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【自動車メーカーの歴史】トヨタ自動車の歴史、ルーツと車種の特徴を知ろう!

75年の長い歴史を持ち、今でも成長を続けているトヨタ自動車。世界的に認められる大企業となったトヨタ自動車は歴史とは一体どのようなものなのでしょうか。ここではトヨタ自動車の歴史を紹介していきます。

トヨタ自動車75年の歴史を振り返る

トヨタの歴史の始まり、トヨタグループ館

トヨタグループの発祥の地に立っているトヨタグループ館は、実は1925年に建設された旧豊田紡織(株)本社事務所を建設当時の状態に修復したものだそうです。
豊田紡織株式会社が、現在のトヨタ自動車の前身となっています。
豊田紡織株式会社を立ち上げた豊田佐吉氏、そのモノづくりの考え方を引き継ぎながら車事業を展開していった喜一郎氏のゆかりの品や資料などを展示しています。

機織り事業を始めたトヨタの創始者、豊田佐吉

トヨタグループの創業者である豊田喜一郎氏は父親である豊田佐吉氏の精神に大きな影響を受け、受け継いだ事業を基盤として、自動車業界へ進出し、今日のトヨタグループとなりました。

それでは創業者の父親である、豊田佐吉氏、一体どんな人物だったのかというと、企業家であるというよりは発明家だったそうです。

佐吉氏は新しい日本の礎を象徴するかのように徳永慶喜が大政奉還をした日に生まれ、
明治時代に100万部を売り上げたベストセラー「西国立志編」(1870年刊)を愛読し、紡績機械や動力織機などの繊維機械を考案した発明家の記述に大きな影響を受け、向学心が高まったそうです。
当時の日本の新時代を象徴するような若者ですね。

大人になった、1885年4月に発明の奨励とその保護をする「専売特許条例」が公布されたことに
強い関心を持ち、織機の発明を志すことにし、

佐吉さんは家業の大工仕事を手伝いつつ「バッタン付き高機」の改良を思い立ち
「織機」を発明し1890年に見事特許を取得したそうです。

ちなみにですが日本の特許第一号が船の船底塗料(さび止め)、
アメリカの特許第一号が鉄道車輪(鉄道のすべり止め)だそうです。

佐吉は、1870年発刊の『西国立志編』に大いに啓発された。同書は、静岡学問所の教授である中村正直がサミュエル・スマイルスの『SELF HELP』を翻訳したもので、100万部以上売れた明治期のベストセラーである。同書には、紡績機械や動力織機などの繊維機械を考案した発明家についての記述があり、佐吉の向学心を高めたという。さらに、1885年4月には「専売特許条例」が公布され、発明の奨励とその保護が打ち出された。佐吉は、これに強い関心を持ち、織機の発明を志すきっかけになったと伝えられている。

出典:http://goo.gl/

すでにトヨタ生産方式の礎があった

佐吉氏が目指していたのは、動力で作動する動力織機の開発でした。
なんでも、佐吉氏のお母様が昼は農作業をしながら、夜は機織りをする生活だったそうで、その機織り仕事を少しでも楽にしたいという思いから開発を志したそうです。
そして、ただ自動化するだけではなくて、「出来上がりの品質の良さを維持できる」こと、「手直しによる損失を防ぐ」というコンセプトを持ちながら開発し、異常発生時に織り機が自動停止するようにしたそうです。
おかげで、「豊田式汽力織機」は織り出す綿布の質が高く、一定であると評価され、注目されたました。

この佐吉氏の自動化と品質に関する考え方がトヨタ式生産方式の礎となったそうです。

また、佐吉氏の思想で自動化された「織機」がそのまま、トヨタ生産方式の自動化に活かされています。

異常が発生した場合、織機を自動停止して、品質不良や手直しによる損失などを防ぐ発想であり、豊田佐吉の設計思想は、「自働化」の起源として現在のトヨタ生産方式に生きているのである。

出典:https://www.toyota.co.jp/

豊田式織機株式会社の設立から常務取締役辞任まで

出典:https://en.wikipedia.org/

39年式織機を開発した佐吉氏でしたが、この開発結果により安く自動で布を織れることとなり、加えて時代の流れが味方し受注が増え、株式会社化しないことには、織機の生産をまかなえなくなりました。
そのことから、事業に協力してくれた三井物産藤野支店長の推奨もあり、断るに断れず、1907年2月、名古屋市島崎町に資本金100万円の豊田式織機株式会社を設立しました。

社長は大阪合同紡績の谷口房蔵が勤めまていた一方、豊田佐吉さんは、常務取締役を務めるも、
元来の研究家気質どおり、研究に専念していたそうです。
そんな豊田佐吉さんと会社経営陣で意見の食い違いがはじまり、「発明ばかりだから会社の成績が上がらない」と辞任を促され、頭に来た佐吉氏はそのまま辞任をしたそう。

開発陣と経営陣の対立、なんとも今の社会でもありそうな対立ですね。

結局谷口社長から「会社の成績が挙がらないのは発明や試験のため、社員の気がそちらへばかり奪われる結果だと思ふ。ついては豊田君気の毒だが君は辞職して貰ひ度いのだ」との事に翁は腹に据へ兼ねたのであらう、席を蹴って自宅へ帰ると、直ちに辞職の手続きをとった。

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欧米視察から帰国後に豊田紡織株式会社の設立

出典:https://www.toyota.co.jp/

しかし、佐吉氏はその後もそれにめげることなく辞職した直後に米欧視察旅行に行き研究がいかに大切かを再認識しながら、新たに豊田紡織株式会社を設立し、綿製品の製造、販売に注力をしました。
その後、数年のうちに第1世界大戦時の特需もあり、アジア、アメリカ、イギリスにまで綿製品を輸出する大会社になりました。
このころから品質を上げるための研究、開発には余念がなかったようです。

それにしても、会社を辞任後に即アメリカに行き、研究の大切さを視察してくるとはすごいバイタリティーですね、、、。
このバイタリティーがトヨタ自動車が世界的企業となった所以かもしれませんね。
この豊田紡織株式会社が今のトヨタ自動車をはじめとするトヨタグループの礎となりました。

1914年7月に第1次世界大戦が勃発すると、事情は一変した。イギリスをはじめとする交戦国の綿紡績は、軍需産業への転換によって生産力が低下したうえ、戦時下の船腹不足や航路不安などにより、ヨーロッパからのアジア向け綿製品輸出が途絶したのである。日本の綿業界は、それにかわってアジアに進出するとともに、イギリスやアメリカへも綿製品を輸出するようになり、空前の活況を呈した。

出典:https://goo.gl/

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