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【マツダの歴史と名車】コルク製造時代から不可能と言われたエンジン市販化まで
2020年は創業100周年
広島県に拠点を置く自動車メーカー、マツダ。独自性の強い自動車開発を得意とするメーカーで、日本国内のみならず世界中で熱心なファンを獲得しています。そんなマツダが2020年1月30日で、創業100周年を迎えました。
創業100周年を迎えた国内自動車メーカーとしてはダイハツ、スバルに次ぐ3社目です。代表取締役社長兼CEOである丸本 明(まるもと あきら)氏は、次の100年に向けて『人と共に創る独自性』を大切にしていくと述べています。
4輪乗用車を発売した1960年代の時点で、マツダは競合他社とは異なる車づくりを進めてきました。その結果、一時は企業として存亡の危機を迎えたこともありますが、独自性を追求するマツダだからこそ、130を超える国・地域で親しまれています。
社名とロゴマークの由来
マツダは東洋コルク工業株式会社として1920年に誕生しました。創業から7年後に東洋工業株式会社に社名を変更して、1984年にはマツダ株式会社へと改称しています。社名は事実上の創業者である松田 重次郎(まつだ じゅうじろう)氏の姓が由来です。
また、マツダの英語表記は「MATSUDA」ではなく「MAZDA」ですが、これはゾロアスター教の最高神であるアフラ・マズダー(Ahura Mazda)に由来しています。自動車産業の光明となることを願い、マズダーにちなんだ「MAZDA」を採用しました。
現在のマツダのブランドロゴは「フライング・M」と呼びます。ブランドイニシャルのほか翼がモチーフになっていて、企業としての発展や独自性を追求していくという想いが込められているそうです。
マツダはどのような自動車メーカーなのか?
日本国内には全部で9つの乗用車メーカーが存在しています。マツダはその中でも際立った個性を持つ自動車メーカーで、熱心なファンが多いことでも有名です。人気の秘訣は「走る歓び」、つまり運転の楽しさを追求している車種を数多くラインナップしているから。運転の楽しさは走行性能の高さだけで決まるものではありません。車のデザインや革新的かつ先進性の高い装備、メーカー自体のブランド価値など、感動やときめきを感じられる複数の要素が備わっているかどうかが、「走る歓び」につながります。
大勢の人の元に届かなくても、一部の人の心を突き動かす。そんな自動車を開発することが、マツダの誇りであり使命でもあります。マツダがこれからも「走る歓び」を体現するために、掲げているキャッチコピーが「be a driver」と「人馬一体」です。
be a driver
「be a driver」はマツダが2013年から採用しているメインキャッチコピーです。2013年と言えば、マツダのラインナップの中核を担う世界戦略車、アクセラがフルモデルチェンジした年になります。実はマツダは、2012年に企業としての方針を大きく転換しました。新世代技術であるスカイアクティブ・テクノロジーと魂動デザインを基幹とし、ブランドイメージの創造と商品価値の向上を図ったのです。その一環として誕生した「be a driver」ですが、このキャッチコピーには2つのメッセージが込められています。ひとつは何よりも運転が大好きな人であるために、退屈な車は絶対につくらないということ。もうひとつはマツダの想いに共感してくれる人とともに、自動車業界を牽引していくという意思表示。つまり「be a driver」は、マツダという企業の在り方を指しているのです。
人馬一体
マツダの自動車開発の根幹を成しているキーワードである「人馬一体」。「人馬一体」は元々、初代ロードスターの開発テーマとして用いられていた言葉です。ロードスターにおける「人馬一体」とは、ダイレクトなドライブフィールの追求による運転の楽しさのこと。
現在のマツダの車づくりにおける「人馬一体」は、安心・安全のことです。とはいえ、両者の「人馬一体」にはつながっている部分も多くあります。ロードスターは「人馬一体」をテーマに、自分の手足のように車を操る楽しさを追求しました。自分の手足のように車を操るということは、ドライバーの操作と車の動きが一致しているということになります。扱いやすい車は安心感・一体感があり、現在のマツダが提供したいと考えている「人馬一体」にもつながっているのです。
創業から現在に至るまでの歴史
【1920年】東洋コルク工業株式会社として設立
1920年1月、マツダの前身である東洋コルク工業株式会社が設立されました。設立した人物は海塚 新八氏ですが、病気を患ったために半年で辞任。2代目社長の座を松田 重次郎氏に譲ることになります。この時点では自動車開発に携わっていませんが、コルク生産の製造技術はのちの3輪トラック開発などに活かされました。マツダは創業100周年となる2020年に、同社初の電気自動車であるMX-30のインテリアに、ルーツのあるコルクを採用することを発表しています。
【1960年】同社初の4輪車「R360クーペ」を発売
マツダは1960年、3輪トラックの開発・製造から4輪乗用車への販売へと舵を切りました。同社初の4輪乗用車として登場したモデルが「R360クーペ」です。戦後初のクーペモデルとしても知られていて、当時大人気だったスバル360をベンチマークに開発されました。スバル360よりも安価な価格設定で登場したこともあり、発売直後は大ヒットを記録。2年後に登場したキャロルに主力モデルの座を譲ってからは、その人気に影が落ちつつも、約9年間に亘って販売された名車です。
【1967年】ロータリースポーツ「コスモスポーツ」を発売
マツダの独自性の裏付けとなった量産ロータリーエンジンを初めて搭載した車、「コスモスポーツ」。元々ロータリーエンジンはドイツのNSUヴァンケル社が開発したエンジンで、小排気量でありながら高出力を発生できるという利点がありました。
当初は世界中の自動車メーカーがこぞって開発を進めたものの、最終的に実用化・量産化を実現することができたのはマツダだけです。「コスモスポーツ」の登場によって、マツダは世界中にその名を知らしめることになります。
