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スバル360
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「デメキンのてんとう虫、買ったよ!」当時メチャ流行ったスバルの「国民車」とは?【推し車】

スバル360という「スバル軽自動車の黄金期」

トヨタ博物館に展示されているのは、まだナンバー左右にフロントバンパーが分割されていた初期型の1959年式

2012年に生産を終えるまで多くのファンを生み、それから10年経った今も愛好家が多いスバルの軽自動車。

ただ、高い評価を生んだ4気筒エンジンや四輪独立懸架がかえって開発を難しくしていたようで、歴史を見ると思ったような「時代に合ったクルマづくり」ができなかったように思えますし、それがスバルの軽自動車生産撤退の原因でもあったのでしょう。

そんなスバルが自由にノビノビと作った唯一と言ってもいい最先端の軽自動車が、「てんとう虫」の通称でも愛されたスバル360で、、トヨタ博物館で展示されている初期型の画像を交えつつ、スバル軽自動車の黄金期を振り返りたいと思います。

「国民車構想」を下敷きにした、国産車初のロングセラー

「デメキン」とも呼ばれる突き出したヘッドランプがご愛嬌

1950年代半ば、終戦直後の混乱が過ぎ、朝鮮戦争での特需に沸いて急激な戦災復興を果たしていた日本では新興の自動車産業が乱立し、中には戦前からの老舗に負けない製品を開発するメーカーも出てきました。

もともと軍用機が主体だった航空機メーカー、中島飛行機が終戦直後に民需転換した「富士産業」を母体とする富士重工業、現在のスバルもそのひとつ。

進駐軍によって分割解体後、1955年に数社が富士重工業として再結集する以前から、バスの架装や「ラビットスクーター」を生産し、1.5リッターエンジンを積む試作乗用車P-1「すばる1500」(1954年)を開発するなど、精力的に活動していました。

時期尚早とされたすばる1500の販売はかなわなかったものの、その頃には通産省(現在の経済産業省)が素案を練っていた「国民車構想」が知られており、それを軽自動車で実現しようと動き出したのは1955年12月、試作コード「K-10」として開発が始まります。

アレコレと苦労しつつも、形になるだけでなく十分な性能を得たK-10は1958年3月3日、当時は東京の丸の内にあった富士重工業本社で「スバル360」として公開されるや大人気!

同じくリアエンジンのドイツ製国民車、フォルクスワーゲン ビートル(かぶと虫)の縮小版的に「てんとう虫」という愛称でも呼ばれ、約12年も販売される国産車初のロングセラーとなりました。

スバル360以前の軽自動車

内装は非常に簡素でスピードメーターのみ、本当に必要なものしかなく、窓も三角窓と、前後スライド式開閉窓の3枚窓

1949年に制定された「軽自動車」は、当初どちらかといえば軽2輪(小型オートバイ)を念頭に置いた規格でしたが、毎年のように改定されて排気量や寸法が上がると、少しずつ軽オート3輪や軽4輪車も作られるようになります。

ただ、ダイハツやマツダといった戦前からの老舗が軽オート3輪を作るようになるのは、安価な小型4輪トラック、トヨペットSKB(後のトヨエース)に対し小型3輪トラックが価格競争力を失ってから。

中小事業者が多かった戦後参入組の3輪/4輪軽自動車は本格的なものが少なく、生産台数もささやかで、後に軽自動車No.1メーカーとなるスズキの「スズライト」(1955年)が初の本格的な軽自動車ですが、性能はともかく耐久性はまだまだです。

つまりスバル360以前の軽自動車とは、「生産数が少ないので安くもなければ、だからといって小型車並の性能を発揮するわけでもなく、すぐに壊れる」という、将来性はともかく使い物にならない代物ばかりでした。

力士も乗せて富士も登る、画期的だったスバル360

富士スバルライン開通式で、力士を乗せて駆け上がるスバル360(スバルトリビアVol.52「SUBARUと富士スバルラインの意外な関係」より)

しかし、安くて高性能な「国民車」を実現すべく、富士重工業はあえて「使い物にならないものばかり」だった軽自動車へ挑みます。

制定初期に比べて緩和されたとはいえ排気量上限は360cc、それで4人乗って高速走行も可能にするなら車体の軽量化は必須で、中島飛行機時代の技術を活かしたモノコック構造と、同じ寸法なら最大限の剛性を確保できる丸みを帯びたデザインを採用。

