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大村崑の「ミゼット!」連呼CMで知名度がゲット!ダイハツ ミゼットDKA型【推し車】

軽オート3輪の代名詞

1つ目ヘッドランプにバーハンドルと簡素だった、初期のミゼットDKA型

1972年まで販売されていたため、1980年代はじめ頃までは街で見る機会もあった軽オート3輪の代名詞、ダイハツ ミゼット。

三菱 レオや、「けさぶろう」の愛称で知られたマツダ K360といったメジャーどころは他にもありますが、ドラマや映画でノスタルジック系の風景に欠かせない小道具としても数多く登場し、軽オート3輪といえば「ミゼット」を思い浮かべる人が一番多いと思います。

1990年代に入ってマイクロ軽トラ「ミゼットII」や、コンセプトカー止まりながら3人乗りのミゼットIII(旧規格版)、ミゼットIV(新規格版)も現れるなど、2000年頃までは話題に上る事の多い名前でした。

バーハンドルの初期型ミゼットと、丸ハンドル化されて1972年まで生産されたMPミゼットがあり、トヨタ博物館には初期型のミゼットDKA型が展示されています。

戦後、4輪トラックに駆逐された3輪トラック

初期の通称「バーハンドルミゼット」は一部を除き1人乗りで、低価格化のため構造も可能な限り簡易とされ、タイヤも小径だった

1920年代から日本でも普及が始まり、1930年代に太平洋戦争前の全盛期を迎えた小型3輪トラックは、戦後も軽便な輸送手段として重宝されるとともに、復興が本格化すると需要に応じて大型・高級化が進みます。

一方で四輪車メーカーも小型トラックへ本腰を入れるようになり、特にトヨタは、戦後開発ながら乗用車用としては早くも陳腐化していたS型エンジンを有効活用、軽3輪トラックへ十分な価格競争力を持つトヨペットSKB型(後にトヨエースへ改名)を1954年に発売。

このSKBが決定打となって、戦前から日本の小口物流の多くを占めていた3輪トラックは急激に衰退していき、4輪トラックへのシフトが進みました。

短く熱い、軽オート3輪の全盛期が始まった

バーハンドル 末期の小型3輪トラックとくらべても華奢な印象だが、3速MTのシフトレバーがが意外にも?しっかりした作りに見える

そんな中、1949年に制定された「軽自動車」規格が短期間に改定を繰り返し、当初は軽2輪を想定したものが、排気量上限の拡大で3輪、4輪も視野に入ってくると、1952年頃から実用的な軽オート3輪が出てきます。

トヨタに縁のあるエンジニアが興したオートバイメーカー、トヨモータースの前2輪・後1輪車、「トヨライト」などユニークなものもありましたが、何しろ2輪のオートバイ自体が「バタバタ」などと呼ばれる補助エンジン付き自転車に毛の生えた程度という時代です。

その頃の軽オート3輪メーカーは現在では名前も残らないような零細・小規模レベルが多く、エンジンなど部品は外部から仕入れて組み立てるアセンブリーメーカーばかりだったため、あまり本格的とは言えません。

そのため、4輪トラックに市場を奪われかけていたダイハツやマツダといった小型3輪トラックメーカーにとっては、「開拓され始めた市場に強力なライバルがいない」という状況に喜び勇んで参入、1957年発売のダイハツ ミゼットから全盛期が始まったのです。

大村崑の「ミゼット!」連呼CMで知名度ゲット

いかに簡素とはいえ、ワイパーつきフロントウィンドウに帆布のルーフで雨風をしのげるだけ立派なもので、丸ハンドルのミゼットMP系では鋼製フルキャビンになった

ダイハツがミゼット開発に当たってターゲットとしたのは、それまで自前のトラック導入に至らなかった従業員2〜10名程度の小規模事業所。

要求仕様は最大積載量300kg、取り扱いが簡単で安全性が高く、六甲山を無理なく登れるパワーと、低価格で維持費も安い経済性を両立し、15万円を目指した価格はどんなに切り詰めても18万4,000円になったものの、それでも小型3輪の半額だと市販に踏み切ります。

もちろん、ダイハツが戦前から得意とした自社一貫生産体制や、全国に広がる販売ネットワークはフル活用されましたが、大ヒット要因となったのは広告戦略です。

狭い路地でもスイスイ走れ、小規模な事務所や工場、商店から顧客を結ぶ小型で軽便な輸送手段をアピールした宣伝コピー「街のヘリコプター」や、CMソング「ミンミンミゼットの歌」(楠トシエ)に始まり、極めつけはダイハツがスポンサーのTVドラマ内CM。

1958年4月から、大阪テレビ放送(現・朝日方法)とラジオ東京(現・TBSテレビ)系列で放送された「ダイハツコメディ やりくりアパート」にて、主演の大村 崑が佐々十郎との掛け合いで「ミゼット!」を連呼すると、その名はたちまち全国に広まりました。

これをキッカケにミゼットは爆発的にヒットし、三菱 レオやマツダ K360、ヂャイアント・コニーAA27といったフォロワーとともにホープ自動車などアセンブリーメーカーを駆逐、大メーカーによる軽オート3輪の黄金時代を築いていきます。

軽4輪トラック時代の始まりと、軽オート3輪時代の終焉

荷台の短さを考えれば軽4輪トラックと実用性の差は歴然としているが、積載量より短距離をチョコマカ走る用途など、アメリカですら工場内で便利に使われたという

しかし軽オート3輪の黄金時代はごく短く、1959年頃から軽トラックにも4輪化の波が押し寄せます。

低価格化やフルキャブオーバー車による荷台(1BOX車の場合は荷室)の容量拡大、高度経済成長期に入って小規模事業者にも軽4輪を買う余裕が出ると、ただひたすら軽便なだけの軽オート3輪は不利です。

各メーカーはとにかく安い軽オート3輪と、多少高くても実用性が高い軽4輪の双方をラインナップするようになり、ダイハツも丸ハンドルで並列2人乗り、鋼製キャビンや後部が1BOXバン仕様になったミゼットMP系と、軽4輪のハイゼットを併売します。

ユーザーが次第に軽4輪へ乗り換えていき、他メーカーの軽オート3輪が次々に廃止される中でも最後まで国内生産・販売を続けたダイハツでしたが、1972年に生産を終え、国産軽オート3輪の歴史は終わりました。

現在でもイタリアのピアッジオ アペ、インドのバジャージ、元はミゼット由来の軽便3輪タクシー「トゥクトゥク」などが輸入され、ミニカーや側車付き2輪車登録で日本でも走っており、そのうち超小型モビリティの一種として国産3輪車が復活するかもしれません。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...

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