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スズキが「不戦勝」的なタナボタで軽自動車No.1メーカーに…4代目 フロンテ【推し車】

「軽自動車」最大の危機に悪戦苦闘したスズキ

スズキ歴史館に展示されている、4代目初期360cc時代のLC20型フロンテ

「日本独自の規格で輸出もしていないガラパゴス車」という誤解もあり、何かと不要論や廃止論で槍玉に上がりやすい日本の軽自動車ですが、実際に規格そのものの存亡に関わる最大の危機といえば1970年代半ばだったと思います。

軽自動車に関わる制度がどんどん変わって「自動車扱い」されるようになり、低価格小型車に対するメリットが失われていき、シェアNo.1だったホンダが1974年に軽乗用車から撤退(1985年に軽ボンネットバンの初代トゥデイで復帰)という、暗い時期です。

しかしそこで踏みとどまったメーカーは軽自動車の存亡をかけて必死になっており、1973年に4代目フロンテを発売したスズキも、そのうちの1社でした。

360cc時代最後のフロンテ、不戦勝?で軽自動車No.1へ

この代で4ドア車が登場、後席の居住性やリアエンジン上のトランクスペース追加で、3代目までに比べリアが重そうに見える

1967年、FFからRRレイアウトへ一新、4サイクル直6エンジンなみに滑らかと言われる2サイクル直3エンジンを初採用し、いよいよ「打倒スバル360」を果たそうとした2代目スズキ フロンテでしたが、同年にホンダ N360が登場してしまいます。

快適性はさておきパワフルなエンジン、豪快な乗り味でわかりやすかったN360にユーザーは殺到、フロンテもすぐハイパワー版のフロンテSSを繰り出し、イタリアのアウトストラーダ(高速道路)を走らせアピールするも、軽自動車No.1になったのはホンダでした。

コークボトルラインと呼ばれる曲面美の2代目から、ワイド&ローなスティングレイ・ルックと、途中で追加された水冷エンジンを引っ提げた3代目フロンテでも優位は奪えず、1973年にモデルチェンジした4代目では、「今度こそ」とばかり、スズキも力を入れます。

しかし、軽自動車を取り巻く事情は年々悪化しており、なんと4代目フロンテ発売の翌年、1974年にはホンダが軽トラ以外の軽自動車から撤退してしまい、スズキは半ば「不戦勝」的なタナボタで軽自動車No.1メーカーになってしまいました。

なぜそんな事になったのでしょう?

存在意義が問われた1970年代半ばの軽自動車

まだ360cc時代のナローボディとはいえ、衝突安全基準も緩くてドアもペラペラなため、中は案外広く見える

1958年のスバル360で実用の域に達し、1960年代前半に車種が増え、後半にはホンダ N360を皮切りにパワーウォーズが起きるなど活況を呈した軽自動車ですが、1970年代には厳しい排ガス規制や低燃費志向によるパワーダウンに悩まされました。

さらに1969年の軽自動車免許廃止、1973年には車検制度の導入と、車検のたびに重量税も払わねばならなくなり、低価格小型車に対してあらゆる面からメリットが薄れてきます。

言うなれば、1967年のホンダ N360から5年間の軽自動車は、「やたらとパワフルなのに車検がなくて重量税も払う必要がない乗り物を、1969年まであった16歳から取得できる軽自動車免許で運転できた。」という、何とも自由極まりない状態だったのです。

おまけに1966年にはトヨタ カローラ、日産 サニーの初代モデルが登場、高度経済成長期で給料は上がり、低価格小型車を一家に1台買うのが現実となるマイカー元年が到来しており、それより手軽に買って乗れる軽自動車で「1人1台」も夢ではありません。

急増する自動車に、安易な免許制度やメンテナンス不足が重なり急増する交通事故に歯止めをかけるべく、自動車や運転免許に関するさまざまな制度が急速に整備された結果、まるでミニカー扱いだった軽自動車が、「自動車」として扱われるようになりました。

そうなると、軽自動車は経済性や制度面で差が縮まった低価格小型車と販売を競うようになり、これまでの「ただ安くてよく走る」だけでは済まなくなって、その存在意義が問われるようになったのです。

4代目フロンテが登場した時代背景は、そんな厳しいものでした。

全車水冷エンジン化と、丸いオーバル・シェルのソフト路線

キャビンの大型化で凡庸になりかけたデザインを、色気のあるフロントマスクでグッと引き締めている

1970年代はじめまでの、いかつい顔つきで空冷エンジンがギャンギャン唸る硬派路線は陰をひそめ、人当たりの良さそうな、言い方を変えれば免許所有率が増えつつあった女性にウケそうな軟派路線へと軽自動車は変わりつつあり、4代目フロンテもそのひとつ。

直線的なスティングレイ・ルックだった先代から一転、オーバル・シェル(タマゴの殻)構造と呼ばれるふくよかな曲線で柔らかくソフトな印象を与えるデザインとなり、豪快に突っ走るパーソナルカーから、ファミリーカーにも使えるよう4ドア車が設定されます。

従来は寝かせた下にエンジンを詰め込んでいたリアウィンドウは起こされ、開閉可能なガラスハッチとなってエンジンの上にラゲッジスペースを増設、リアエンジン車なので空いていたフロントのボンネット下と合わせ、トランクスペースは前後2箇所へ拡大。

エンジンは全車排ガス規制に有利な水冷化され、モデルチェンジ当初は最高出力37馬力だった高性能版は、翌年の排ガス規制対応で35馬力に低下、現在のような普通車/小型車と同サイズの黄色いナンバープレートが収まるよう、デザインも小変更されました。

オーバル・シェルの曲線こそ躍動感を感じさせ、実寸以上にクルマを大きく立派に見せる効果はあったものの、居住性や荷室容量の拡大で実際大きくなっており、先代で400kg台後半だった車重も、500kg台半ばへと数十kgも増えてしまいます。

軽自動車の本質が変わろうとする中、かつてのように小型軽量ボディにハイパワーエンジンで爽快な走りを期待することは、もうできなくなっていました。

それでも360cc時代の初期型は、まだ「塊感」があった

1976年5月以降は排気量が拡大、幅が広がってバンパーも大型化したので、このシンプルな雰囲気は360cc時代ならではのもの

しかし、4代目フロンテは1979年まで6年も販売される中、1976年1月に軽自動車規格が変更、一回り大きく排気量上限も550ccへと拡大され、当初440cc、1977年から550ccエンジンを積むようになり、ボディも全長、全幅ともに大きくなってだいぶ印象が変わります。

車格が上がって大きく立派になった…というより、何となくボテっと重たいデザインになっており、そこから360cc時代を振り返ると、まだバランスの取れたデザインで、ギュッと凝縮したような「塊感」がありました。

360cc時代の軽自動車をいい意味で懐かしく感じる理由がこれで、現在でいえば「新規格になる前の旧規格軽自動車は、いかにも小型軽量で良かったな」と思うようなものでしょうか。

ただしこの傾向は軽自動車だけではなく、厳しい排ガス規制でのパワーダウンを補うべく、大排気量化と車体の大型化、おそらくは予算不足で手が回らなかった凡庸なデザインという面では当時のクルマに共通しており、軽自動車も無縁ではいられなかったわけです。

古いほどクルマ好きの心をざわつかせるのは、こうした旧車にこそ、規制や義務といったオブラートに包まれることなく、デザイナーやエンジニアの理想がダイレクトに感じられるからかもしれません。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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