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「MR2やビートの軽トラ版?」農道で轟音を上げ疾駆したホンダTN360の凄さ【推し車】

ホンダの元祖ミッドシップ2シーター

ホンダコレクションホールのTN360はTNシリーズ最初のモデルで、T360譲りの大型Hマークが正面に貼られている

「F1にも参戦した自動車メーカーが2021年まで生産していたミッドシップ2シーター」といえば、どこかのスポーツカー…なわけもなく、もちろんホンダのアクティトラック。

一応はN-VANを後継にした1BOXバンのアクティバン/バモスと違い、後継車がないまま廃止されたので、ファンはもとより本当に困っているユーザーもまだ多いかもしれません。

ホンダの軽トラといえば、かつて大ヒットした初代シビックへの注力と、低迷していた市場を見限り軽自動車のほとんどから撤退した際も軽トラだけは作っていたという伝統芸でしたが、いつか復活の日はくるのでしょうか?

今回はホンダコレクションホールに展示されているTN360の画像を交えつつ、アクティトラックまで基本レイアウトが受け継がれた、この「近代ホンダ軽トラの祖」を振り返りたいと思います。

T360に泣いた整備士には待望の「マトモなホンダ軽トラ」

軽トラとは思えぬ明るい内装カラーは後のRVブームなどを予感させ、座席下にエンジンがないので静かでもあった

戦後創業組ながら、2輪車での成功で勢いに乗って4輪車を開発、国際競争力を維持しようとするため通産省が仕掛けたものの、結果的に不発で終わった業界保護政策(既存メーカーの再編と新規メーカーの締め出し)に慌て、1963年に新規参入したホンダ。

市販第1号となったのは軽トラのT360でしたが、これが「あまりに精密で一度バラすと組み立てるのが困難」と言われた整備性最悪の水冷直4DOHC4連キャブレターエンジンを積んでおり、確かに他社軽トラよりはるかに高性能だったものの、整備士泣かせの代物でした。

幸い、4年ほどして4輪車の生産・販売体制を整えたホンダが本腰を入れて量販車の販売に移り、N360と同じエンジンを積むT360後継の軽トラ、TN360が1967年11月に発売されます。

ちなみに精密機械のようなDOHC4気筒エンジンのT360も、オートバイ由来ではるかに簡素なSOHC2気筒エンジンのTN360も同じ30馬力、最大トルクはシリンダーあたり排気量が大きいTN360の方が上なくらい。

凝りすぎた設計のT360から、マトモな設計のTN360になって性能は同等以上ですから、ユーザーは一安心、整備士にとってもヤレヤレやっとマトモに整備できる軽トラが出た、という心境だったかも?

そこは独立独歩のホンダ式、アンダーフロアミッドシップ!

外からはわかりにくいが、後輪前方の荷台下にN360のパワーユニットをシリンダー横倒しで搭載したダンダーフロアミッドシップ

しかし何しろ時代が古いほど、つまり「オヤジさん」ことカリスマ創業者の本田 宗一郎が若くて元気な時代ほど誰の真似もしない独自路線を好むホンダでしたから、TN360も一筋縄ではいきません。

N360譲りのエンジンがパワフルな代わりに豪快に轟音を上げつつ疾駆する高回転型だったのはまだ普通な方で、エンジン搭載レイアウトはT360では普通だった縦置きFRではなく、なんと後輪前方の荷台下へ横置きする、アンダーフロアミッドシップ方式。

荷台下搭載のためシリンダーをほぼ横倒しにしたのを除けば、N360のパワーユニット一式をほぼそのまま搭載したためで、後にMR2やビートのようなFFパワーユニット転用ミッドシップスポーツと同じです。

この方式のミッドシップスポーツはイタリアのフィアットX1/9(1972年)が始祖とされていますが、それよりはるかに早くFF転用ミッドシップを作ったわけで、どうせならそのまま20年以上早くビートを作っていても面白かったかもしれません。

広々とした荷台は、そのまま強度を受け持つプラットフォーム

余計な張り出しがないどころかキャビンへ食い込んでさえいる広々とした荷台中央には、パワーユニットのメンテナンスハッチがある

この構造のおかげでキャビンとエンジンは十分距離が取られ、RRレイアウトのスバル サンバーと同じく尻の下からエンジンの騒音や振動、熱に悩まされない、荷台やキャビンにエンジンが張り出さず、何なら荷台はキャビンに多少食い込み荷台長を長く取れました。

その代わり、エンジンのメンテナンスハッチは積載中には開けない荷台床に開けねばならず、サンバーより整備性の面で若干不利でしたが、農道のポルシェ(サンバー)と並ぶ「田舎のフェラーリ」とあらば、多少の不便も致し方ありません。

それより特異だったのはパワーユニットを載せたフレーム上へ荷台を載せる構造ではなかったことです。

なんと荷台床そのものが構造材として強度を受け持つプラットフォームであり、そこにくくりつけたパワーユニットから左右輪へドライブシャフトを伸ばす、ド・ディオンアクスルという特殊な車軸懸架を採用。

つまりTNおよび後継のアクティでは、パワーユニットをくくりつけた荷台こそが「本体」(プラットフォーム)で、そこへキャビンやタイヤを装着した構造で、純粋な軽商用車としては他に例を見ない特殊なものです。

もっとも、その特殊な構造ゆえに派生モデルは作りにくく、バモスホンダや1990年代のZ(2代目)も奇をてらいすぎて販売不振に終わり、高コスト体質を改善できなかったアクティの寿命を縮めました。

走りはミッドシップらしく軽快、雪道に強いクローラもあった

排気量や寸法の拡大、装備の充実はあったものの、基本このままの構造で2021年のアクティトラック廃止まで約54年も作り続けた

構造はいささか特殊すぎましたが、空荷でも前後重量配分に優れて駆動論にもしっかりトラクションがかかるのは大きなメリットです。

不整地や雪道など悪路走破性も高く、さらに前輪へスキー、後輪にタイヤと交換でクローラベルト(いわゆる「キャタピラ」)を履かせられる、T360譲りの「スノーラ」(1969年11月追加)を装着すれば、豪雪地帯でも無類の走行性能を発揮しました。

おかげで高価格化や車検の義務付けで、安価な小型車への価格競争力を失っていた軽乗用車と違って安定した需要があり、他社と違って1BOXバンを持たない不便さはあったものの、1974年にホンダが軽自動車のほとんどから一時撤退後も、継続生産されます。

それも「根強い需要があるので仕方なく」という形ではなく、丸目4灯ヘッドライトのTN-V(1972年)や装備の充実、1977年に550cc化へ伴いアクティ(当初は「TNアクティ)へと改名するなど積極的な改良が行われており、多くのホンダ軽トラファンを生みました。

アクティの晩年は商用車需要の減少でコストがかけられなかったのか、改良が追いつかずにさらに販売が低迷するという悪循環でしたが、いつか電動化などを機会に、ホンダらしい軽トラが再び復活してくれれば、と思います。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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