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トヨタは昔、コースターより大きいバスも作っていた…ボンネットバスFB80型【推し車】

トヨタは昔、コースターより大きいバスも作っていた

トヨタ博物館に展示されている、1963年式トヨタFB80型ボンネットバス

今でもマイクロバスのコースターや、コミューターバスにも使われるハイエースコミューターを販売しているトヨタですが、かつては路線バス用の立派な大型バスも生産していました。

さすがに筆者が幼い頃(1970年代後半)に乗った記憶はありませんが、トヨタ博物館に展示されているFB80型ボンネットバスの内装など見ていると、板張りの床板など昔のバスの懐かしい思い出が蘇ります。

創業初期からバスシャシーも作っていたトヨタ

運転席回りはシンプルで質実剛健だが、車内放送用の装備品などは当時なかったのだろうか

1933年に豊田自動織機製作所の自動車部として創業したトヨタですが、1937年にトヨタ自動車工業として独立する以前からトラックや乗用車の試作と量産化を始めており、1935年11月には発売第1号としてG1型トラックを発表しました。

2ヶ月後の1936年1月に発表された「DA型」バスシャシーがトヨタのバス第1号で、基本的にはG1型トラックとエンジンやフロントマスクは共通、ホイールベースやトレッドも同じなのでG1型にバスボディを架装したかに見えますが、実は専用の低床シャシーです。

普通の乗用車でも1950年代まではそうでしたが、バスは戦後も長らくバスシャシーへ顧客が希望するタイプのボディを架装する方式が続き、戦前のトヨタバス第1号DA型も、ボンネットやフェンダーから後ろは架装業者によってボディがマチマチでした。

戦時中のトラックシャシー流用から戦後にバスシャシー復活

ボンネット型に限らずフロントエンジンバスは中央部に乗降用ドアがひとつだけの場合が多く、混雑時の乗降は時間がかかりそう

1939年6月には、DA型の3.4リッター直6OHVエンジン「A型」の改良版で、戦後まで使った初代「B型」(2代目は1960年代末からのダイハツ製ディーゼル)へ換装したDB型が登場しますが、太平洋戦争が始まる直前、1941年9月にDB型バスシャシーの生産を終えます。

もちろん、戦時下であれ国民の移動用公共交通機関は必要なのでバスの生産も復活しますが、資材の節約や生産性重視により、1942年9月からのKB型(1944年6月以降は戦時簡易版のKC型)トラックシャシーへバスボディを架装していました。

戦中戦後のガソリン供給が安定しない時期は、木炭ガス発生装置を取り付けた木炭自動車へ改造されていたバスが多く、さらに終戦後も物流回復のためトラックが最優先で作られたため、トヨタでもバスシャシーはなかなか復活していません。

何しろGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に許可された台数を、資材不足の中で闇から仕入れた材料で何とか作り、さらに戦争中から続いた配給制度で割り当てるのでバスなどなかなか作れなかった頃です。

日野の「トレーラーバス」など、1台で収容人数を極大化しようとした特殊なバスもありましたが、トヨタは普通に戦前同様のトラック派生バスシャシーで復帰し、1949年9月にBL型(B型エンジン)/FL型(3.9リッター直6のF型エンジン)の生産を始めました。

1970年代まで生産された、トヨタのフロントエンジンバス

男女1名ずつの名札が運転席頭上に貼られていたが、男性運転手のほかに女性車掌がいた時代ということだろうか?

その後もトヨタは路線バス向けの低床バスシャシーを生産、戦前からの初代B型エンジンは1950年代半ばまで、その後は初代B型の排気量を拡大したF型ガソリンエンジンを1973年4月まで生産しましたが、その最終モデルのひとつがトヨタ博物館に展示しているFB80型。

なお、フロントエンジンのバスはボンネット型のほか、現在も走る先端まで箱型キャビンのフルキャブオーバー型も「FB80C」など型式末尾にCがつく形で作られますが、ガソリンエンジンでは排気量を上げたF型でもパワー不足で、ほとんどがボンネットバスです。

一応、1947年にリアエンジンのBW型を試作し、1953年8月にはFR型リアエンジンバスの生産を始めたものの、やはりパワー不足でわずか8ヶ月の短命に終わっています。

1957年8月に5.9リッターD型を積むフロントエンジンのDB70型、1958年9月に6.5リッター2D型を積むリアエンジンのDR10型でトヨタもバス用大排気量ディーゼルエンジンを実用化してからは、フロントエンジンでもフルキャブオーバー型が増えました。

傘下に置いた日野に任せ、大型バスからは撤退

筆者が覚えている1970年代後半のバスも床は板張りだが、もっと汚くて手で触ったら「バッチイ!」と怒られ、便所の床みたいな扱いだった

トヨタ博物館のFB80型などBB型/FB型(1954年登場)のボンネットバスは、丸目2灯ヘッドライト+補助灯、あるいは丸目4灯ヘッドライトの中央に楕円形グリル、そしてヘッドライトとグリルを囲むような楕円形フロントマスクがデザイン上の特徴でした。

大排気量ディーゼルエンジンを積むDB型にも踏襲されますが、1964年に登場した最終モデルのDB100型では同時期のFA100型トラック同様に角張ったデザインとなります。

しかし1966年には大型バス、トラックを得意とする日野自動車を傘下に加えた事で、トヨタ自身が同種の車種を開発・生産する必要性がなくなり、リアエンジンのDR10型は1969年2月、フロントエンジンのDB100型も1975年7月で生産を終えました。

なお、筆者が物心ついた1970年代後半にはもう都市部でボンネットバスなど走っておらず、宮城県の秘湯、峩々(がが)温泉が運行していたいすゞの4輪駆動ボンネットバス「蔵王ぎんれい号」(※)へ乗ったことがあるくらいです。

(※同車は個人ユーザーが引き取り2019年に復活)

当然トヨタのバスに乗ったこともないはずで、トヨタ博物館のFB80型の内装には「確かにこんな感じのバスに乗った覚えが」と懐かしく感じるものの、昔のバスはこんなにキレイではなく、もっと暗くてどんよりした乗り物だったような気がします。

博物館の展示車はピカピカすぎて、現役当時の姿とはちょっとかけ離れてしまうのが難点ですね。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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