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【車人#04】カーデザイナー・中山 雅「デザインは目的を果たすための手段 」

自動車産業で活躍する人"をMOBYでは『車人(くるまんちゅ)』と呼びスポットを当て、色々な角度、視点、立場から“自動車”に迫ります。今回は“カーデザイナー”の中山 雅氏に、現在に至るまで車業界で活躍してきた、その経験をお伺いします。

車人(くるまんちゅ)とは

日本の自動車関連産業の就業人口は約550万人と、就業人口全体の約一割。

そんな自動車産業で活躍する人々をMOBYでは『車人(くるまんちゅ)』と呼び、彼らの人生観をさまざまな視点から紐解く。車と生きることを決めた車人の生き様と、未だ見ぬ“クルマの世界”をのぞいてみよう。

【車人#04】カーデザイナー・中山雅

第4回のゲストは、マツダ株式会社でカーデザインに携わる中山 雅(なかやま まさし)氏。

1989年のマツダ入社後、デザイン本部でデミオやRX-8などのデザインを手掛け、2009年に初代CX-5のチーフデザイナーとなる。

そして2016年からは、4代目ロードスター(ND型)の開発主査兼チーフデザイナーに就任。同年、自身が責任者として手がけたロードスターは、自動車賞における最高の栄誉「2016ワールドカー・オブ・ザ・イヤー」を、加えて最もデザインが優れていた車に贈られる「2016ワールド・カー・デザイン・オブ・ザ・イヤー」も受賞した。

中山氏はプライベートでも初代ロードスターと4代目ロードスターを所有するなど、ロードスターへの愛が深い人物。

カーデザイナーへの一歩

子供の頃から車が好きだったという中山氏だが、彼はいつ、どのような経緯でマツダに入社したのだろうか。

「高校卒業後、デザイナーを目指して美術系の大学に入りました。入学当初は、どの会社が良いとか、どのジャンルに進みたいとかは決めていなかったんです。大学3年生のときに、車業界に進むことを決めました。まあ、子供の頃から "車に関する仕事がいいな" と、心のどこかで考えていたんですけど」

「僕は1965年生まれなんですけど、小学校3年生のときにスポーツカーブームがあったんです。当時一番好きだったのは、ロータス ヨーロッパ。あと、ランボルギーニ ミウラもかっこよかったですね。それこそ、同世代はみんなハマったんじゃないかな」

「車雑誌にはスーパーカーの特異なボディーレイアウトなど透視図が掲載されていて、そこで基本的な車の構造を学びました。もし、スーパーカーブームが無かったら、車の構造がどうなっているかなんて興味なかったと思うんです。子供の頃は、夢中でスーパーカーの絵を描きましたね」

そう目を輝かしながら語る中山氏。車好きが手伝って、絵を描くことも好きになったのだ。

しかしながらスポーツカーブーム以前より、車に好意は寄せていた。

「僕が生まれた65年頃の広島山間部では、マイカーを持っている家庭が少なく、走っている車といえば軽トラくらいなものでした」

「うちの親は車好きというわけではなかったんですが、自動車雑誌の『月刊自家用車』を毎月読んでいた。我が家の愛車はスバル 360(通称:てんとう虫)とか……いま考えると凄いんですが、2年に1回は車を買い換える家庭だったんです。父親は車を大切にしていて、僕が車に乗るときもステップ部分を靴で踏まないようにするなど、愛着を持っていました」

「そんな家庭環境で育ったので、自然と車に興味を抱くようになったんです。親の影響は偉大ですね」

「今って、子供が生まれたらミニバンを買う、みたいな流れがありますよね。僕からすると、『いやいや、赤ちゃんにミニバンはいらないでしょ。ある程度大きくなってから』と思うんです。というのもミニバンのように移動メインの車だと、子供からすると『車はただの移動手段』という認識になってしまいます。バスとか電車とか、いわゆる公共機関みたいにね」

「だけど、自家用車は個人の所有物。本来すごく大事にするし、死ぬほど愛するもの。親が車を好きだったら、子供も車好きになるんじゃないかな。そうやって、どんどん連鎖すればいいんじゃないかなって思います」

「例えば、うちの大学院生になる子供は2代目ロードスター(NB型)に乗っているんですけど、彼が生まれる前から初代ロードスター(NA型)が家にあった。生まれてすぐに助手席に乗せるとか、僕が車を溺愛している様子を知っている。なので、彼も車を好きになってくれた。そういう意味で、親の影響というか、責任は大きいと思いますね」


自身と父親、そして自身と息子。"車好きのDNA”は、確実に受け継がれているようだ。

インタビュー中も絵を描きながら説明する中山氏

「デザイナーの軌跡として、祖父からの手助けもありました。祖父は僕が車の絵を描くために、参考となる本を買ってくれたんです。本を読むのは嫌いでしたが、熟読しましたね。車の絵はこうやって描くんだっていう基本を学んだ。バイブルです」


家庭環境からますます車を描くことが楽しくなった中山氏。11歳で、転機が訪れる。

「11歳のとき、自動車雑誌『月刊自家用車』の巻末にあるイラストコーナーに応募したんです。そのときはマツダのサバンナだったかを描いて、それが運良く入選してたんですよ」

驚くことに、小学生には才能を発揮していたという。さぞかし図工や美術の成績が良かったのでは?

