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「パクリではない!」むしろデザインでは追い越していた?初代スズキ スズライトフロンテ【推し車】

販売面では苦戦したものの、今見ると面白い初代フロンテ

スズキ歴史観に展示されている、スライトフロンテTLA

初代アルト以前にスズキの主力車種だった軽乗用車「フロンテ」。

出世作はRR(リアエンジン・リアドライブ)化した2代目からですが、まだ前身スズライトのFF(フロントエンジン リアドライブ)レイアウトと車名を受け継ぎ、「スズライト フロンテ」を名乗っていた初代も第1回日本グランプリでスバル360を下すなど活躍しました。

今見ると、歴史的名車BMC ミニ(1959年)の影響を強く受けただけでなく、後期型FEA-II(1965年)はミニのフェイスリフト版「ミニ クラブマン」(1969年)を先取りしたようなフェイスリフトを受けており、真似したのかどちらも独自の進化なのか、興味深いです。

明確に和製ミニを目指して成功したホンダ N360より5年も早く生まれた「スズキ版ミニ」は、初期型TLAと後期型FEA IIがスズキ歴史館に展示されています。

スズライトSSからの正常進化型、初代スズライトフロンテTLA

インテリアは簡素だが、乗用車として落ち着いた雰囲気にしようとした努力が見える

戦前にトヨタ同様、織機メーカーからの脱却を図って四輪車を試作し、戦中はお決まりの軍需工場化、戦後にホンダの「バタバタ」での成功を見て自転車用補助エンジンから始めて2輪メーカーとなり、ついには1955年に4輪車進出を果たしたスズキ。

一応、それ以前のニッケイタローやフライングフェザーよりマシだったとはいえ、西ドイツ(当時)のロイトLP400をリバースエンジニアリングして模倣し、エンジンも含め(当時のスズキは4サイクルエンジンを作れなかった)何とか国産化したのが軽乗用車スズライトです。

ただし最初はロクな工作機械もなく、最初の頃は素の鉄板から叩き出しでボディを作ったり、作れないところはヨソから買ってくる町工場レベルで、少しずつ工作機械を入れて近代化を図って、初代スズライト キャリイ(1961年)からようやくメーカーらしくなります。

その初代キャリイはFRでしたが、スズライト以来のFF車も軽ライトバンのスズライトSL(1955年)、同SD(1955年)を経て、同TL(1959年)でどうにか近代的な自動車のカタチになり、TLの乗用車版TLAが1962年に発売。

このTLAに「フロンテ」と名付けたスズライトフロンテTLAが、文字通り手作りだったスズライトSS以来となる、スズキ初の(ちゃんと生産用機械を入れてからという意味で)本格的な軽乗用車となりました。

まるでミニのような外観と独立トランク

BMC ミニと同じ独立トランク式といってもデップリしていてあまりスマートではないが、使い勝手はかえって良かったかも?

ライトバンのスズライトバンTLが、貨物の積み下ろし用に便利な上下2分割式バックドアを備えたのに対し、スズライトフロンテTLAではキャビン後端を少々縮め、リアバンパーの上から大型トランクリッドがガバッと開く、独立トランク式でした。

フロントは左右フェンダー延長線上の丸目2灯ヘッドライトにメッキグリルとTL同様、TLと同年に発売されたイギリスのBMC ミニ(いわゆる「旧ミニ」)とも似ており、独立トランクも同様ですが、サイズはミニの方がやや大きく、トランクはミニの方がキレイな作りです。

元になったTLがミニと同年デビューなので、決して真似したわけではないものの、細部の作りの粗さは明確に差があり、そこはミニの方がさすが自動車先進国と言えます。

分離給油を採用、第1回日本GPでスバル360を下したFEA

いかにも「日本GPでスバル360を下したのはワタシです」と言いたげなレーシングモディファイですが、実際に勝ったのはこのTLAではなく中期型のFEA

発売翌年の1963年には早くもナイナーチェンジで「スズライトフロンテFEA」へと更新、内外装に大きな変化はなかったものの、空冷2サイクル2気筒エンジンが高回転での焼き付きに悩んでいたT型から、「セルミックス」という分離給油方式のFE型となります。