さらに、軽量簡易でも当時の劣悪な日本の道路で耐久性と快適性を両立できるトレーリングアーム式トーションバー4輪独立懸架、駆動系の重量軽減とトラクション性能を両立しつつ、キャビンを圧迫せずコンパクトに積めるRR(リアエンジン・リアドライブ)方式。

エンジンも軽量簡易、低回転からのトルクで有利な空冷2ストローク2気筒を採用し、ルーフも軽い樹脂製とするなど、軽自動車どころか、従来の国産車ではありえない画期的な軽量高性能車が誕生したのです。

ちゃんと4人乗れて最高速度は83km/h、1963年7月に日本初の高速道路、名神高速が開通するとオーバーヒートする車も多かった中でも80km/h巡航で快走し、1964年5月の富士スバルライン開通式典では、力士を乗せたスバル360が終点の富士山五合目までグイグイ登ります。

なお、スバルライン開通式典では「ローマの休日」のフィアット500”トッポリーノ”よろしく屋根が開放できるスバル360コンバーチブルかスバル360コマーシャルが用意されたようで、力士がグレゴリー・ペックのように上半身むき出しで走りました。

ホンダN360発売まで続いた全盛期

衝突安全基準などない頃なのでドア内側は大きくえぐれており、小さなボディでも中は意外に広い

ロングセラーだったスバル360でしたが、もちろんその間に幾度もバージョンアップやモデル追加が行われました。

スズキがエンジンパワーを上げ、ダイハツやマツダも軽4輪へ参入してきた1960年にはエンジンの最高出力を16馬力から18馬力へ、完全分離潤滑方式「スバルマチック」を採用した1965年には20馬力へ向上、他にも横開き窓が昇降式になるなど、多数変更されています。

他社のようにライトバンがなく、ボディ後部を開放できた「スバル360コマーシャル」では積載力不足だったのを改善した「スバル360カスタム」を1963年に、より本格的なフルキャブオーバー1BOX車の「サンバー」を1961年にと、派生車種も充実。

1963年のレース、「第1回日本グランプリ」ではレースマネジメントに長けたスズキのスズライトに敗れますが、素性では負けないと翌年の第2回では雪辱を果たし、マツダの初代キャロル(1962年発売)に一時奪われた販売首位も奪還、スバル360の人気は続きます。

しかしいつまでもスバルの天下とはいかないもので、1967年にはホンダが31馬力エンジンを積んで豪快な加速と公称最高速115km/hを誇るFF車「N360」を発売すると、一気にシェアを奪われました。

それを契機に激しくなった軽パワーウォーズに、スバルも1968年には25馬力の「スバル360ヤングS」、ツインキャブ36馬力の「スバル360ヤングSS」で応じますが、発売10年目のテコ入れも人気回復には至らず、1970年にR-2を後継として販売終了しました。

その後の「常にハンディを背負い続けたスバル軽自動車」

リアの灯火類もブレーキ兼ウインカーのみで簡素だがクルマとしての最低限を満たしており、所得が減って生活が苦しくなった今こそ、こういうクルマが求められているかも?

12年でR-2への世代交代を果たしたスバル軽自動車ですが、R-2や後継の初代レックスはスバル360以来のRRレイアウトを引きずり、2代目レックスはFF化したものの2気筒エンジンを引きずります。

エンジンは3代目レックス末期から4気筒化するも、2気筒のスペースに積める4気筒という制約があり、1992年発売のヴィヴィオでプラットフォームから最適化、素晴らしいクルマになったものの、翌年には初代「ワゴンR」の登場で時代遅れに。

軽自動車メーカー各社が「ワゴンRみたいな売れ筋車」を発売する中、スバルは中途半端だったプレオや流行を無視したR2やR1で迷走、2006年にようやく完璧なワゴンRフォロワー、初代「ステラ」を発売して高い評価を受けますが、時すでに遅し。

その直後には軽自動車の売れ筋がより背の高い、タントや後のN-BOXのようなスーパーハイトワゴンへ移行する中、ついに軽自動車の独自生産撤退を発表しました。

時代に合わせたクルマづくりをしようにも、開発・生産能力は限られ、高い評価を受けた4気筒エンジンや4輪独立懸架も、生産にせよユーザーによる維持にせよ高コスト体質を引きずり、老朽化した生産設備を更新するだけの利益が見込めなくなっていたのです。

R-2の頃には既に問題が始まっており、努力を続けてきたものの、サンバーも含めて時代から常に半歩以上遅れ続けるハンディを背負ったスバルの軽自動車ですが、スバル360だけは間違いなく、「時代の最先端を走る軽自動車」でした。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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