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「やれば出来るじゃないか…」トヨタを認めさせ会社を安定させたダイハツ車たち【推し車】

四輪車事業へ進出した自動車メーカーは、いずれも創業初期や環境問題、経済危機などによって危機に陥った時期が大なり小なりあって、現在は世界に冠たる大メーカーのトヨタすら例外ではありません。

現在はトヨタグループにガッチリ組み込まれ、車名シリーズごとではなく単独車種では最多の月販台数を誇るようなトヨタ車を開発・生産しているダイハツにも危機感を感じさせた時代はあり、後から考えれば「これを転機に上昇気流に乗れた」というクルマがありました。

今回はその中から代表的なダイハツ車を3台、ご紹介しましょう。

コンソルテ/2代目トヨタ パブリカ(1969年)

提携したトヨタから学んだ「ものづくり」の精神

ダイハツ コンソルテ ベルリーナ

商用車では成功していたダイハツですが、4輪小型乗用車第1号のコンパーノは販売実績が今ひとつで、1967年にトヨタグループ入りし、生産資源の有効活用を図ります。

早速、1969年にはトヨタ パブリカ(2代目)の生産を開始、自社製エンジンを載せたコンソルテで自社ブランド小型車の存続も許されますが、当時のダイハツは立派な工場はあれど生産ラインは非効率で、安価な量販車を作っても利益を産めません。

そこでトヨタから派遣された人員の指導を得て、安全で効率的、高品質で多車種生産に対応した生産ラインを確立、それでようやく、ダイハツはマトモな自動車メーカーになれたと言っても過言ではないでしょう。

高品質なクルマを経済的に生産するプロフェッショナルとしてトヨタに認められ、トヨタと自社系列で売りさばき販売上位に君臨するダイハツの原点は、コンソルテ/パブリカから始まりました。

シャレード(初代・1977年)

トヨタグループのボトムエンドを支えるダイハツ小型車の原点

ダイハツ シャレード(初代)

「広うてよう走るやんか―ダイハツ・ミニカー開発秘話」(西田 弘・著)を読むと面白いのですが、トヨタグループ入りしてからも鼻っ柱が強く、小型車の独自開発をあきらめないダイハツは、トヨタから「まずは軽自動車を」と何度も断られています。

ならば、トヨタも文句を言えない画期的なコンパクトカーを作ろうと「G計画」を始動、闘志を燃やすのがダイハツ工業というメーカーの面白いところで、1リッター3気筒エンジンを横置きした軽量FFコンパクトカーを開発、ついにトヨタにも販売を認めさせました。

まだトヨタでも作れない車で完全に出し抜くだけでなく、広くて効率的な車内、軽量でよく走る動力性能と満足度は高く、この初代シャレード以来の実績によって、現在のトヨタはエントリーモデル開発のほとんどをダイハツへ任せるようになっています。

タント(初代・2003年)

二番煎じから脱却して創造した、軽スーパーハイトワゴン第1号

ダイハツ タント(初代)

初代アルトに続く初代ミラ、初代ワゴンRに続く初代ムーヴと、当時の軽No.1メーカー、スズキの後追いで二番煎じに甘んじることが多かった、1980〜1990年代のダイハツ。

マジメなクルマづくりは常に評価されたものの、華がなく保守的、ごく少数の例外を除けば創造力に欠けていましたが、2003年に登場した初代タントは、初代ワゴンRから売れ筋だった軽トールワゴンよりハイルーフのスーパーハイトワゴンでユーザーの度肝を抜きました。

見慣れない超ハイルーフへの不安や、後席スライドドア化される前だったので、販売トップを奪うほどの大ヒットではありませんでしたが、子供が立って着替えられるほどの室内高や広い視界は「ファミリーカーに使える軽」と評判になり、軽自動車ブームに火がつきます。

今は後発のN-BOXやスペーシアに苦戦していますが、ダイハツにも独創的なクルマを作れると証明できた意義は、大きかったはずです。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

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執筆者プロフィール
兵藤 忠彦
兵藤 忠彦
1974年栃木県出身、走り屋上がりで全日本ジムカーナにもスポット参戦(5位入賞が最高)。自動車人では珍しいダイハツ派で、リーザTR-ZZやストーリアX4を経て現愛車は1989年式リーザ ケンドーンS。2015年よりライタ...
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