セルミックスは後にCCI(シリンダークランクインジェクション)と名を変え、キャリイのFBエンジンにも採用されますが、シリンダーとクランクシャフトへ別々にエンジンオイルを給油する機構で、ダイハツの「オイルマチック」と同時期に開発された、当時の最先端技術。

しかし、エンジンパワーはやや勝ったものの、軽量化技術で先を走っていたスバル360には販売面で全くかなわず苦戦しますが、そんなスズライトフロンテFEAが普段の鬱憤を晴らすがごとく脚光を浴びる出来事がありました。

それが1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリで、スバル360を擁する富士重工は「売れてて性能でも勝るウチが勝つのは安心」とほぼノーマル車で楽勝ムード。

それに対しスズキ側は、エンジンチューンで6馬力上げ、サスペンションも固めたレース車を製作、それでも確かに予選ではスバルの後塵を拝するも、バン用(1963年発売のスズライトバンFE用?)の加速重視型ミッションへ載せ替えて決勝へ挑みます。

これでレース本戦開始直後、3、4番手だったフロンテFEAはスタートダッシュに失敗したスバル360をいきなりブチ抜き、固めた足でコーナーを悠々クリア、市販車そのままの足でコーナーではヘロヘロなスバルの追従を許さず、ブッチギリの1-2フィニッシュ!

トヨタに敗れたプリンスと全く同じ失敗で、自身の甘さに怒り狂ったスバルは翌年の第2回グランプリで雪辱を果たしますが、プリンスと違ったのは市販車の販売にはあまり大きな影響を与えず、ホンダN360登場までスバル360のベストセラーが続いたことです。

ミニクラブマンを先取りした?スズライトフロンテFEA II

バンパーのプレートに「FEA」とありますが正しくはFEA II、機会があればミニクラブマンと見比べてみてください、ソックリなので

初代フロンテは1965年に最後のビッグマイナーチェンジを受け、フェイスリフトでフロントマスクのイメージが大幅に変わった後期型、「スズライトフロンテFEA II」となります。

セルミックスはコンロッド大端部、クランクベアリング、シリンダーなど主要部分へ2サイクル用オイルを直接給油する「CCI」と名を変え長時間高速運転へさらに自信をつけましたが、面白いのはフロントマスクです。

丸目2灯ヘッドライトが突き出したTLA/FEAから、左右一杯の大型フロントグリル左右端へ丸目2灯ヘッドライトを配置しており、フロントグリルは中央の縦枠で左右分割されたようなデザイン(同年マイナーチェンジしたスズライトバンFE IIも同様)。

BMC ミニがイメージチェンジと上級版ウーズレー ホーネットおよびライレー エルフの後釜を狙って1969年にデビューした「ミニ クラブマン」とかなり似ています(もちろんスズライトFEIIはミニ クラブマン エステートにソックリ)。

デビュー年さえ考慮しなければ「スズキがミニを真似た」と言われそうですが、実際にはフロンテFEA II / スズライトFE IIの方が4年早くデビューしており、逆にBMC側が真似たのか、同じデザイナーに依頼したか、それとも互いに独自進化なのか…真偽は不明です。

いずれにせよ、フロンテFEA IIは1967年にRRレイアウトのフロンテ360(LC10)へ、スズライトバンFE IIも1969年にFRレイアウトのフロンテバン(LS10)へとモデルチェンジした際、ミニと同時期に登場、似たような進化を遂げたデザインからは脱却していきました。

むしろデザインは大幅に洗練され、ホンダN360ともどもヒット作となって、軽乗用車初のロングセラーモデル、スバル360に引導を渡していったのです。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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