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具志堅用高×メルセデスベンツ E550アヴァンギャルド:Vol.1「王者の欲望」MOBYクルマバナシ
【Profile】具志堅用高1955年6月26日生まれ。沖縄県石垣島出身。
1974年にプロボクサーとなり、9戦目にしてWBA世界ライトフライ級王者ファン・ホセ・グスマンに挑戦し、見事KO勝ちし世界チャンピオンの座を手にする。その後も防衛を続けると世界王座連続13度防衛を達成、日本記録を樹立した。しかし1981年、14度目の防衛戦に失敗すると現役を引退。現在は白井・具志堅スポーツジムの会長として選手育成に励む一方、スポーツ出身タレントとして数多くのテレビ番組で活躍している。
今回お持ちいただいた愛車はメルセデス・ベンツE550アヴァンギャルド。
Vol.1「王者の欲望」
具志堅さんの愛車、メルセデス・ベンツE550アヴァンギャルドは、どのような理由から入手に至ったのでしょうか。
Eクラスは大きさがちょうど良いと思ったんだよね。僕はいつも車の中で着替えをするんだけど、この広さだとすごく便利で。ふだんから私服もゴルフ用のウェアも全部車に積んでるんだよ。あとはデザインも良いですね。派手さがあんまり無い。
Sクラスとも迷ったけど、幅が広すぎて自分だと運転しづらいからこっちにしたんだ。どこでも細い道とか入っちゃうからさ。
こちらが具志堅さんの所有するメルセデス・ベンツ E550 アヴァンギャルド。Eクラスの歴代4代目にあたり、W212型と呼ばれる。
Eクラスはメルセデス・ベンツの中核を担うモデルで、デザインや走行性能、安全性能など総合的な完成度が高く評価されている。いつの時代も、世界の高級セダンをリードする存在である。
もともとベンツがお好きだったのですか?
もう35年くらい前だけど、当時女房のお父さんがベンツのEクラスに乗ってたから、同じお店の営業の方に直接お願いして、僕もベンツを買ったんだ。最初に買ったベンツはSLで、そのあとはSLCだったかな。
それで今はもう、四台目かな? 当時の営業さんにはずっとお世話になってますよ。独立して自分の会社を持っているんですけど、電話一本でなんでも対応してくれるね。
お気に入りのポイントはどこですか?
ベンツは頑丈だし、静かだから安心感がある。昔の車ってエンジン音がうるさかったんですよ。だけど最近の車は、ずいぶん静かになったよね。
具志堅さんのEクラスは内外装ともにブラックで統一。画像からも、シートに使われているレザーの質感の高さが伺える。また電動シートは標準装備されるなど、プレミアムな空間が保証されている。
E550 アヴァンギャルドは5.5L V型8気筒DOHCエンジンを搭載し、最高出力387PSを発生する。Eクラスの中で最もハイパワーなモデルだ。
免許を取得されたのはいつ頃ですか?
1981年の現役引退後すぐだから、26歳の時ですね。世田谷の岡本町にある教習所に通ったの。
免許はスムーズに取得できましたか?
学科の試験は一回だけ落ちたけど、あとは全部一発。教官に「無免許で乗ってたのか」って言われたくらいよ。
僕って褒められるといい気になるもんで、「免許取ったらすぐに車買っちゃおう」って。自宅の近くに日産があったから、そこでセドリックを買ったんだ。そのセドリックはある程度乗って、落ち着いてからクラウンにも乗ったね。で、その次にはBMWの5シリーズ。
初めての愛車セドリックを手にした時は、どんなお気持ちでしたか?
なんかね、試合に勝った時とは全然違う喜びがあったんだよね。「ついに自分の車に乗れた!」って、とにかく嬉しくて騒いだ。どこへ行くにも車に乗って行ったな。一人でも、仲間と一緒でも。
新車だから、傷がつかないように運転も気遣ってさ。手入れも大切にするんだよね。ようやりましたね、まめに。本当、子どもみたいに騒いだよ。
引退されてから免許を取得されていますが、現役時代に車が欲しいと考えたことはなかったのですか?
現役の頃は、車に乗っちゃいけないって強く言われてたからさ。俺がまだ高校生だった1973年に、当時世界チャンピオンだった大場政夫さんが交通事故で亡くなっているんだよね。
それもあってか、プロになった後も「まだ免許を取っちゃいけない」って言われたんだ。僕もその教えが正しいと思ったし、車に乗ることは考えなかったね。
それでは、現役時代の移動手段はどうされていたのですか?
1977年1月30日にハメイ・リオスとの初防衛戦が日本武道館であったんだけど、それまでは電車で移動してましたね。あの頃はトンカツ屋さんでバイトしとったから。でも防衛成功した以降は、あまりにも声をかけられるからさ。タクシーを利用するようになったね。
勝つとだんだんお金にも余裕が生まれてくるわけですよね。
そうそう。試合の2週間くらい前から、ジムのトレーナーが送り迎えしてくれるようになるとか。
現役時代、車を運転したいという願望はありましたか?
