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世はまさに軽自動車大狂乱時代!過激なリッター100馬力、超高回転ハイパワー軽自動車たち【推し車】
目次
1960年代に「リッター100馬力」!軽自動車大狂乱時代
1980年代末から1990年代にかけ、やれVTECだなんだと可変バルブ機構を導入し、環境性能と動力性能を両立したリッター10馬力オーバーの高性能自然吸気エンジンが続々登場しましたが、実は1960年代にもリッター100馬力の自然吸気エンジンは存在しました。
もっとも、当時は現在のネット値で計測すれば80~85%程度とされる「グロス値」での話でしたが、1960年代後半から1970年代の初期まで、リッター100馬力超の超高回転高性能エンジン搭載車を普通に売っていたのが「第1次軽自動車パワーウォーズ」。
まだ軽自動車に車検が義務付けられる以前、軽免許でも運転できる時代でしたから事故多発要因のひとつとされたほか、厳しい排ガス規制や省エネ志向に相反する存在だったので、数年でアッサリ消えてしまいましたが。
今回は1960年代に過激なパワーで売り出した、3台の代表的なハイパワー軽自動車を紹介します。
火付け役も翌年には36馬力化!ホンダN360(1967年)
自然吸気エンジンを高回転までブン回し、強引に得た高出力で有無を言わさずユーザーのハートをつかむ…1980年代のZC(DOHC)やB16A(DOHC VTEC)の例を挙げるまでもなく、S500に始まるホンダSシリーズやT360でもさんざ同じことをやってきたホンダ。
同社初の軽乗用車となったN360も典型的な当時のホンダイズムがバリバリなクルマで、騒音震動なんのその、ライバルがせいぜい20馬力台のところへ2輪由来の2気筒4サイクルSOHCエンジンをガキーンと回して31馬力!
ライバルが追いつけば当然のようにツインキャブ装着で36馬力のシリーズも出しましたが、熱狂したユーザーへ作るそばから売れていった一方、あまりに「安くて高性能」すぎて乱暴な運転や整備不良などによる事故も多発。
軽自動車に設計段階からの安全性や快適性も問われるキッカケとなったクルマでもありました。
後継のライフ(初代・1971年)は、ツインキャブの高性能仕様もラインナップしつつ、全体的には環境対策に有利な水冷エンジンや、快適性に目を向けたまろやか仕様で、それで高価になるならシビックへ注力する!と、1974年には一旦、軽乗用車から撤退しています。
アルトワークスのご先祖的なスズキフロンテSS(2代目・1968年)
N360と同じ1967年にデビューした2代目フロンテは、理論上の回転バランスが4サイクル直6エンジンと同じとされた空冷2サイクル3気筒エンジンを採用、パッケージングも一新して、それまで軽商用車はともかくパッとしなかった軽乗用車で、スズキ初のヒット作へ。
N360ほどではなかったものの25馬力を発揮したLC10エンジンで最高速度110km/h、最高巡航速度100km/hを実現していましたが、ハイパワー化への波に乗って翌1968年には36馬力に達する「フロンテSS」をデビューさせました。
しかも、発売に先立ち、当時の名レーサー、スターリング・モスなどにステアリングを託してイタリアの過酷なアウトストラーダ(高速道路)で高速耐久テストを行います。
高性能化に合わせた、ヘッドレスト一体型シートやシートベルトの標準装備といった安全面への配慮はホンダの先を行っており、1970年代には実用性を高めるとともに高性能版は37馬力へ到達。
ホンダと異なり軽自動車メインのメーカーだったため、その後も環境対策に力を入れつつ発展していき、激安車の初代アルト(1979年)を経て、1987年にはDOHCターボの初代アルトワークスで、現在まで続く軽自動車64馬力自主規制の元になりました。
名車へのテコ入れも古すぎた!スバル360ヤングSS(1968年)
N360とフロンテのパワー競争でもっとも煽りを食ったのが富士重工(現・スバル)で、1958年発売、初の「ちゃんと実用性のある軽自動車」として名を馳せたスバル360が、そのままではもう話になりません。
せっかくマツダ キャロル(初代・1962年)に一時奪われたシェアを奪回したのに、新時代の軽はパワフルなうえにネックだった車重も大幅に軽量化してビュンビュン飛ばします。
スバル360も初期の16馬力から20馬力台へとパワーアップしたものの、もはや発売から10年ほど経って新鮮味もないなら新しいクルマを選ぶのが人情というもので、後継のR-2(1969年)も開発しますが、そこまでのつなぎとして「高性能版スバル360」を開発!
それが1968年登場のスバル360「ヤングSS」で、王道のツインキャブ装着によって36馬力を発揮、もう少しマイルドな25馬力仕様「ヤングS]を発売して、一応はパワー競争に乗っかってみたものの、もうその頃には「しょせんは古いスバル」という扱い。
ブランドイメージにも影響したようで後継のR-2は短命で終わり、さらに後継の初代レックス(1972年)は後のヴィヴィオを思わせる、思い切ったローフォルムに最高出力37馬力エンジンを積むスポーツ路線に転じますが、今度は実用性不足でやはり販売は苦戦。
歴史的名車を引っ張りすぎたおかげで後継車が苦労するという、典型的な例でした。
なお、ダイハツ(フェローMAX)、マツダ(シャンテ)、三菱(ミニカ/ミニカスキッパー)がパワー競争に参加したのは1970年代に入ってからでダイハツが40馬力、三菱が38馬力を叩き出したものの、オイルショックと排ガス規制で短期間のみとなっています。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
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- 執筆者プロフィール
- 兵藤 忠彦
- 1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...