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歴史に名を刻んだ「ダイハツシャレード」とは?デトマソ・ディーゼルモデルや中古車情報まで
目次
ダイハツ・シャレードってどんな車?
ダイハツ シャレード デ・トマソのCM
ダイハツ工業から生まれた1,000cc+αの排気量を持つコンパクトカー、それが「ダイハツ・シャレード」です。ボディタイプは2ボックスの3ドア&5ドアハッチバック(「ダイハツ・シャレードシアル」の名でセダンタイプも発売されています)で、搭載されているエンジンは100馬力の1,500ccと91馬力の1,300Lの2種類。
1983年モデルからは、ディーゼルセンジンも用意されています。展開されているグレードは以下のとおりです。
■ポゼ(ベーシックスタイル) 3ドア&5ドアハッチバック
■CX 5ドアハッチバック
■R-リミテッド 3ドア&5ドアハッチバック
手頃な価格とタフな造りを評価されているのが、このダイハツ・シャレードです。
続いて、シャレードを誕生させたダイハツ工業の歴史を見ていきましょう。
【ダイハツ・シャレード前史】ダイハツ工業の歴史

現在、ダイハツ工業はトヨタ自動車の子会社であり、日本で最も長い歴史を持つ量産車メーカーです。創立は古く1907年、大阪高等工業学校の研究者を中心に「発動機製造株式会社」として設立されました。当時、社名に「発動機製造」を冠するメーカーはいくつも存在し、顧客はどこで造った発動機なのかを認識する必要がありました。そこで、顧客側が同社の製品を区別するために「大阪の発動機」を縮めて「大発(ダイハツ)」としたことが、現在の社名の由来となっています。
1951年に「ダイハツ工業株式会社」へと商号変更、1967年にトヨタ自動車と業務提携を結びました。
1998年には同社がダイハツ工業株の過半数を取得したことから、連結子会社のトヨタグループとなります。そして記憶に新しい2016年8月、ダイハツ工業はダイハツブランドを残したまま、トヨタ自動車の完全子会社になりました。
【ダイハツ・シャレード前史】2つの会社をつなぐダイハツ・コンソルテ
1967年にトヨタ自動車と業務提携したダイハツ工業は、トヨタグループとなった最初の作品として「ダイハツ・コンソルテ」を誕生させました。
当時トヨタ自動車は700ccクラスの小型乗用車「トヨタ・パブリカ」で一定の成果をあげており、ダイハツ・コンソルテはそのOEMとしてボディを共有しています。
トヨタのボディにダイハツ製の1,000ccエンジンを搭載(のちにトヨタ製の1,200ccを追加)したコンソルテ(イタリア語で伴侶、提携の意味)はその名のとおりトヨタ自動車とダイハツ工業をつなぐ架け橋的存在となりましたが、大きなモデルチェンジのなかった同車は次第に陳腐化が進み、1977年に生産終了となります。
【ダイハツ・シャレードの歴史】ダイハツ・シャレードの誕生

出典 : https://ja.wikipedia.org/
1977年、「ダイハツ・シャレード」はダイハツ・コンソルテの販売終了を受け、後続車種として世に送り出されました。
駆動方式に前時代的なFRを採用していたコンソルテから一転、シャレードには、すでに欧州や日本市場のメジャースタイルになりつつあったFFが採用されます。そして、奇しくも第二次オイルショックによる省エネブームが巻き起こったことで、シャレードの低めの価格設定や燃費性能は高く評価されることになります。
「5平米カー」というキャッチコピーのもと日本における従来の大衆車とは異なるコンセプトを持って市場に乗り込んだシャレードは、ダイハツ工業が始まって以来の大成功を果たし、1978年にはカー・オブ・サ・イヤーを受賞しました。
【ダイハツ・シャレードの歴史】幻のダイハツ・シャレード・デ・トマソ
ダイハツ・シャレード・デ・トマソ1993年モデル

1981年、東京モーターショーで称賛を受けたコンパクトカーがありました。
それが「ダイハツ・シャレード・デ・トマソ」。欧州仕様の3ドアクーペを基にしたシャレードです。
当時ダイハツ工業とエンジン供給契約を結んでいたイタリアの自動車メーカー「デ・トマソ」によりチューンされ、内外装もこれまでのシャレードからは大きく印象を変えるものでした。
メディア向け試乗会の実施、良好な評価。シャレード・デ・トマソは市販化を期待されましたが、けっきょく生産が開始されることはありませんでした。
なお、1983年に行われるシャレード初のモデルチェンジではシャレード・デ・トマソの名を冠したターボモデルが発売されます。
【ダイハツ・シャレードの歴史】ダイハツ・シャレードの一新

1987年、ダイハツ・シャレードには2回目のモデルチェンジは施され、このタイミングで従来の都市郊外の若者向けのマーケティングを変更し都市部に住む若年層の取り込みを図ります。その思惑から、これまで重要視していた実用的なスタイルは捨て、ラテン風でおしゃれなスタイリングを採用しました。
この独特のスタイルはこれまでのコンパクトカーにはない斬新なものとして評価され、この4年後に登場するフランスの自動車メーカー・ルノーによる小型乗用車初代「ルノー・クリオ(日本名ルーテシア)」にも影響の跡が見られます。しかし、時代と共に大型車、高級車への関心が高まる中で、リッターカーの先駆者として市場を大きく動かしてきたシャビーのブランド力は、徐々に下降していきました。
【ダイハツ・シャレードの歴史】時代の移り変わりとシャレードの衰退

1993年、4代目に移行したダイハツ・シャレードは車体の大型化に伴い1,000ccを廃止。実質、リッターカーとは言えないものになりました。この4代目シャレードはバブル期に開発が進んでいたこともあり、インテリアの質感は高く、装備品とメカニズムを充実させた一方、販売価格も高めに設定されます。
価格に見合う性能とスタイルを持ち合わせた車ではありましたが、歴代モデルやライバル車と比較すると、全体的に中途半端な印象は否めませんでした。2000年、その2年前に発売されていた「日産ストーリア」に役割を引き継ぎ、国内におけるシャレードの歴史は幕を閉じます。
ダイハツ・シャレードの中古車価格は?

シンプルですっきりとしたデザインに手頃な価格、軽くて素直なハンドリングで1970年代後半から1980年代前半にかけて、人々の生活を支えてきたダイハツ・シャレード。コンパクトカーに人気の集まる現在、中古車市場ではその評価が再考されています。
現代へつなぐダイハツ・シャレードの功績
今回は大衆向け小型乗用車「ダイハツ・シャレード」の歴史と中古車価格を紹介しました。誕生から衰退まで、まるで人間の生涯を見ているような歴史でしたね。大衆車であるという特徴も手伝い、とても親近感の湧く車です。
現代の省エネブームを、画期的な技術により先駆けて実践したダイハツ・シャレード。
現在のダイハツ工業、そしてトヨタ自動車の実績の最大の功労者と言っても過言ではないでしょう。
コンパクトカーが人気の昨今ですが、一昔前のコンパクトカーに目を向けてみるのもおもしろいかもしれません。
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