あの頃はスポーツカーに憧れてたね。フェラーリに乗りたかった。買えないことはなかったんですよ。あとはヴィトンのカバンとか、金のアクセサリーとかも欲しかった。
実際に買いに行かれたんですか?
行きましたよ。正規店はなかったけど、原宿で売ってたんですよ。もう40年くらい前になるのかなぁ。
70年代は路面店なんかなくて、ブランド品がデパートで売られてたんですよ。お店がちゃんとあったのはエルメスと、サンローランくらいじゃなかったかな。今みたいに銀座とか表参道にお店があるわけじゃなかった。あとはホテルのロビーに入ってるテナント。とにかく派手なネクタイがどんどん入ってきてたんですよ。あれはすごかったねえ。かっこよかった。
ボクシングで勝ち続けることで、ブランド品を購入する余裕も出てきたのですね。1976年10月10日にはWBA世界ライトフライ級王者ファン・ホセ・グスマンにKO勝ちし、沖縄県出身者初の世界王者へ。そこから変化はありましたか?
世界チャンピオンになってからは、なんでももらえるようになった。時計とか絵とか、たくさん頂きましたよ。絵画は全く興味なかったけど、なかには良い値段がする絵もあったんじゃないかな。
もちろん欲しいものは自分でも買いましたけど、プレゼントでいただくことが多かったですね。だから、もし「車が欲しい」って言ってたら買ってもらえただろうね。
だけど僕は大場さんの事故のことがあったから、車が欲しいって言ったことはないんだ。
そういった理由から、現役時代には車に乗られなかったのですね。
そう。でも家を建てた。石垣島に。
最近のプロボクサーの中には、フェラーリやランボルギーニなどの高級車に乗られている方もいらっしゃいます。
最近、うちのジムじゃないけど、千葉県の柏にあるジムからで世界チャンピオンが誕生したんですよ。彼はチャンピオンになったらフェラーリをプレゼントしてもらうって約束をしていて、いま実際にフェラーリに乗ってる。車関係者からのプレゼントだと思うけど、3000万円くらいするんじゃないかな。新聞にでっかく載っててさ。ビックリするよね。そういう選手もいるんですよ。
じつはというと、世界チャンピオンになっても、フェラーリが買えるようなファイトマネーはもらえないんだよ。あれはね、後援者とかファンの方がくれるの。
僕も防衛してたピーク時なんかは、ボクシングの年間MVPの副賞が車だったものだから、合計で3台くらいもらいましたよ。でも全部、弟とか友達にあげちゃった。
3年連続で車を……。すごいですね! どんな車をいただいたのですか?
副賞でもらったのは確か、三菱のミラージュだったかな。あれは良い車だったけど、置くところも免許もないし。だから「やるよ」って。
ただ、人にあげるのは良いんだけど、税金とかは僕が払うんだよ。もらった車をプレゼントしただけなのに、俺がお金を払わなきゃいけなくてさ……(笑)。
もし免許を持っていたら、そのまま所有していたかもしれませんね。
練習は日曜日が休みだったから、もし車があったらドライブに行ってたよね。でもあの頃は、休みの日も家にいたなあ。
ご自宅ではなにをされていたのですか?
テレビを観たり、音楽を聴いたり。休みの日はちゃんと休まないといけないから。でも土曜日の夜は、たま〜にディスコに行ったりしたね。ディスコが流行ってたのよ。いつでもすごい並んでて、半端じゃないですよ。店に入るのに1時間もかかるんだもん。
世界王者も並ぶんですか? 特別待遇してもらえたりは?
全然そういうのない。みんなびっしり並んでたから、入る隙間もなかったんだよ。
並んでる間にバレてしまいそうですね(笑)。
そうですよ。だけどもうしょうがないんです。それくらい、70年代の夜は賑やかでしたよ。
沖縄県出身として初の世界王者となり、スターダムを駆け上がった具志堅さん。当時はフェラーリに憧れ、実際に手にすることが可能だったほどの活躍だったも関わらず、車を運転することはなかったと言います。現在はお茶目なキャラクターで知られる具志堅用高さんですが、世界王者として長きにわたり活躍する裏には、知られざるストイックな姿がありました。
次回は、具志堅さんがまだ石垣島で暮らしていた頃の沖縄の交通事情についてお伺いします。お楽しみに。
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Vol.2「昭和30年代の沖縄」
取材:田神洋子、米永豪、三浦眞嗣
撮影:HIROYUKI KONDOH
文:米永豪
編集:田神洋子
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- 執筆者プロフィール
- MOBY編集部
- 新型車予想や車選びのお役立ち記事、車や免許にまつわる豆知識、カーライフの困りごとを解決する方法など、自動車に関する様々な情報を発信。普段クルマは乗るだけ・使うだけのユーザーや、あまりクルマに興味が...