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70年の歴史!日本最古のブルドーザー「コマツG40ブルドーザー」とは?
世界初のブルドーザーはアメリカ生まれ

巨大な可動式ブレードで土を押しのけ、整地作業を人間の数百倍の効率で進めることができる建設機械、それがブルドーザーです。
ブルドーザーは1923年のアメリカ生まれですが、現在のブルドーザーの世界市場は、日本のコマツ(小松製作所)の製品が半分を占めています。もう半分は、ブルドーザーや戦車が走行に使う無限軌道(キャタピラ)を発明した、米国のキャタピラ社です。
現在でこそ世界中を席巻する日本のブルドーザーですが、第二次世界大戦前までは、日本においてブルドーザーはほとんど普及していませんでした。
そんな中、海軍からの発注で国産初のブルドーザーを開発したのがコマツだったのです。
コマツ G40ブルドーザー(小松1型均土機)の歴史
主要緒元
全長:3,760mm
全幅:1,800mm
全高:1,850mm
車両重量:5.5t
最大押均力:4.5t
7.6リッター 4サイクル水冷ガソリンエンジン
最高出力:50ps/900rpm
米軍驚異のメカニズム!恐るべきブルドーザー
太平洋戦争中の1942年、日本帝国海軍は占領したウェーク島において、米軍が放置していったブルドーザーを入手しました。
使用方法がわからずに困っていた所、米軍の捕虜が申し出て使い方を実演し、帝国海軍は驚愕することとなります。
それまで人力で数カ月かかって設営していた飛行場を、僅か数日で完成させたのです。
この時、米国製ブルドーザーの性能を目の当たりにした一将校は、「日本の敗北を確信した」と、後に回想しています。
ブルドーザーの重要性に気付いた海軍は、専門の調査団を現地に派遣し、ブルドーザーを日本に持ち帰りました。
この調査結果は、国産ブルドーザー開発の大きな礎となったのです。
超スピード開発!G40ブルドーザーの誕生
1942年、帝国海軍はブルドーザーの開発をコマツに発注しました。
国産初となるG40ブルドーザー(以下G40とする)の開発は、1942年12月から1943年1月までの一ヶ月間という、驚くべきスピードで行われました。
コマツが以前に開発した、G40型ガソリントラクターを車体に流用しているので、短期間での開発が可能だったのです。
既に信用性のある車体に、新開発の油圧式ブレードを装備したG40は現地からの評判も良く、終戦までに148台が製造され、各地で活躍しました。
以前は設営に二ヶ月かっていた飛行場も、G40を使えば3週間で設営できたといいます。
しかし、戦争末期には本来の用途での活躍機会も奪われ、装甲と機銃で武装して、敵陣に突っ込むといった武装車両として作戦に使われたりしました。
また、東南アジアをはじめとした当時の領土への輸送中に攻撃を受け、海の底に沈んだG40も少なくなかったそうです。
日本の誇り 帰ってきたG40ブルドーザー
戦争終結後、連合国軍に接収されたG40はその多くが解体処分されました。
しかし、中にはそのままの形で海中に投棄されたG40もいたのです。
ブルドーザーを海中投棄だなんて、今なら考えられない話ですね。
フィリピンの海に沈んでいたG40は戦後しばらくして、船の航行の邪魔になるという理由で引き揚げられます。
引き揚げられてそのままオーストラリアに渡ったG40は、幾度か持ち主を変えて、1961年にシドニー郊外の農場に落ち着きました。
その後1979年にコマツはG40を発見し、農場から買い取りました。
実に35年ぶりに生まれ故郷である日本に帰還したG40は、コマツのテクノセンターに展示されることとなり、2007年の8月、機械技術に関わる歴史的遺産として、G40は「機械遺産」に認定されました。
70年の歴史 機械遺産に会おう!
国産初のブルドーザー コマツ G40ブルドーザーはいかがでしたか?
戦争のために必要とされて生まれ、波乱万丈の人生を歩み、最後には文化遺産として後世に伝えられることとなったG40ブルドーザー。
この記事を読んで興味を持った方は、一度見に行ってみてはいかがでしょうか?
展示されているコマツテクノセンタは静岡県伊豆市に所在しています。
今年で73歳となるブルドーザーG40は、今も立派に佇んでいますから。
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- この記事の執筆者
- MOBY編集部 第4グループ