MOBY(モビー)自動車はおもしろい!

MOBY[モビー] > メーカー・車種別 > スズキ > スズキの元祖看板車種こと「フロンテハッチ」軽ボンバンの歴史を塗り替えた進化の歴史【推し車】
スズキ

更新

スズキの元祖看板車種こと「フロンテハッチ」軽ボンバンの歴史を塗り替えた進化の歴史【推し車】

初代アルトの前身とは本質的に異なる「フロンテハッチ」

これが「もうひとつのフロンテ」、FR軽ボンネットバンのフロンテハッチ

1960年代から1980年代にかけて存在したスズキの軽乗用車であり、初代アルト(1979年)登場以前は看板車種だった「フロンテ」。

2代目(1967年)からリアエンジン・リアドライブのRRレイアウトになりましたが、そうなると商用バンとしては実用性が厳しいため、フロントエンジンの商用バン仕様となる「もうひとつのフロンテ」が並行して存在することになりました。

これを「初代アルトへの架け橋となる元祖軽ボンネットバン」と解釈する場合もありますし、スズキ歴史館へ展示されている「フロンテハッチ」の説明にもそう書いてありますが、実質的には初代スズライトSL以来続いてきた貨客兼用車の系譜。

「税金が安く、簡素化で車両価格も安くするために軽商用登録となった初代アルト」と比べ、普通車でいうライトバンやステーションワゴン、あるいは「RV」的であり、本質的には全く違うジャンルのクルマと考えた方がいいでしょう。

今回はスズキ歴史館に展示されているフロントハッチの画像を交えつつ、初代アルト以前のスズキ軽ボンネットバンを紹介します。

1969年のフロンテバンへ至る、スズキ軽ボンバン史

RRのフロンテではバンを作りにくいので、キャリイと同じFR配置でフロントにエンジンを置き、ボディ後半はテールゲートつきの貨客スペースになった

そもそもスズキは四輪車初参入となった最初の軽自動車、初代「スズライト」の頃から販売は貨客兼用、後の世でいう軽ボンネットバンのスズライト「SL」が販売の主力でした。

物品税がかかる乗用セダンの「SS」、実用性が乏しいピックアップ仕様の「SP」、デリバリーバン仕様の「SD」は早々にカタログ落ちして、税金も車両価格も安く、1人乗りとはいえ後席もある「SL」1本に絞っています。

1959年にモデルチェンジした2代目も、当初は軽ボンバンの「スズライトバンTL」のみ、1962年に乗用登録の「スズライトフロンテ」が登場後は、1963年のビッグマイナーチェンジ版スズライトバンFE、1965年の同FEIIともにルーフを伸ばしたライトバン仕様です。

ここまではスズライトバン、スズライトフロントともにフロントエンジン・前輪駆動のFF車だったので、同じようなクルマの乗用版/商用版で良かったのですが、1967年に2代目フロンテがリアエンジン・後輪駆動になると、乗用版は独自の道を歩みました。

それが1969年に発売された「フロンテバン」で、乗用登録のフロンテとも、先代にあたるスズライトバンとも異なり、直列2気筒エンジンをフロントへ縦置きし、後輪を駆動するFR車。

それまでのスズキでFR車といえば軽貨物車のキャリイでしたから、フロンテバンはスズライトバン後継であるのと同時に、1969年まで生産されていた、ボンネットバンタイプの2代目「スズライト キャリイ」後継も兼ねたようです。

いささかややこしくなったので、以下の表で1969年までを整理します。

軽乗用車軽ボンネットバン軽1BOXバン軽トラック
1955初代スズライトSL初代スズライトSLなし初代スズライトSP
1959(廃止)2代目スズライトバンTLなし(廃止)
1961なしなし初代キャリイ
1962初代フロンテTLAなし
1963初代フロンテFEA2代目スズライトバンFEなし
19642代目スズライトバンFE
初代キャリイバン
なし
1965初代フロンテFEAII2代目スズライトバンFEII
初代キャリイバン
なし2代目キャリイ
19662代目スズライトバンFEII
2代目キャリイバン
なし2代目キャリイ
3代目キャリイ
19672代目フロンテ
なし
1968
3代目キャリイバン
19692代目フロンテ
フロンテエステート
フロンテバン4代目キャリイバン4代目キャリイ

