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OEMにしてはインパクトがデカかった!スズキ世界進出の足がかりとなった静岡生まれのアメ車、シボレー MW&クルーズ【推し車】
スズキ製シボレー車の国内販売第一号、シボレー MW
1980年代に米GMからの依頼で、1960年代に細々と販売したフロンテ800以来となる小型車を開発、「シボレー」、後に「ジオ」といったGMの低価格車ブランドへ供給する一方、自社ブランドでも、「カルタス」として販売し、小型車市場へ本格参入したスズキ。
当初GMの注文通りに作った安普請のクルマでは納得いかず、自社ブランドでも売るのだからと初代カルタス後期から気合を入れた大改良を断行し、それがGMにも受け入れられて、小型車メーカーとしての堅実な成長と、軽自動車メーカーからの脱却が進みました。
1998年9月には、GMグループの小型車部門として提携関係を強化、スズキはGMへクルマを供給するだけでなく、新興国のGM工場へ出資するなど、全世界規模で戦略的パートナーとなったのです…今はトヨタ陣営の一角にあるスズキにも、そんな時代があったのです。
2000年9月に日本で発売された「シボレー MW」も、そうしたスズキ・GM蜜月時代を象徴した動きのひとつで、小型車版ワゴンRの「ワゴンR+(プラス)」をベースに、フロントグリルなどをシボレー仕様としたOEM供給車。
海外では多数の実績があった「スズキ製GM車」ですが、日本国内向けとしてはMWが初でしたが、「アメ車に乗りたいけどデカすぎるし信頼性が…」「ただのワゴンRを買ってもどうせカスタムするし」という層が多かったのでしょうか。
大ヒットしたというわけではないのですが、本家ワゴンR+よりインパクトのあるフロントマスクだったおかげで、当時はよく見かけた覚えがあります。
GMオートワールド店(後にGMシボレー店)のほか、スズキアリーナ店などスズキのディーラーでも2010年まで販売されるという、地味ながら息の長いクルマでした。
パワフルでなくとも何もなくて軽い速い、これでいいんだ!
- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...