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好きな芸人1位!サンドウィッチマン 伊達みきおさんの気になる愛車は?【芸能人の愛車】
サンドウィッチマン 伊達みきおさんとは?
1974年9月5日生まれ、宮城県出身のお笑い芸人です。
1998年伊達さんが24歳だったときに現在の相方である富澤たけしさんと浜田ツトムさんと『サンドウィッチマン』をトリオとして結成し、ボケ担当でした。その1年後に浜田さんはコンビを抜けますが、伊達さんと富澤さん2人で名前を変えずにコンビを続けます。
大手芸能事務所などにも所属していた時期がありましたが、自分たちのお笑いを自由にできることを理由に現在の事務所に所属します。
デビューは果たしたものの、ライブ続きでなかなかテレビ出演がないまま年月は流れ、デビューから6年、伊達さんはデビュー当時24歳でしたが30歳になっていました。
伊達さんは、相方の富澤さんに断られながらも何度もお願いしてお笑いに誘っていたため、なかなかテレビ出演できないことに負い目を感じて、コンビ解散や自らの命を断つことなどを考えた時期もあったそうです。
しかし、2005年に状況は一転します。
バラエティー番組『エンタの神様』に初登場して、会場を大爆笑の渦に巻き込みました。
うけすぎたため、観客の笑っている声がピンマイクに入ってしまって撮り直しを要する結果になったというエピソードがありました。
このことをきっかけに、知名度が急上昇。2006年に引き続き2007年も単独ライブを開催し、会場は満員になりました。そしてさらに2007年の『M-1グランプリ』で敗者復活枠になるものの優勝を勝ち取り栄光を手にします。
プライベートでも2009年伊達さんが35歳のときに結婚。相方の富澤さんも同年結婚を発表しました。
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好感度が高い秘密は?
サンドウィッチマンは、現在ローカル番組も合わせるとテレビ番組のレギュラーは合計15本以上、ラジオは4本になります。こんなにも人々の心をつかみ続けるのはなぜなのでしょうか?
まず、伊達さんは「外見とのギャップ」に魅力を感じる方が多いのではないでしょうか。
見た目は金髪にサングラスで体格も良いので、強面(こわもて)のようですが漫才をし始めると漫才の内容から人柄や愛嬌(あいきょう)などがあふれでます。そういう点で人を引きつける力があるのではないでしょうか。
また、分かりやすい漫才で老若男女問わず笑える点が人気の秘訣かもしれませんね。
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宮城への郷土愛が強い伊達さん
サンドウィッチマンは、2008年ラジオの公開収録の際に「みやぎ夢大使」に委嘱されています。
そして、2011年3月11日の東日本大震災後には、被災地に出向いて支援活動を精力的に始めます。地震発生時サンドウィッチマンは宮城県気仙沼市の漁港でロケ中でしたが、すぐに現場にいる出演者とスタッフが無事か確認してブログで状況を報告していました。
震災直後、被災地は多くの被災者が出て悲しみの渦に巻き込まれます。
サンドウィッチマンは2011年3月16日に『“東北魂”東北地方太平洋沖地震義援金口座』を開設。チャリティーグッズなども販売して募金活動を開始し、2人も約1,000万円を寄付します。
そしてそのわずか2カ月後である5月には義援金約9,000万円の小切手とチャリティーグッズのTシャツを、宮城県知事に手渡ししました。そして、そのほかにチャリティーライブとチャリティーグッズの収益を含めて、約3億集まり岩手県や福島県、宮城県など計6県に渡して回ったのです。
2人は半年間ライブを自粛していましたが、震災があった半年後に思い切って仙台でライブを開催。地元の人たちが約1,000名も集まってくれたことを知りお笑いの必要性を感じたそうです。
震災から約10年たとうとしている現在も、ラジオやテレビで故郷の話をしたり地元の特産品の紹介をしたりしている姿があり、地元愛を非常に感じます。
- 執筆者プロフィール
- MOBY編集部
- 新型車予想や車選びのお役立ち記事、車や免許にまつわる豆知識、カーライフの困りごとを解決する方法など、自動車に関する様々な情報を発信。普段クルマは乗るだけ・使うだけのユーザーや、あまりクルマに興味が...