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シャレード

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トヨタ傘下になったダイハツが意地と執念で開発した「G計画」、小型軽量は正義でよー走りました!初代シャレード(1977年)【推し車】

省燃費、省スペースに徹した5平米リッターカー

初代シャレード後期型XTS、後にダイハツの伝統だったこともある、スポーティ系の赤黒ツートンカラーは1981年当時既にあった

ジアコーサ式FFレイアウトを採用した日本車というと、ホンダの軽乗用車、初代ライフ(1971年)や、ライフをスケールアップしたような小型車、初代シビック(1972年)という前例があり、三菱も初代ミラージュ(1978年)で採用します。

ただ、ダイハツの場合はあくまで「トヨタ車と販売面でバッティングしないクルマ」という条件があったので、2代目パブリカより小さいリッターカーで、最大限のキャビンスペースを確保できるジアコーサ式レイアウトのFF車でなければいけません。

しかし当時のダイハツで1リッターエンジンといえば、コンパーノ以来、コンソルテでも使っているFE型があったものの、軽自動車よりちょっと大きい程度のコンパクトカーへ直列4気筒のFE型を横置きすると、前輪の切れ角が確保できないのが難点。

そこで思い切って、軽自動車でもダイハツには前例がなかった直列3気筒で短い1リッターエンジン「CB」型を新開発して、横置きしても前輪のキレ角を確保しました。

エンジンルームなどメカ部分は最低限に、人が乗るキャビン部分は最大限にというと、ホンダのMM思想(Man-Maximum、Mecha-Minimum)を連想しますが、スペース効率の高いコンパクトカーを作るなら、1970年代でも常識となり始めており、ダイハツも当然採用。

こうして、1970年代の日本では珍しい水冷直列3気筒SOHCの1リッターエンジンを積むリッターカーでありながら、広々としたキャビンを持つ3ドア/5ドアハッチバックの「5平米カー」と宣伝された初代シャレードが、1977年11月に発売されました。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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