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「今度のマイカーはエアコン付きだ」大衆車に快適装備を授けた車!初代ホンダ アコード【推し車】

今でも海外では人気車種、初代はどんなクルマだったのか

ホンダコレクションホールに展示されている、初代アコードハッチバックEX-5

今でこそ日本市場では「え、まだ売ってるの?」と言いたくなるほど存在感が薄いホンダ アコードですが、北米市場では乗用車部門で販売No.1だった時代ほどの勢いこそないものの、今でも売れ筋の看板車種です。

そのアコードの初代モデルは1976年に登場、後に4ドアサルーンが追加されるとそちらがメインになっていきますが、最初は初代シビックを大きくしたような、3ドアハッチバック車でした。

期待外れのホンダ1300後継車、開発コード653

本田 宗一郎 氏の指摘で「色っぽい個性」を心がけたという、初代アコードのうしろ姿

1972年に発売された初代シビックが大ヒット、市場自体が縮小して不振から抜け出せる見通しが見えなかった軽自動車から撤退(軽トラ除く)してまでフル生産に入り、一時はすっかり「シビック屋」になっていたホンダですが、落ち着くとその先の成長を考えます。

シビックと軽トラだけで食っていけるほど世の中甘くありませんし、大失敗に終わったホンダ1300を水冷エンジン化したホンダ145も、1300のボディをそのまま使ったのが災いして販売不振だったので軽自動車とともに生産をやめてしまい、上級車種がありません。

ならばその上級車種を作ろう、と計画されたのが開発コード「653」で、なんと2リッター直列6気筒CVCCエンジンを縦置きするFFセダンだったという時点で嫌な予感がしますが、いざテスト車を走らせてみると面白くないのです。

静粛性なら直6だろうと積んでみても重くてさっぱり走りが軽快ではありませんし、ホンダがFF車で実践してきたMM思想(マン・マキシマム-メカ・ミニマム)とも愛称は悪そうで、案の定、トランクも狭くてファミリーカーとしては不便でならないと、良いとこなしでした。

「ゴクローサン」から「シビックの成功した若いおじさん」へ

フルトリム化された内装と同系色のシートやシートベルトなど、内装のカラーコディネートにも気を配ったのが、当時としては先進的

これはどうかと思っているうちに「653」の開発は凍結され、ロクゴーサン(653)ならぬ「ゴクローサン」などと言われて開発陣がしょげかえっているところへ開発コード「671」の新規開発指示が出て、今度はヘタに背伸びしない現実的なクルマが作られます。

「653」の先端が低くスポーティーなノーズは活かしつつ、初代シビックの延長線上と言えるエンジン横置きFF車とされ、北米での小排気量小型セダンの需要が不透明なことから、最初はシビック同様の2BOX車を作り、折を見て3BOXのノッチバックセダンを売る事に。

「シビックのユーザーが無理なく乗り換えられるように」と、上級車種とはいえ低価格路線を打ち出し、ホンダ自身の都合もあってシビック用エンジンを同じ生産ラインで作れる範囲で限界まで拡大した1.6リッターエンジンを搭載します。

「653」で不評だった独立トランク式はやめて、シビックで途中から追加したテールゲート式とした3ドアハッチバック車としましたが、丸目4灯ヘッドライトにしたことで顔つきはだいぶ変わり、シビックよりワイド&ローのスポーティなクルマとなりました。

これはデザイン担当も気を使ったところで、”単に「シビックのお兄さん」と思われては失敗である。「成功した若いおじさん」、という感じにしたかった。”(岩倉 信弥 氏「千字薬 第65話.絵にしてよ」)だそうです。

また、車はすれ違う時の前から見た姿より、後ろからついていく時の後ろ姿を見ている時間の方が多く、そんな時にカッコ悪い車の後ろについたらウンザリ、という本田 宗一郎 氏の見解もあり、シビックより色気を心がけたテールデザインとなっています。

目指した「130km/h快適クルーズ」と、大衆車初の豪華装備

インパネ中央部で冷暖房の操作が統一された操作パネルのエアコンも当時の大衆車としては斬新

開発コード「671」のコンセプトには、低コストな上級車種の他にもうひとつ、北米や欧州で高速巡航の目安となる130km/hでの静粛性を高めた、「130km/hでの快適クルーズ」がありました。

単に速度を出すだけならエンジンをブン回せば済む話ですが、エンジン音が轟々と車内に入り、ブルブルと振動もわずらわしくては失敗で、そうなると無理やり排気量を拡大した1.6リッターエンジンが難題です。

もともと1リッターから始まって、初代シビックで1.5リッターまで拡大していたエンジンの排気量を拡大する手段は限界までロングストロークにするしかなく、高回転域では振動が激しかったので、エンジンマウントや車体剛性の工夫を強いられました。

さらに、大衆車としては初のエアコン、パワステ、テールゲートオープナー、5速ミッションなど、(当時としては)豪華装備も標準装備かオプションで準備しますが、何しろ「初」なのでパワステは運輸省(当時)からチェックが入ったりと、何かと苦労は多かったようです。

今なら軽自動車でも当たり前の装備どころか、「ないなんて信じられない!」と言われそうですが、1976年当時は上級車種でも大衆車にはないのが当たり前で、40年前にタイムスリップして今のクルマを見せたら、さぞかし驚かれることでしょう。

MM思想初期の失敗談?熱対策で開けられたボンネットの穴

写真ではほとんど見えないが、ボンネット後部左右にはキャブレターへ熱がこもらないようにする排熱用エアアウトレットがある

こうして1976年5月に発売された初代アコードは、期待通りのヒット作として初代シビックに続くホンダの新たな売り物になりますが、一方で夏になると「エンジンを止めた直後に再始動ができない」というクレームが多発します。

どうもエンジンルーム内でカンカンに熱せられたキャブレターが不具合を起こし、冷えないとうまく気化器としての役割を果たさないようで、ボンネットに穴を開けて熱を逃さないことには、話になりません。

だからと言って大穴を開けたらデザインがぶち壊し、変なところへ開けてもエンジンが錆びるじゃないかと激論になった末、必ずしもキャブレター直上である必要はなく、熱を逃がすのに適当な場所に適度な穴でよいとなって、ボンネット後部左右に排熱口を設けます。

この措置は本当に生産のごく初期に判明したようで、ボンネットに排熱口のない初代アコードの写真が見当たらないほどですが、その後エンジンルームを限界まで小さくしていく時にもこの教訓は活かされたはずで、MM思想の実現には大いに役立ったことでしょう。

4ドアサルーンも好調、そして「世界のアコード」へ

遅れて追加された4ドアサルーンがアメリカでも受け入れられ、アコードの主力となっていった

3ドアハッチバック版の好調に支えられ、1977年10月にはホンダ145の生産中止以来となる4ドアサルーン版を発売、国内では1.6リッターのままでしたが、北米ではパワー不足と判断されて1.8リッターで発売、日本でも1978年9月に投入されます。

大排気量車が幅をきかせていたアメリカで、こんな小排気量のセダンが受け入れられるのか、という心配をヨソに販売は順調に伸び、やがて4ドアサルーンの販売がハッチバックを上回って、アコードの主力となっていきました。

今の日本ではホンダ自身も販売に力を入れているようには見えないアコードですが、世界的には今でも売れ筋であり、その原点が今の目で見るとこんなに小さなハッチバック車だったのかと思うと、昔はいろいろなものが小さく安く済む時代だったのだな、と思わされます。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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