【1984年】社名をマツダ株式会社へと変更
創業から64年後、東洋工業株式会社は自動車ブランド名として用いていた「マツダ」に社名を変更。「マツダ株式会社」として新たにスタートを切ることになりました。社名の改称に踏み切ったのは、5代目社長である山崎 芳樹氏です。
山崎 芳樹氏はファミリアやカペラのFF化、大型ワンボックスとして人気を博したボンゴブローニィの発売に踏み切った人物でもあります。フォードとの資本提携やマツダスピードの設立など、マツダを大きく改革しました。
【2012年】「SKYACTIV技術」と「魂動デザイン」を初採用
5チャンネル体制化の失敗により、フォード傘下に収まっていたマツダ。2010年にフォードとの資本関係を解消したあとは、ブランドイメージと商品力の向上を図ります。そうして誕生したのが「SKYACTIV技術」と「魂動デザイン」です。
2012年は「SKYACTIV技術」と「魂動デザイン」を全面採用した新世代車種、CX-5を発売。クロスオーバーSUVが世界的なトレンドになっていたこともあり、大ヒットを記録しました。CX-5現在、マツダにとって欠かせない車種にまで成長しています。
【2019年】不可能と言われた「SKYACTIV-X」を市販車に搭載
究極のエンジンとも呼ばれるHCCI(予混合圧縮着火)エンジン。HCCIエンジンはガソリンエンジンの理想の形ですが、実用化は不可能だと言われていました。しかし、マツダは自社単独でHCCIエンジンの実用化・量産化を実現します。
「SKYACTIV-X」と名付けられたこのエンジンは、SPCCIという技術を採用することで、ガソリンエンジンとディーゼルエンジンの利点を両立しました。「SKYACTIV-X」は2019年12月、アクセラの後継車種であるマツダ3で初めて採用されています。
マツダの名車
R360クーペ
マツダ初の4輪乗用車、「R360クーペ」。コンパクトで愛嬌のあるスタイリングは、スバル360が切り開いた大衆車市場と見事に合致しました。フロントマスクの造形は、これまでにマツダが販売していた3輪トラックをモチーフにデザインされています。搭載するエンジンは0.36ccの空冷V型2気筒エンジンで、最高出力16馬力を発生。発売当時としては異例の高回転エンジンで、走りの良さも「R360クーペ」の魅力でした。軽自動車初のATが設定されていたところも注目すべき点のひとつです。
コスモスポーツ
1967年に発売後、約5年に亘り販売された「コスモスポーツ」。長らくマツダのフラッグシップモデルとして君臨していたコスモシリーズの初代モデルになります。スポーティーな印象とラグジュアリー感を両立したデザインは、高い評価を獲得しました。マツダは「コスモスポーツ」で、1968年に開催された84時間耐久レースに参戦。参戦した59台のうち完走したのは26台という過酷なレースでありながら、ポルシェ、ランチアに次ぐ総合4位に入賞を果たしました。
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本日の在庫数 3台 平均価格 1,495万円 支払総額 1,490~1,500万円
RX-7
サバンナの後継車種として登場したRX-7は、今もなお車好きの間で語り継がれている名車です。初代SA22C型、2代目FC3S型、3代目FD3S型のそれぞれに根強いファンが存在しており、世界中で高く評価されています。
初代SA22C型はスタイリングがポルシェ・924に酷似していたことで、アメリカではプアマンズ・ポルシェ(貧乏人のポルシェ)と呼ばれていました。2代目FC3S型や3代目FD3S型はポルシェにも渡り合えるとして、対等の扱いを受けるようになっています。
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本日の在庫数 31台 平均価格 611万円 支払総額 355~1,530万円
ファミリア
R360クーペの大ヒットにより、マツダは主力製品を3輪トラックから4輪車へと移行していました。R360クーペの実質的な後継車種であるキャロルと同時期に開発が進められた、マツダを代表する小型乗用車がファミリアです。ファミリアは初代モデルから一貫して人気のあった車ですが、爆発的なヒットを記録したのは5代目BD型。新開発のプラットフォームをはじめとする革新的なパッケージングとデザイン性の高さにより、33か月間連続で販売台数を更新するなど社会現象にもなっています。
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本日の在庫数 19台 平均価格 159万円 支払総額 20~617万円
ロードスター
ライトウェイトスポーツカーの代表格である「ロードスター」は、1989年に発売されました。軽量コンパクトなボディとダイレクトなドライブフィールを実現して、運転の楽しさを追求。スポーツカーとしては異例の世界的ヒットを記録することになります。そんなロードスターも時代の流れに逆らうことはできず、2代目NB型、3代目NC型と肥大化の一途を辿ることになりました。4代目ND型では原点回帰を図り、初代NA型と同等の軽量コンパクトボディ、気持ちの良いハンドリングを実現しています。
787B
マツダのモータースポーツ活動を語るうえで、絶対に外せないレーシングカーがあります。その名も「787B」。1991年のル・マン24時間レースにて、国内自動車メーカー初の総合優勝という快挙を果たした伝説の車です。787Bが搭載しているのは2.6Lの4ローターエンジンで、最高出力は700馬力に到達しています。大気を引き裂くような甲高いロータリーサウンドが特徴的です。引退から30年近くが経過していますが、今もなお熱狂的なファンが存在しています。
マツダ スポーツカー現行車種と個性的な歴代モデルを紹介!
- 執筆者プロフィール
- MOBY編集部
- 新型車予想や車選びのお役立ち記事、車や免許にまつわる豆知識、カーライフの困りごとを解決する方法など、自動車に関する様々な情報を発信。普段クルマは乗るだけ・使うだけのユーザーや、あまりクルマに興味が...