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【F1レーサーの死亡事故】その原因と事故後に活かされた安全対策とレギュレーション変更

F1グランプリ レーサーの死亡事故動画

クラッシュ

1950年から続くF1グランプリは、70年近い歴史を持つ世界最高峰の自動車レース選手権です。
その歴史は同時に、数々の名ドライバーが命を散らしていった悲しい歴史でもあります。
死亡事故のいくつかは、映像として記録され、現在まで残っています。

誰もがその名を知っている伝説のレーサーを含む、この世を去ったF1ドライバー達の最後の瞬間を、YouTubeで視聴できるものの中から、事故後の対応や安全対策とレギュレーション変更など今のF1に活かされたエピソードを紹介します。

まだ記憶に新しい:ジュール・ビアンキ 2014年

まだ記憶に新しい2014年10月5日、鈴鹿サーキットで行われた日本GPで事故は起きました。
レース終盤、降り続く雨に足元をすくわれたビアンキのマシンは、別のマシンの撤去作業中だった重機の後部に潜るような形で追突してしまいました。救急車で四日市市の三重県立総合医療センターへ搬送され緊急手術が行われましたが、9カ月に渡る昏睡状態の後、ビアンキは息を引き取りました。
原因は折からの雨によりマシンにハイドロプレーニング現象が発生し、制御不能になったことでした。またビアンキが追い越し禁止を示すイエローフラッグが振られていたにもかかわらずスピードを出しすぎていたことも、FIA(国際自動車連盟)が行った事故調査の結果判明しました。
ビアンキの死後、FIAはバーチャルセーフティカーの導入を決定しました。これは仮想のセーフティカー出動コンディションを導入するもので、導入中はドライバーは指定された制限速度に従って減速する事が義務付けられました。
享年25歳、将来はフェラーリのドライバーを有望された若者に突然訪れた早すぎる死。もしも彼が存命なら、今頃F1の人気を牽引するトップドライバーになっていたでしょう。

初期のF1に安全対策の重要性を教えてくれた:ビル・ブコビッチ 1955年

次は、今から60年あまり前にさかのぼって、1955年5月30日、F1選手権の1戦として開催された、インディ500レースでのこと。
それまでインディ500で2度勝利を挙げ、3連覇がかかっていたアメリカ人レーサー、ビル・ブコビッチはトップ走行中に他のマシンに接触、コースの外にまで飛び出す大クラッシュを演じてしまいます。
映像には、マシンが回転しながら観客席の方へ突っ込む、生々しい様子が映っています。
当時のF1はまだシートベルトすらなかったため、即死でした。
ちなみに、インディ500で2連覇したドライバーは彼を含め5人しかおらず、3連覇はいまだに誰も達成していません。
ビル・ブコビッチの死後、F1に安全対策を盛り込む声が強まりました。この時に撒かれた種が、F1での死亡事故の減少という大きな実を結んだのです。
ビル・ブコビッチに哀悼の意を捧げます。

シートベルトがあれば防げた死:ヴォルフガング・トリップス 1961年

1961年9月10日、フェラーリに乗りシーズンをリードしていたヴォルフガング・フォン・トリップスは、シーズンの佳境に入った第7戦イタリアGPでポールポジションを獲得、タイトル獲得に向けて勢いに乗っていました。
ところが2週目にロータスのジム・クラークと接触事故を起こし、観客のいる土手に乗り上げてしまいます。この当時もまだシートベルトはなく、彼はコックピットから投げ出されて即死、また観客14名も巻き込まれて死亡するという、大惨事が起きました。
このレースで優勝したチームメイトのフィル・ヒルがこの年のチャンピオンになりましたが、この事故によるトリップスの死を知り、人目もはばからず号泣したと言われています。
F1で6点式シートベルトが義務付けられるようになったのは、この事故から11年も経過した1972年となります。もしもこの時にシートベルト着用が義務付けられていれば、彼の死亡は防げたかもしれません。

F1死亡事故動画4:ロレンツォ・バンディーニ 1967年

フェラーリのエースドライバーだったロレンツォ・バンディーニ。彼の輝かしいキャリアは、1967年のモナコGPで幕を閉じます。
トップを追う2番手走行中の88週目、難所のヌーベル・シケインでクラッシュ、映像にあるように彼のマシンは一瞬で炎に包まれました。
この時マーシャルたちが防火服を脱いでいたこと、さらに鎮火直前に報道ヘリが近づきすぎたために再度炎上するなど消火活動に時間がかかってしまい、病院に運ばれましたが3日後に死亡してしまいました。
6年間フェラーリに在籍しながら、一度もチャンピオンになることなくこの世を去った悲劇のレーサーです。
しかしロレンツォ・バンディーニの死から3年後の1971年に、コックピットの設計をドライバーが5秒以内に脱出できるようにしなければならないと規約が改正されました。彼は現代のF1の安全性の向上に大きな影響を与えた人物と言えるでしょう。

