集がAIに聞いた、「30〜50代のクルマ好きが気になる名車」にも歴代シーマがノミネートされていますが、今回は初代とは大きく変わった2〜3代目のシーマを紹介しましょう。
ブロアム系セド/グロの高級版的な2代目(1991年)
高級サルーンでありながら、ターボパワーで尻を下げての豪快な加速が魅力的だった初代から3年、1991年には早くも2代目へモデルチェンジしたシーマですが、その間に日本の高級車は大きく変わっていました。
1989年にトヨタから初代セルシオ(海外名・レクサスLS)が発売されると、輸入高級セダンに全く劣らぬ性能や品質、快適性が話題となり、「シーマ現象」と呼ばれた高性能高級サルーンは、少なくともフラッグシップモデルでは一過性のブームで終わっていたのです。
日産も海外向け高級サルーンのインフィニティQ45(1989年)と、姉妹車の3代目プレジデント(1990年)をセルシオ対抗馬のフラッグシップとしており、2代目シーマのライバルは「クラウン以上セルシオ未満」、同年発売のクラウンマジェスタあたりになりました。
その関係もあってか、搭載エンジンはフラッグシップ用4.5リッターよりやや格下の4.1リッターV8(VH41DE)となり、同時期デビューのセドリック/グロリアにも積まれた3リッターV6ターボ(VG30DET)はカタログ落ち。
外観も英国車風イタリア風味?で、セド/グロのブロアム系と前後が似たデザインを曲線的に太らせたデザインの、「日産版クラウンマジェスタ」とも言えそうな狭いユーザー層を狙ったものとなり、初代ほどのインパクトがなかったのは確かです。
「やっぱりシーマならターボがなくちゃ!」という声もあってか、1993年にはVG30DET搭載車が復活し、シーマとしてのアイデンティティをどうにか取り戻しています。
もっとも苦しい時期の日産が意地で続けた3代目(1996年)
1996年にモデルチェンジした3代目シーマの頃になると、3代目プレジデントはそのままに、海外でシーマが2代目インフィニティQ45となったものの、エンジンラインナップは先代同様にVH41DEとVG30DETのまま(海外版の2代目Q45はVH41DEのみ)。
テール周りの高級感は増したものの、フロント周りは相変わらず同世代(Y33系)のセド/グロ高級版という出で立ちで、クラウンマジェスタはともかく、セルシオ対抗馬としては少々物足りなくなっていました。
ターボエンジンによる豪快な加速というアイデンティティは残され、V8エンジンが高級サルーンとして自己主張していたとはいえ、経営悪化でコストをかけにくい時期の日産車ですから、かろうじてシーマをラインナップに残すだけで精一杯だったのかもしれません。
サイドエアバッグやミリ波レーダーによる車間自動制御システムなど、一般向け高級サルーンとして大事な最先端装備も施したとはいえ、この時期のシーマは「立派なセドグロ」くらいの印象しかなかったユーザーも多いのではないでしょうか。
ただ、インフィニティQ45姉妹車として生まれ、1990年代を通して販売され続けた3代目プレジデントの陳腐化が目立つ中、法人や富裕層ユーザー向けの日産を代表する高級サルーンとして、地味でも重要な役割を担い続けました。
2020年代の今ならとっくに高級SUVやミニバンに置き換わっていておかしくないのですが、1990年代当時はまだまだこの種の大型高級サルーンが必要だった、という時代の象徴とも言えます。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...