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ホンダが世界に躍進するきっかけとなった名車「シビックCVCC」
世界を驚かせたシビック CVCC

今やホンダの看板車種であるシビックがデビューしたのは、1972年の7月です。
「CIVIC」というのは、市民の、都市のという意味を持っている車名。マン・マキシマム(居住空間の十分な確保)や、ユーティリティー・ミニマム(効率の良いサイズや性能、さらに経済性)の思考を盛り込んだモデルです。
当時ではまだ珍しかった2ボックススタイルの台形ボディとなっており、また前輪駆動を採用することで、独自のスタイルを強調したモデルになりました。
この時点ではまだ、のちに世界規模で有名になるCVCCエンジンは積まれておらず、60PSのSOHC 1.2Lエンジンと、69PSのGLエンジンのみからのグレードで販売がスタートしました。
ホンダの4輪車市場でのあゆみ

1963年、バイクメーカーとして鳴らしたホンダは、スポーツトラックと言われた「T360」を皮切りに、4輪車の製造を開始し、翌年にはメキシコGPにてF1の優勝も果たしました。
その後、「S600」、「S800」と、いまでは語り継がれる名車の数々を生み出し、順風満帆に思えます。
四輪車事業が窮地に

しかし、70年代に入ると、最大のヒットを飛ばした「N360」に不具合が見つかり、満を持して送り出したはずのセダン「1300」の市場での評判が悪く、ホンダの四輪車開発はかつてない苦境に立たされることになりました。
マスキー法の制定

60年代の後半から、車の排ガスによる大気汚染が深刻な社会問題となっていました。
日本のみならず、自動車産業の大きな市場であるアメリカでも、排ガスの規制を求む世論の声が高まっていました。そんな中1970年12月、米議会で1つの法律が制定されます。大気浄化法(マスキー法)です。
このマスキー法は大気汚染の原因物質である一酸化炭素(CO)、炭化水素(HC)、窒素酸化物(NOx)を75年から段階的に10分の1以下に引き下げないと、自動車の販売を認めないというもので、世界一厳しい排ガス規制と呼ばれていました。
世界中の自動車メーカーはマスキー法が定める規制内容をクリアするのは不可能だと主張します。米自動車3大大手(ビッグ3)の猛烈なロビー活動もあって、マスキー法による規制はたびたび延期されました。
背水の陣で臨んだCVCC開発

マスキー法が制定される4ヶ月前の1970年8月、ホンダの創始者である本田宗一郎氏は集った技術者らを前に檄を飛ばしました。4輪自動車の最後発メーカーのホンダにとって、技術で他社と同一ラインに立つチャンスになるということを強調します。
ピンチをチャンスに変えよという宗一郎の号令のもと、排ガス規制に適したエンジンの開発がスタートしました。

ホンダが反転攻勢に躍り出るには、「マスキー法」をクリアする新型エンジンの開発が絶対の条件でした。
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従来型エンジンの問題点
車のエンジンというのは燃料と空気の混合気を燃焼室へ送り、その燃焼によってピストンを発動させる仕組みです。燃料が完全燃焼する混合気比率は、燃料1に対して空気が約15です。
燃料が濃い場合はパワーを発揮する代わり、不完全燃焼を起して有害物質を発生させ、逆に燃料が薄ければ、有害物質の発生は少ない一方、着火がしにくく、発動が悪くなるというジレンマを抱えていました。
エコなエンジンを目指すには、いかに薄い燃料でしっかりと起動するエンジンを開発するかがカギでした。
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主流だったマスキー法対策は
ホンダ以外の各自動車メーカーも、「マスキー法」対策としてさまざまな研究と開発に躍起になっていました。その多くが従来型のエンジンに、コンバータ(触媒)やサーマルリアクターなどの排ガス浄化装置を付随し、有害物質を後処理するもの。
しかし、どのメーカーもこの時点での技術力では、コンバータなどで「マスキー法」をクリアするのは困難な状況でした。
ホンダが出した答え 副燃焼室の設置
ホンダは当時ガソリン車にはなかった副燃焼室をエンジンに設け、ここでまず燃料と空気の混合気を着火させます。そして主燃焼室で点火しにくい混合気を、副燃焼室から発せられた強い炎によって燃焼させるという画期的なエンジンを開発しました。

これによりホンダは、有害物質の発生率を大幅に軽減させ、世界に先駆け、「マスキー法」をクリアした自動車メーカーとなりました。
世界ではじめて「マスキー法」をクリアしたシビック CVCC

シビックがこの世に生を受けて約1年半後の1973年12月、ついにCVCCを積んだシビックが販売されました。1974年から連続して4年間に渡り、米国EPAで燃費1位を達成するなど、低燃費で低公害であるという評判を集め、日本だけでなく米国でも人気を集めます。世界のベーシックカーへと大きく成長します。
かくしてホンダは、シビック CVCCで日本だけでなく、世界でも通用する自動車メーカーへと大躍進しました!シビック CVCCの成功は、日本車の輸出量を急拡大させ、1980年代には日本車の生産台数が世界一になりました。

シビック CVCCがもたらしたものは、デカくてゴツゴツしたいわゆるアメ車の時代に終焉を告げるだけでなく、今日までの燃費や環境性能に優れた車作りの礎を作ったと言えます。
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