F1史上最も悲しい事故:ロジャー・ウイリアムソン 1973年

記録に残るF1レーサー死亡映像の中で、恐らく最も悲しいものでしょう。1973年7月29日、彼のデビュー2戦目となったオランダGP決勝の8週目で悲劇に見舞われます。
パンクが原因でガードレールにクラッシュし、横転した直後に火災が発生してしまったのです。それを見た、チームメイトのデビッド・パーレイがただひとり、レースをやめて救助に駆け寄ります。パーレイは助け出そうとしますがレースは続行されたままだったため、他のマシンは走り続けていて止まるものはいませんでした。その結果、ウィリアムソンは焼死してしまいました。
この時に自分の身の危険を顧みずに救出を試みたパーレイに称賛の声が集まり、後にイギリス政府からジョージ勲章が授与されました。反対にクラッシュの時にレースを中断していれば助かっていた可能性があったこと、消火の対応の遅さからレースの主催者に大変な非難の声が上がりました。
この事故の後に、F1コースにはセーフティウォールを設置することが義務付けられました。下の動画を見ていただければ、その効果の高さがよく分かるでしょう。彼はF1の安全性の向上に大変大きな貢献を果たしてくれたのです。

スターターの不手際が招いた悲劇:ロニー・ピーターソン 1977年

壮絶なクラッシュでした。
1978年9月10日、モンツァサーキットで行われたイタリアGP。
満員の観衆の前でスタート直後に、ピーターソンを含む、10台ものマシンが絡む多重クラッシュが発生します。事故直後は彼の意識ははっきりとしていました。ところが、運ばれた病院の治療が悪く、様態が悪化。翌11日に脂肪塞栓症のため亡くなります。
事故の原因はフォーメーションラップが停止する前にスターターがグリッドの状況を確認せずにスタートを切ってしまったことでした、さらに救急車が到着するまで10分もかかったことにも非難の声が多く上がりました。
この事故を教訓として「オフィシャルスターター制度」が導入され、それまでサーキットの関係者が切っていたスターターをFIAの安全委員がスターターを切る方式に変更されました。またスターティンググリッドも改善され、それまで横に広がっていたグリッドを縦2列交互に並べる方式に変更されました。
彼はチャンピオンこそなかったものの、参戦9年で優勝10回ポールポジション11回を誇り、70年代最速のドライバーと言われます。亡くなって40年が経つ今もなお、ジル・ヴィルヌーヴと並んで人々に語り継がれる伝説のレーサーです。

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マーシャルに巻き込まれた:トム・プライス 1977年

あまりにも不運なアクシデントでした。
1977年3月5日、南アフリカGPの決勝中、トム・プライスのチームメイト、レンツォ・ゾルジがエンジントラブルに見舞われ、コース脇にマシンを止めます。直後にそのマシンから炎が上がったため、消火器を手にしたマーシャル2名が、反対側からコースを横切り、駆け寄ってきました。そこへ通りがかったプライスは、マーシャル1人をはね、マーシャルが持っていた消火器が顔面を直撃。プライスと、はねられたマーシャルはともに即死してしまい、アクセルが踏まれたままの彼のマシンはガードレールに突っ込むまで、270km/hでホームストレートを暴走しました。
原因は不慣れなマーシャルが不用意にコースを横切ったことが原因でした。

カナダのサーキットに今も:ジル・ヴィルヌーヴ 1982年

伝説のドライバー、ジル・ヴィルヌーヴ。
マシンを華麗にドリフトさせながら操り、時に限界を超えながら、激しくもフェアなバトルを繰り広げた彼のドライビングは、ファンの記憶に今なお鮮明に焼き付いているでしょう。
そんなジルの人生は、1982年5月8日、ゾルダーで行われたベルギーGPの予選中に、突如幕を閉じてしまいます。
チームメイトのピローニと激しいポール争いを繰り広げていたジルは、予選タイムアタック中にアタックを終えてスロー走行であったRAMマーチのヨッヘン・マスにクラッシュし、シートごとマシンから投げ出されて死亡しました。
彼の死から15年経った1997シーズン、彼の愛息子、ジャック・ヴィルヌーヴが、父の果たせなかったF1チャンピオン獲得を果たしました。
ジル・ヴィルヌーヴの没後、彼が初勝利を遂げたイル・ノートルダム・サーキットはその功績を讃えてジル・ヴィルヌーヴ・サーキットと改名されました。今もなおカナダGPはこのコースで開催されています。カナダGP が開催される度に、カナダの人々のみならず世界の人々がジル・ヴィルヌーヴを思い出すのです。

執筆者プロフィール
MOBY編集部 カー用品チーム
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