「小学校の図工ではあんまり先生に褒められなかったんです。『あなたの絵は綺麗すぎる。もっと汚く描け』と言われていた。なに言ってんだこの先生は?と、子供ながらに思いましたね(笑)」

「良い例えかわからないでけど、画家のピカソはすごい写実的な絵が描けますよね。だからこそ、崩した絵も得意なんです。基礎を分かった上で汚い絵を描くのと、汚い絵しか描けない人は別。形を正確に捉えることが、デッサンの基本ですから」

マツダを選んだ決め手

中山氏は1989年4月にマツダ株式会社へ入社する。


「僕がマツダに入社したころ、ピュアなスポーツカー(スポーツカー専用設計)は、マツダしか作っていなかったはず。もともと、スポーツカーのデザインをやりたかったので、これはマツダしかないなと」

「生まれが広島ということもあり、常にマツダに触れる機会がありましたし、実際マツダ以外は入社試験を受けなかった。マツダがつくるスポーツカーも好きだったし、初代コスモスポーツのデザインも理屈抜きでかっこいいと思ってた」

彼がマツダへ入社する直前には、シカゴオートショーにて初代ロードスター(NA型)が発表されている。中山氏は、ロードスターを見た瞬間に「これは、買う。そして一生持っているな」と直感したという。

数ある自動車メーカーの中で、マツダを選んだ理由は"心底惚れていたから"ということだ。

マツダのデザイナーとしての歩み

中山氏のスケッチをもとに制作した「デザイナーの流れ」

入社後の仕事内容については、「これは絵に描いたほうがわかりやすいですね」と、おもむろに紙とペンを取り出す。

「上軸を『ADVANCE(コンセプトモデル)』、下軸を『PRODUCTION(市販車モデル)』。左軸を『インテリア』、右軸を『エクステリア』としましょう」

「たぶん、車のデザイナー希望って、みんなコンセプトモデルの『エクステリア』をやりたいんですよ。モータショーでお披露目されるなど、一般的な華々しいデザイナーのイメージがそこなのです。そう考えると、量産車のインテリアは真逆で、地味な世界です」

「それで僕が最初にデザインを担当したのが、その地味な量産車モデルの『インテリア』だったんです。何代目かは忘れましたが、ファミリアの室内スイッチを担当させてもらった。スイッチ一つから、きちんと設計図を起こして、デザインしていましたよ」

マツダ ボンゴは登竜門 ?

マツダ ボンゴバン(現行モデル)

「でね、日の当たらない作業だと思われがちですが、僕はインテリアから始めてよかったと、本気で思っているんです。インテリアには部品がたくさんあるから、独り立ちが早いといいますか、最初からある程度任せてもらえるんですよ。『おい、ここのボタンのデザイン作ってくれ』みたいに。でもエクステリアだと大きなパーツが多くて、親方の横にいる弟子みたいに、ずっと見て学ぶ感じが続くんです」

「最終的にチーフデザイナーをやるためには全てを経験しなければいけませんが、どこからスタートするかは重要かなと。スタートのポイントを間違えると、その人にとって必ずしも麗しい歩みにはならないかもしれない。僕もコンセプトモデルの『エクステリア』から始めていたら、その領域から抜け出せなかったかもしれません。きっと『おれって偉いんだ』って、天下でもとった気がしちゃって」


中山氏はファミリアを皮切りに、カペラ、ボンゴ、RX-8、3代目ロードスター(NC型)、CX-5(初代)、ロードスター(ND型)・ロードスターRFと、名車に携わっていく。

マツダのスポーツカー担当となる人物は、ボンゴのデザインが登竜門なのだとか。

「ボンゴは機能的な車で、ロードスターとは真逆に思われるかもしれませんが、ボンゴのエクステリアデザインに対する考え方はロードスターのそれと同じです。必要な機能や装備があって、それを実現するためにデザインを行うんです」

「僕は、上手くデザイン部の流れに乗れたことと、ボンゴを担当できたことで、理想的なデザイナーキャリアを歩めたと思っています」と、当時を振り返った。

真のカーデザイナーとは?

