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【自動車の歴史】フォルクスワーゲンの歴史、ルーツと車種の特徴を知ろう!

第二次大戦を経て、世界の「ビートル」へ!

終戦直後のフォルクスワーゲン工場

ヒトラーの「一家に一台」のスローガンとは裏腹に第二次世界大戦中はほとんど軍用車としての生産のみにとどまってしまったビートル。しかし大戦終了後、連合軍の占領下におかれるも、2つの幸運がワーゲンビートルの発展を促していきます。

戦後のフォルクスワーゲンにとって1つ目の幸運は連合軍占領下にありながら、英陸軍少佐アイヴァン・ハーストの管理下におかれたことです。彼はフォルクスワーゲンの将来性を見抜き、短期間で生産体制を整備、1947年ハノーバーで開催された国際貿易フェアへの出品を皮切りに、フォルクスワーゲンの自動車の輸出を開始します。

2つ目の幸運は、ハースト少佐とは逆に英・米メーカー調査団は、フォルクスワーゲンの技術的合理性・進歩性を理解できず、「評価に値しない車」と判断したことです。この結果、フォルクスワーゲンは解体や戦後賠償に伴う没収を免れドイツ民族系企業として晴れて真の復興を遂げることとなったのです。

フォルクスワーゲン・タイプ1(通称:ビートル)

ビートルは、1945年に「タイプ1」に車名が変更された後、アメリカをはじめとする全世界に輸出され、4WD車の「世界最多量産記録」である「約2153万台」に達します。おそらくモデルチェンジなしの1車種の4WD車においては今後もこの記録は破られないだろうといわれています。

フォルクスワーゲン・タイプ2(通称:ワーゲンバス)

1950年には「フォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)」をベースに開発されたキャブオーバーワンボックス車である「フォルクスワーゲン・タイプ2」が新たに加わります。

他にも貨物仕様の「フォルクスワーゲン・タイプ2 トランスポーター」、多人数乗用仕様の「フォルクスワーゲン・タイプ2 クラインバス」、座席の取り外しが可能な乗用・貨物兼用のフォルクスワーゲン・タイプ2 コンビ」、後部がトラックタイプのフォルクスワーゲン・タイプ2 ピックアップ」があり、現在でも国産軽自動車をタイプ2仕様に改造したデザインが出回るなど根強い人気があります。

1968年当時のVWオールラインナップ

「タイプ1(ビートル)」と「タイプ2」は、フォルクスワーゲン社のの主力モデルとして販売台数を伸ばしていきました。その後、「タイプ3」や「タイプ4」等も販売され、1968年には派生モデルを含めて8車種が生産されていました。

タイプ1(ビートル)は1970年代となると時代遅れ感が強くなっていましたが、その後も世界中で普及が進み、2003年7月までメキシコの向上で生産されます。

丸い「ビートル」から四角い「ゴルフ」へ世代交代

フォルクスワーゲン・ゴルフ初代Ⅰ17型

一世を風靡したビートルも、「空冷式エンジン」技術が古くなっていくのと同時に1960年代後半には低迷期を迎えていました。そこで待望の後継車として1974年に開発されたのが、「水冷式直列四気筒エンジン」を横置きにした前輪駆動型のハッチバック車「ゴルフ」でした。

イタリア人工業デザイナー「ジョルジェット・ジウジアーノ」が手がけたデザインはコンパクトながらも余裕のある室内空間を実現し、世界的ヒットとなり約680万台が生産されます。車名はドイツ語で「メキシコ湾流」を意味する「デア・ゴルフシュトローム」から名付けられました。

「ゴルフ」は「タイプ1(ビートル)」の後継車として、高い期待が寄せられていましたが、その信頼性の高い駆動システム、優れたスペース効率、特徴的なデザインによって、「ビートル」から始まったサクセスストーリをうまく継続することに成功。

結果として、累計生産台数においてビートルの記録を抜き、2013年時点で累計生産台数は3,000万を超えています。

フォルクスワーゲン・ゴルフ 40thエディション

現行モデルまで7代のモデルチェンジを経て、1975年の日本への輸入開始からちょうど40年にあたる今年、2016年は40周年記念モデルが276万円で発売されています。

なお、フォルクスワーゲン「ゴルフ」は、現在までで累計生産台数は3,000万台を超えており、7世代目である現行の「ゴルフ」は、2013年6月で発売開始され、2013-2014年に外国車として初めて、「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞しました。

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