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マツダが手掛けるとここまでデザインが良くなるの?3輪トラックの究極進化系GLTB型とは【推し車】

戦後型3輪トラックの転換点

突き出したノーズの頂点から上下に塗り分けた2トーンカラーがオシャレ

当初はオートバイの後輪を左右輪つき荷台に改造した程度、そこから頑強なフレームを持ち、むしろ「四輪トラックの前半を簡易なオートバイ状にした小型トラック」として発展した、日本のオート3輪。

戦後には戦前から続いた公定価格や寸法制限の撤廃で大型化が進み、販売競争の中で立派な鋼製キャビンやドアを持ち、デザインも洗練されたモデルが登場します。

丸ハンドル化と並列座席化による乗車定員増加に伴う価格アップ、転倒しやすいなど走行安定性の低さもあって4輪トラックへの競争力を失いますが、その直前、昔ながらのバーハンドル式ながら、立派なキャビンを持つトラックとして登場したのがマツダGRTBでした。

戦後立派に成長したオート3輪

貨物トラックのフロントマスクとは思えぬほど、整ったデザインのマツダ GLTB型

戦前には小型でも高価で、軍用にも使うため民間への供給が限られた4輪トラックと、リヤカーを牽引するオートバイの中間的な簡易トラックとして発展した、オート3輪こと小型3輪トラックですが、戦後しばらくの間も、戦前同様のモデルが売られていました。

公定価格で価格は変わらず、寸法も決められていたので違いが出しにくく、シェアを決する差は販売・サービス体制にあり、戦前からの名門であるダイハツ、戦後進出した各メーカーが全国販売型、地域密着型ともに、戦災復興に合わせてさまざまな形で作っていきます。

マツダもダイハツと並ぶ名門として全国販売型で戦前からのオート3輪を作っていましたが、公定価格や寸法制限が撤廃されると、他メーカーへの差別化のため、実用性本位で無骨な形状から、流麗な自社デザインの鋼製キャビンへと変わっていきました。

その結果、1970年代前半まで生産したT2000へ通じる美しくスポーティな戦後型マツダオート3輪が生まれ、当初のドアなしからキャンバスドア(幌ドア)、やがて立派な鋼製ドアがつくようになりますが、ハンドルだけは1950年代半ばまでバーハンドルのまま。

つまり、見てくれはどれだけ近代化されても、ドアを開ければ中央で座席にまたがった運転手が力をこめてバーハンドルを操作し、傍らに助手用の補助席(文字通りの「助手席」)がチョコンとある程度。

1952年に愛知機械の「ヂャイアント号」が業界の先駆けとして丸ハンドル・並列座席化しますが、マツダはまだまだバーハンドルのオート3輪を作っていたのです。

3輪を続けるか、早く4輪へ移るかで悩んだ時期のマツダ

タイヤ部分の出っ張りは角張った簡素なもので、生産性優先の荷台はアッサリしたもの

この頃のマツダは、「いずれ3輪は廃れるから、なるべく早い時期に4輪メーカーへ転換したい」という願望があったようで、1950年には早くもジープと似た形状のボンネットとキャビンを持つマツダ初の4輪トラック、「CA型」を発売しています。

ただ、1954年に年間3万台を生産するなど、1950年代半ばにピークに達するまでマツダのオート3輪は売れ続けていました。

その勢いは、軽オート三輪「ケサブロー」ことK360(1959年)の大ヒットもあり、1960年から1962年まで国内生産台数トップの自動車メーカーへ押し上げるほどで、CA型に続く4輪トラック「ロンバー」(1958年)を発売しても、マツダの主力はオート3輪だったのです。

1958年にはマツダ初の丸ハンドルを採用した2t積みオート3輪「HBR型」や、1t積み丸ハンドルの「MAR型」も発売する一方で、1956年に発売した最後のバーハンドル式オート3輪、「GLTB型」も、しばらく併売しました。

幌が屋根製で鋼製ドアもまだ簡素ながら、左右2灯式の流線型ボディのGLTB型が、「極限まで進化したバーハンドル式3輪トラック」と紹介されるのは、まさに丸ハンドル式へ移ろうとする直前に発売されたモデルだからです。

そのため、1950年代後半に4輪車と並行してオート3輪の開発も継続していたマツダは、1958年にはバーハンドル式3輪トラック、丸ハンドル式3輪トラック、(もちろん丸ハンドル式の)四輪トラックと、かなりバラエティに富んだラインナップとなっていました。

究極のバーハンドル式4輪トラック、マツダGLTB型

このバーハンドルで運転できていたのだから、いろんな意味で当時のドライバーはスゴイ

高知県でのみ生産されていた特異な特大型3輪トラック、「トクサン号」(あるいは「土佐号」)を除き、規格の名残や需要の問題で大排気量化に制約のあったオート3輪ですが、GLTB型でも22馬力の700cc空冷単気筒OHVという戦前型エンジンです。

それでも戦前のTCS型(1935年・654cc単気筒SV・13馬力・最大積載量400kg)より出力アップしており、構造を強化して最大積載量も750kg、または1tに拡大されており、積載性能だけでいえば、1,000cc以上の4輪トラックに引けをとりません。

過積載が当たり前の時代、積載時の登坂性能にかなり無理が出てはいましたが、小回りの良さで使い勝手は勝っており、まだまだオート3輪の需要はありました。

しかし、バーハンドルでは操作性や助手の乗車スペースに難があったのも確かで、デザイン性や快適性を追求したせっかくの大型キャビンも活かしきれていません。

そこでバーハンドル式はこのGLTBが最後となり、マツダのオート3輪は丸ハンドル式へと転換、1974年に最後のT2000の生産を終えるまで、オート3輪メーカーとしての命脈を保ちました。

現在マツダミュージアムへ展示してあるGLTB型を見ると、前方に突き出した丸目2灯ヘッドライトは後のT2000まで通じるマツダオート三輪のデザインが既に完成している事がわかりますし、2トーンカラーの塗り分けもトラックとは思えぬほどシャレています。

その一方で開いたU字型のバーハンドルや、持ち手の間に挟まれたメーターやシフトレバーなど、古いメカニズムと斬新なデザインの共存が、いかにも過渡期のクルマという感じです。

このバーハンドルを見ていると、最近の「クルマのハンドルで丸型以外は受け入れられるか?」という話題など、些細な事に思えてきました。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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