ルマンで優勝した唯一の日本車マツダ787Bとは?伝説のマシンの感動の歴史を振り返る

1991年ル・マン24時間耐久レースにて優勝した唯一の日本車・マツダ787B。 マツダ787Bが、なぜ未だに語り継がれる伝説のような車であるのか? その歴史的偉業と今を綴ってみたいと思います。

マツダ787Bとはどんな車?

出典:http://www.notey.com/blogs/rotary

日本車で唯一のル・マン24時間レース覇者

マツダ787Bは、マツダがル・マン24時間レースの参戦の為に製作し市販車をベースとしないプロトタイプレーシングカーであり、1991年に総合優勝した日本車です。
2016年現在、歴代ル・マン参戦の日本車で唯一の優勝車でもあります。
実は2種類(787と787B)マシンがあり、基本型となる787は最高速重視のセッティングであり、787Bはコーナーリング重視のセッティングとされたコンセプトの違う二種体制の内の1台です。

654ccのロータリーエンジンを4基搭載(2,616cc)の可変吸気機構の自然吸気、レシプロエンジンが主流の中で唯一のロータリーエンジン優勝車でもあります。
787Bのエンジン形式名は、R26B。
Rはレーシング用、26は総排気量から、Bはローターとハウジングの寸法が基本となる13Bエンジンからの由来。
13B系エンジンは市販車ではマツダ・アンフィニRX-7(FC3S・FD3S)やRX-8にも引き継がれた名機であり、市販車オーナーはエンジンが同系ルーツとして787Bに敬意と誇りを持っています。

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出典:http://autokult.pl/12549,mazda-787b-1991-historia-motorsportu

マツダ787B主要諸元

■シャシー:ケブラーカーボンファイバーコンポジット・モノコック
■サスペンション(前):ダブルウィッシュボーン・プルロッド式インボード、ビルシュタイン製スプリングダンパー
■サスペンション(後):ダブルウィッシュボーン・トップロッカー式インボード、スプリングダンパー

■全長:4,782mm
■全幅:1,994mm
■全高:1,003mm
■トレッド:1,530/1,450mm (787)、1,534/1,504mm (787B)
■ホイールベース:2,640mm (787)2,662mm (787B)

■エンジン:マツダ R26B 2,616cc 4ローター 自然吸気、縦置きミッドシップ
■トランスミッション:ポルシェ(962C流用・装着変更)5速 マニュアル
■重量:830 kg (1831 lb)
■燃料:出光
■タイヤ:ダンロップ 300-640×18/355-710×18 (275-620×17/330-700×17)

ル・マン24時間レースとは?

出典:http://revistacarrosemotores.com/8090-2/

ル・マン24時間レースとは、1923年に始まりフランス中部のル・マン市の一般道路と競技専用のブガッティ・サーキットを使った複合コース、サルトサーキットで行われる耐久レースです。

F1モナコグランプリとアメリカのインディ500と並んで「世界三大レース」の一つと呼ばれています。
24時間をレーシングスピードで走り続ける事での過酷性も大きく自動車として耐久性と信頼性も試される、モータースポーツ界でのステイタスも高いレースです。

1991年、背水の陣。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%BB787

日本メーカーへ嫌がらせ?

実は当時、耐久レースの実績を積み大きなレースでの優勝の可能性が出てきたマツダや日本メーカーに対して嫌がらせとも取れる数々のレギュレーション変更が行われました。
日本のバブル期でもあり、数々の日本自動車メーカーもレースに参戦して成績を上げ、ヨーロッパ圏への驚異があったと思われます。

マツダはロータリーエンジンを1970年から他チームに提供し、その後市販車の改造マシンで参戦し、少しづつ実積を重ね総合優勝を狙える757、767、787と参戦し続けていました。
マツダは、日本メーカー最古のル・マン参戦メーカーでもあった訳です。

そしてついに、上記に記載したレギュレーション変更により、ロータリーエンジンの使用が1990年までで禁止となる決定がくだされました。
しかし幸いにして多数のメーカーが1991年以降のプロトタイプカーの新規格に対応出来なかった為に、1991年までロータリーエンジンでの参戦が認められることとなります。

マツダ787B最後のレース

特別処置にて、これが最後のロータリーエンジンでの参戦となり、マツダ参戦も最後とも言われていました。
まさにラストチャンス。背水の陣でル・マン24時間レースに787Bが2台(18号車と55号車)と787が1台(56号車)体制での参戦となったのです。

マツダワークスカラーの787B・18号車のドライバーは、デイブ・ケネディ、ステファン・ヨハンソン、マウリシオ・サンドロ・サラの三人です。
アパレル企業レナウンのチャージカラーの787B・55号車のドライバーは、フォルカー・ヴァイドラー、ジョニー・ハーバート、ベルトラン・ガショーの三人です。

787Bの当時ライバルチーム

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/1991_24_Hours_of_Le_Mans

マツダ787Bに立ち塞がる、総合優勝を狙うライバルチームは大きく3チームありました。
1989年に総合優勝しているメルセデス(5,000ccV8気筒ターボ)3台体制、実はこのときF1デビュー前のミハエル・シューマッハもドライバーとして参戦していました。
他2チームは、1988年・1990年総合優勝のジャガー(7,400ccV12気筒)3台体制、1981年~1987年まで7連勝のポルシェ(3,250cc水平対向6気筒ターボ)は大量のエントリーです。

対するマツダはベースとなったマツダ767の630馬力から800馬力へアップさせたエンジン(実際はトランスミッション維持の為に700馬力にセーブ)、ル・マンに参戦するプロトタイプレーシングカーで初のカーボンブレーキを採用、最多優勝の実績と信頼のあるポルシェ製トランスミッションを搭載し必勝態勢で挑みました。

ロータリーエンジンでの最初で最後の優勝を狙っての挑戦がはじまったのです。

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