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「ミッション:BMW製エンジン勢を撃破せよ」マーチホンダ812が挑んだF2への道【推し車】

今度は日本でも熱心に取り組む!ホンダのフォーミュラレース

ホンダコレクションホールで展示されているマーチ ホンダ 812(1982年参戦時のJPSカラー)

1980年代はじめ、1978年に宣言した「レース復帰」に沿って2輪・4輪でのワークス活動を再開していったホンダですが、4輪部門の頂点たる第2期ホンダF1へ向けた腕試しとしてヨーロッパF2選手権に参戦する一方、今回は意外にも「全日本F2選手権」へ参戦します。

「意外にも」というのは、1960年代のホンダはF1やヨーロッパのF2に力を入れる一方で国内フォーミュラの振興には全く熱心ではなかったためで、鈴鹿で走らせようと仕入れたブラバムのF2/F3マシンもアッサリ放出してしまったほど。

もっとも、そうなった「事情」も1980年代には深く考えない事にしたのか?マーチ812へ積まれたホンダエンジンは後にF1で活躍する中嶋 悟などとともに、成長していくのでした。

ホンダ以前は三菱が熱心だった、国内フォーミュラ事情

マーチ812とホンダRA261Eの組み合わせは1981年全日本F2第2戦からで、開幕戦の中嶋 悟はラルト ホンダ RH6-80で戦った
出典:flickr.com Author:Iwao CC BY 2.0

1963年の第1回日本グランプリ、あるいはそれ以前からの大型セダンによるストックカーレースに始まった戦後日本の4輪レースですが、何しろ主催者から参加者まで素人ばかり。

しかも初期の日本GPを支えた鈴鹿サーキット、つまりホンダと、後から開業した富士スピードウェイを支えるアレコレとの間には政治的な動きもあって利権だなんだとツマラナイ話が山積みです。

必然、「日本ではレースをどう盛り上げていくんだ?」という話は脱線しがちで、市販車のスプリント(短距離)レースから、TNT(トヨタ・日産・タキレーシング)を中心とした大排気量モンスタープロトの耐久レース、ツーリングカーレースと暗中模索。

ひとつだけ言えたのは、ヒョロっとしたモヤシみたいなフォーミュラカーはパッと見で速そうには見えず、自分たちが日頃乗ったり見かけたりするクルマやメーカーと関係なさそうだったので、当初あまり期待されていなかった事です。

それでも初期のエキシビジョン的な前座レースから少しずつ認知され、1970年代に全日本F2000選手権や、軽自動車用エンジンを使ったFJ360に始まるフォーミュラジュニアが盛り上がるわけですが、そのトップカテゴリーを牽引したのは意外にも三菱。

1,000cc級の「コルトF3」や1,600~2,000cc級の「コルトF2」シリーズで海外勢と正面から戦い、ギャランGTOへF2用のR39Bエンジンを積んだスペシャルモデルを東京モーターショで発表していましたが、このへんの流れにホンダはほとんど関与していません。

海外でF1やF2が忙しかったから…富士スピードウェイっていわば鈴鹿のカタキみたいなもんで…とかいろいろ憶測はありますが、定かではなく。

ともかく鈴鹿でレーシングスクール構想頓挫後に放出された、ブラバムBT16/18といったF2やF3マシン、S800やホンダ1300用をプライベーターが改造したレーシングエンジンを除けば、海外F1/F2と国内フォーミュラは少なくとも表向き、全くダブらなかったわけです。

4輪レース復帰で全日本F2へ参戦

ラルトRH6に比べるとマーチ製シャシーへホンダRE261Eのマッチングは少々苦労したらしく、後付け感が目立つ部分も

しかし、1980年からヨーロッパF2へエンジンコンストラクターとして参戦した頃になると、シビックやアコードの成功で躍進したホンダは、かつての町工場に毛が生えたような零細中小メーカーでもありませんし、国内にも目を向ける余裕があったようです。

「チームヤマト」など社員有志チームによるツーリングカーレースやタイムアタックなどへの参戦だけでなく、国内ワークス活動にも力を入れる事となり、市販車ベースではグループAレース(JTC、全日本ツーリングカー選手権)、フォーミュラでは1978年から国際規格で改めて始まっていた、全日本F2選手権へ1981年から参戦します。

初期に供給を受けたのはヨーロッパ帰りの戦後草創期日本人エースドライバー、生沢 徹が率いるi&iレーシングで、ドライバーは後にF1でも活躍する中嶋 悟、マーチ812へヨーロッパF2と同じRA260系エンジン(初年度はRA261E)を搭載し、勇躍出撃しました。

ライバルのBMWエンジンを席巻!

マーチ ホンダ 812は中嶋 悟のドライブで1981年途中~1982年途中まで使われ、リザルトを見るとヨーロッパF2ではラルトRH6に乗ったマイク・サックウェルなども、全日本F2では同じマシンで参戦している。

国内でもホンダが参戦当初の代表的なF2用エンジンはヨーロッパと同じくBMWのM12/7系で、1962年のBMW1500に始まる「ノイエ・クラッセ」シリーズ以来の直列4気筒をベースとして、1.5リッターターボ版はF1でも使われる優秀なエンジンでした。

しかし、「燃焼室の大きさが同じなら気筒数が多い方が馬力を稼げる」という発想から作られたホンダV6、それもジャッドからのアドバイスで徹底的に磨き直したRA261E以降のホンダエンジンとは世代が異なり、ヨーロッパに続き日本でもF2選手権を席巻。

中嶋 悟は1981年、1982年と2連覇を果たし、1983年にはヨーロッパF2でもラルト ホンダRH-6で活躍したジェフ・リースが、1984年からは再び中嶋がホンダエンジンで3連覇、ホンダ参戦以降はF2終了、F3000へ切り替わるまでライバルエンジンを寄せ付けません。

その後、F2後継レースの国際F3000、全日本F3000ではRE260系から発展した3リッターV8エンジンRE368Eを本田 博俊の「無限」(現・M-TEC)へ託し、ホンダ自身はF1での活動を本格化させていきました。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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