FR化で実用性を増したフロンテバンからフロンテハッチへ

商用登録のボンネットバンとはいえ内装は乗用車チックで、簡素化を極めた初代アルトとはかなり方向性が異なる

1969年に発売した、2代目スズライトバンFEII/2代目キャリイバンを統合した後継車「フロンテバン」は、FRレイアウトの採用で積載時のトラクション性能はキャリイバン並となり、まだ耐久性が万全でなかったFF車のデメリットからも解放されました。

ただし、2代目フロンテはスペアタイヤをフロントフード下に置かれたのでトランクスペースがほとんどなく、3代目フロンテ(1970年)ではスペアタイヤをリアのエンジン上へ移してフロントにトランクを設けたものの、スペース不足解消に至りません。

そのため人と荷物を同時に載せられるフロンテバンは販売好調だったらしく、より快適なモデルが求められたので、同年中に乗用登録の「フロンテエステート」を、翌年にはテールゲートを廃し、独立トランクを儲けた「フロントカスタム/ハイカスタム」も追加します。

人も荷物も載せたいユーザーの要望へ完全に応えるべく、キャビンを限界まで広げて前後にトランクスペースを設けた4代目フロンテ(1973年)が発売されると、本来の役割に立ち返れたフロンテバンは1973年のモデルチェンジで「フロンテハッチ」へと改名。

乗用登録モデルは廃止されて商用登録のみになったものの、初期のカタログではショッピングやレジャーで使うファミリーカーとしての提案が多かったのは、エステートやカスタムの名残でしょう。

なお、フロンテハッチは、運輸省へ申請されている正式な型式だとフロンテバンと同じ「LS20」で、理由は不明ながらフロンテバンの派生車、もしくはビッグマイナーチェンジ版という扱いになっています。

ただしホイールベースからして異なるなどボディは丸っきり別物だったので、スズキ車内でのみ通用する通称型式として「LS30」を併記するという、珍しい形を取っていました。

550cc化で「フロンテハッチ55」へ

テールゲート(リヤハッチ)も垂直に近く、デザインより実用性重視の商用車、あるいはステーションワゴン的な使い方が想定された

1976年1月、軽自動車規格の改定で排気量上限が550ccまで認められると、「フロンテハッチ55」へとモデルチェンジ、今度は型式も変わってSH10型となりました。

キャビン部分はほとんど変わらず、その前方エンジンルーム部分を延長してホイールベースを95mm延長、2気筒のL50から3気筒のLJ50へ更新するスペースを確保するとともに、フロントのトレッドも広げて高速安定性を向上しています。

直列4気筒エンジン車へ強引に直列6気筒エンジンを積むべく、同じくフロント部分のみ延長したプリンス時代のスカイラインGTと同じ手法で、カタログでは「迫力のロングノーズ」と強調したものの、あまりバランスのいいスタイルとは言えません。

さらにこの頃になると、カタログも配達業やビジネススタイルの営業マンを対象にした構成となり、本来の「軽ライトバン」へと完全に回帰しています。

1979年には初代「アルト」が登場、低価格と税制面での優遇を利用して、軽ボンネットバンでありながら実質的には軽乗用車として大ヒットしますが、軽ライトバン/ステーションワゴン的に使われたフロンテハッチとは本質的に異なるクルマでした。

実際、初代アルトの開発決定前には全く違う形で「フロンテ」のモデルチェンジが計画されており、もしアルトがなければ、1980年代までフロンテハッチのモデルチェンジが続いていたかもしれません。

執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

\ この記事が役に立ったらシェアしよう /

MOBYをフォローして最新記事を受け取ろう

すべての画像を見る

画像ギャラリー

コメント

利用規約

関連する記事

関連キーワード