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「地味な見た目だけどアッチ(性能)は凄いんです」5代目ホンダ アコードの栄光【推し車】

短くとも熱かったJTCCと、強く印象に残ったアコードの活躍

1996年のJTCCで服部 尚貴のドライブにより12戦6勝、ドライバーズタイトルを獲得した「JACCS(ジャックス)アコード」

1990年代半ばにJTCC、「全日本ツーリングカー選手権」というレースがあり、1993年までのグループAレースと言われた同名の選手権(略称はJTC)とは全く別物ですが、なかなか面白いレースでした。

筆者が見に行ったのはほぼトヨタ車だけになった最終年の1998年で、チェイサーとコロナEXiV、それに1台だけシムスのインプレッサワゴンが出てる状態でしたが、スタートと同時に1コーナー目掛け、マシン同士が普通にぶつけながら走ってくるのに驚いたものです。

そのJTCCで1996年にデビューするや、猛烈に速かったのが5代目のホンダ アコードで、市販車ベースで改造範囲の狭いグループAレースで強かったホンダが、シビックフェリオでの苦戦の末、市販車を本格的に改造するレースマシン製作を学んだクルマでもあります。

ホームストレートではライバルが止まって見えるほどの加速で次々と追い抜き、コーナーでも圧倒するアコードと、性能差を腕で詰めるトヨタや日産勢との真剣勝負が手に汗握る熱さで、結果的に短期間で終わるJTCCの最盛期を支えた名車でした。

北米市場重視で3ナンバー化した5代目アコード

JTCCに参戦するアコードのベース車となった、5代目アコードSiR(後期型)

1976年にシビックの上級車種として初代モデルが発売されて以来、アコードは日米で4ドアセダンを中心に広く支持を得た人気車種でしたが、4代目(1989年発売)の途中で日本市場はバブル崩壊とRVブームによるセダン人気の凋落で、アコードの低迷が始まります。

その一方、北米市場では引き続きトヨタ カムリと販売トップを争う人気車種だったため、1993年に発売した5代目アコードは北米寄りのモデルチェンジとなりました。

具体的には日本での5ナンバー枠を超える3ナンバーボディと、主力グレードやスポーツグレード「SiR」への2.2リッターエンジン搭載で、税制改正により3ナンバー車の自動車税が安くなっていたとはいえ、日本では事実上の車格アップです。

むしろ5ナンバー枠という制約がなくなった分、スタイリッシュなデザインを手に入れ、翌1994年にモデルチェンジしたアメリカ製のワゴンは、レガシィに対抗できる数少ないスポーツワゴンとして日本でも人気になりました。

ただし、そもそもセダンが売れなくなり、まだ3ナンバー車に対して贅沢品という意識が残る日本で、「3ナンバーのアコードセダン」は従来からのイメージに車格が合いません。

日本ではセダン自体売れなくなったので、アコードの出来が悪かったわけではないのですが、パッとしない販売実績から次の6代目(1997年)では5ナンバーサイズの日本仕様が作られるも、今に至るまでアコードセダンの人気は復活しないままです。

シビックフェリオでの鬱憤を晴らしたJTCC参戦

1997年は道上 龍に託されたJACCS MCアコード。アコードSiRのH22Aをショートストローク2リッター化、空力パーツの効果もあって大柄なボディによる重量増をものともせず、とにかく速かった

グループAの勢いでイケると思いきや、シビックフェリオで大苦戦

5代目アコード発売翌年の1994年、従来は市販車ベースのグループAマシンで戦われていた全日本ツーリングカー選手権「JTC」が、選手権名称は同じまま、2リッター以下の自然吸気エンジンを積む4シーター・4ドア以上のマシンで戦う「JTCC」へと衣替え。

要するにBTCC(イギリスツーリングカー選手権)をモデルにした4ドアセダンレースですが、ターボなど過給機を使えたJTC時代に対してエンジンパワーが落ちるため、当初は1.6リッター級小型セダンをベースに2リッターエンジンを積んでの参戦も多々ありました。

そこで、DOHC VTECなど高性能エンジンに4輪ダブルウィッシュボーンサスというシビックの素性の良さを活かし、JTCのクラス3で無敵の強さを誇ったホンダも自信満々にシビックフェリオSiR(初代EG9)を投入しますが、これが期待に反して全く勝てません。

これはカローラやサニー、ファミリアといった同クラス他車も同様で、いずれも開発余裕のある大型マシンが主力となりますが、ホンダは根本的にグループAマシンの開発経験はあっても、市販車とかけ離れたツーリングレース用マシンの経験がなかったのも問題です。

「レースで強いホンダ」を取り戻したアコード

そこで、1995年に生産終了した初代シビックフェリオはそのまま引っ込め、翌年からの後継として白羽の矢が立った5代目アコードSiRは、レーシングカーとして根本的な大改造が行われました。

既に発売から3年目、マイナーチェンジを控えるとはいえ拡販には遅すぎた5代目アコードのJTCC参戦でしたが、ホンダにとってはそれだけ「負けっぱなしで撤退するわけにはいかない」という、大きな危機感があったのかもしれません。

JTCCに投入されたアコードは、抜群の空力性能とコーナリング性能を兼ね備え、ノーマルのH22Aをショートストローク化した2リッターDOHC VTECエンジンを唸るとストレートでもコーナーでもライバルをぶち抜き、そのまま引き離す快走を魅せます。

勢いに乗って1年目はドライバーズタイトル、2年目にはドライバーズ&チームタイトル(無限)も獲得したアコードですが、1997年にはモデルチェンジ。

ホンダは5ナンバー化された6代目や他のベース車でJTCCへの参戦を継続することもなく、その年限りで撤退、JTCCでの短く熱い戦いを終えました。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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