「モータショーとかに出展されるショーモデルって、極端に言ってしまえば、人が乗れようが乗れまいがいいんですよ。エンジンが入るスペースすら、なくていい。でもカーデザイナーは基本的に量産車をデザインしているので、実用的じゃないといけない。たくさん制限がある中で、きちんとした"形"をデザインするのが、プロのデザイナーだと思うんです」

「野球で例えるならば、速い球を投げる人はたくさんいるかもしれないけど、速い球をストライクゾーンに投げられるのがプロ。カーデザインでも、実際に量産できて、かつカッコいいデザインが描けてこそ、真のカーデザイナーですよね」


「そういう意味でも、昔のランボルギーニ・ミウラをデザインした人はすごいですよ。あれはショーモデルではなく、実際に量産している車ですから。車の構造をよく理解したうえでデザインしているなと。もしかしたら、今のデザイナーは車の構造をよく知らずにデザインしてるかもしれないですね。そうすると量産車モデルになるには、ちょっと先が長くなるかもしれません」

マツダの魂動デザイン

マツダは、独自のデザインを『魂動デザイン』と称しているが、それはどんなものなのだろうか。

「『魂動デザイン』は、最初から明確な考えがあったわけではなくて、徐々に行き着いた答えなんです。そもそも、答えがある上でデザインってできない。誰かに『魂動デザインはこうだ』と言われてつくるのであれば、それはデザイナーが行うべき仕事じゃないんです」


「例えば"ギラギラ加飾があるようなデザインではない"と最初に決めていたとしても、デザイナーにはもっとモヤっとした課題が与えられるわけです。それを解決する手段を、デザインとして考える。デザインは目的を果たす手段なんです」


「お陰様でいつも『魂動デザインは今後どうなるのか』といった質問をいただくのですが、情報統制ではなく、本当に『わかりません』としかお答えできないです。マツダは世界の3箇所にデザインスタジオがあります。そしてデザイナーは常に、新しいアイディアやデザインを生んでいます。この瞬間にもどこかで『魂動デザイン』が誕生しているかもしれないので、今はわからないとしか言えないんですよね」


中山氏の発する言葉一つ一つに、デザインの本質が垣間見れた。

中山氏にとっての【仕事】とは

ロードスター取材会にて

「寝ているとき以外は仕事に明け暮れている。それくらい、仕事をしている時間が圧倒的に多い人生です。だけど僕は、子供のころの夢が叶ったから苦じゃないです」

「社会に出ると学生のころにあった1ヶ月の夏休みが、良くて1週間になるとか、嘘みたいですよね。それを定年まで続けるというのは、中々すごいことです。そういうこともふまえて、僕にとっての仕事とは、『長時間一緒に過ごすために納得できるものじゃないといけない』。そうじゃないと、死ぬ間際にいい人生だったって思えないはずです」

「若者の車離れ」について

若者の車離れについては、「若者からしたら大きなお世話かもしれませんが」と前置きした上で、自身の見解を語った。

「昔の若者は、車にくっつきたがったんですよ。車が大好きで、一時も離れたくないとかね。そこでいうと現代って、"離れたくなくなる車を作れていない"というのが、大きな問題かと。それから我々世代が、あーだこーだ言いすぎている気がしますね。反省です」

「今の子には、できるだけ自由に車に乗って欲しいですし、そういう環境を整えてあげたいと思いますよね。元々スポーツもプレイといいますか、遊びの要素が必須じゃないですか。車を乗る若者にも、自由に乗りこなせる権利をあげたいです」

中山氏にとって【自分】とは

「あんまり考えたことがないんですけど、あえてキャッチーな言い方をするのであれば『意外とわがまま』ですね(笑)」

「実家がお寺なのですが、"情けは人の為ならず"という教えがありまして。『情けをかけることはその人のためにならない』と誤解されがちですが、本当の意味は『情けを人にかけておくと、巡り巡って自分に返ってくる』というもの。つまり、『情けは人のためじゃなくて、自分のためなんですよ』という戦略的な考えなんです。そういう意味で、打算的な考えが"わがまま"に繋がるかもしれない」

他人に対して親切にする。それが自分にも返ってきた結果、みんな幸せになる。

中山氏は、「初代ロードスターのキャッチコピーは『誰もが幸せになる』だった。みんなが幸せになる車が、ロードスターなんです」と笑いながら締めくくる。中山氏が歩むデザイナーの道は、柔軟なアイディアと課題解決力、そして愛にあふれている。

中山氏が開発主査を努めているロードスターのサイトはこちら

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