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さだまさしの「償い」悲哀に満ちた実話や運転免許試験場で流す理由とは?
目次
「償い」の内容はさだまさし氏の身近で起きた実話だった
「償い」の内容は実際にさだまさし氏の知人に起こった実話なのです。
ちょうどこの歌が世に出た1982年のことで、彼の知人女性の夫が定年を迎え、夫婦静かに暮らしていこうとしていた最中、夫は交通事故で命を落としてしまいます。加害者の男性を女性は酷く罵り、加害者は床に額を押し付けながらそれを聞いていたそうです。
「償い」の内容とほとんど一致しますよね。
さだまさし氏は、この実話を受けてすぐに作曲・作詞に取り組んだとのことで、この時点では歌のように7年間の償いの末のエピソードは存在しません。
さだまさし氏は先述の実話に7年の月日を挿入することで人間の優しさを付け加え、エピソードの登場人物の悲哀を希望的に描写しています。
決して哀しいだけの歌で終わらせないところに、詩として昇華させるだけの芸術性を感じさせますね。
「償い」を引用して異例の説論をした裁判官の話
2001年のことです。東京都の某駅のホームにおいて、4人の少年が40代銀行員の男性に対し4人がかりで暴行を加え、くも膜下出血で死亡させるという事件がありました。 東京地裁での判決公判では、主犯格少年2人に対して、懲役3~5年の実刑が下されました。
裁判中、お詫びの言葉を述べながらも過剰防衛を訴えるなど、被告の少年たちが真に反省しているのか疑問を感じた裁判長は、さだまさし氏の「償い」という具体的な歌の題名を挙げています。
「君たちはさだまさしの”償い”という歌は知っているか。歌を知らなくても、歌詞だけは読みなさい」と、裁判長は少年たちに話したそうです。
実刑後に法的な措置を超えたところで裁判長が発言し、歌を引用して説論をするというのは非常に異例のことでした。
この発言を受けたさだまさし氏は、新聞社の取材に対して、「法律で心を裁くには限界がある。今回、実刑判決で決着がついたのではなく、心の部分の反省を促したのではないでしょうか」とした上で、「この歌の若者は命がけで謝罪したんです。人の命を奪ったことに対する誠実な謝罪こそ大切。裁判長はそのことを2人に訴えたかったのでは」とコメントしました。
「償い」を運転免許試験場で流す理由とは
ここまで紹介した内容を考えると、「償い」を運転免許試験場で流す理由は理解できるかと思います。
「償い」の内容には、事故が作り出した大きな不幸、痛みと激しい後悔が描かれています。交通事故が引き起こす現実の重さ、自動車運転に伴う責任の重さを十分に理解してもらうため、こうした取り組みが行われているのでしょう。
「償い」は、ただの哀しい歌ではなく、誰にでも起こり得る現実です。時折この歌のことを思い出して、自分の運転について我がふりを見直してみるべきかもしれません。
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- 執筆者プロフィール
- MOBY編集部
- 新型車予想や車選びのお役立ち記事、車や免許にまつわる豆知識、カーライフの困りごとを解決する方法など、自動車に関する様々な情報を発信。普段クルマは乗るだけ・使うだけのユーザーや、あまりクルマに興味が...