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具志堅用高×メルセデスベンツ E550アヴァンギャルド:Vol.2「昭和30年代の沖縄」MOBYクルマバナシ

車は人生をともに過ごす仲間。”その車“にはどんな想いが詰まっているのだろう――。日本を代表する伝説のプロボクサーとして知られ、現在はスポーツ出身タレントのパイオニアとして日々活躍する具志堅用高さん。そんな類いまれな人生を歩む中で、さまざまな出会いや思い出があったはず。メルセデス・ベンツ Eクラスを所有している具志堅用高さんに、車にまつわるエピソードや愛車の魅力について語っていただく“MOBYクルマバナシ”第2話。

【Profile】具志堅用高1955年6月26日生まれ。沖縄県石垣島出身。
1974年にプロボクサーとなり、9戦目にしてWBA世界ライトフライ級王者ファン・ホセ・グスマンに挑戦し、見事KO勝ちし世界チャンピオンの座を手にする。その後も防衛を続けると世界王座連続13度防衛を達成、日本記録を樹立した。しかし1981年、14度目の防衛戦に失敗すると現役を引退。現在は白井・具志堅スポーツジムの会長として選手育成に励む一方、スポーツ出身タレントとして数多くのテレビ番組で活躍している。
今回お持ちいただいた愛車はメルセデス・ベンツE550アヴァンギャルド。

Vol.2「昭和30年代の沖縄」

現役時代にはさまざまな誘惑があったと思うのですが、それでもボクシングに打ち込み続けられた要因はなんですか?

たくさん防衛したい、記録に挑戦したい、あとはモテたいってところかな(笑)。防衛する度に楽しみが増えるって思うと、負けられないんですよ。

本格的にボクシングが楽しくなったのは、世界チャンピオンになってからですね。精神的に辛いけど、それもまた良いんです。

世界チャンピオンになってようやくですか?

そうですよ。それまではおもしろくないんだもん。辛いだけ。でもね、世界チャンピオンになったら辛いなんて感じないの。 “注目されてる”っていうのが、なんだか燃えるんだよな。

もちろん試合前になると恐怖感がでてくるんだけど、それでも「勝てば遊べる!」って頑張れた。そういうご褒美があったから、本当に楽しかったですよ。

具志堅さんが現役時代に車を運転されなかった一方で、最近はスーパーカーを購入されるボクサーの方もいらっしゃいます。その点についてはどう思われますか?

世界チャンピオンになったら大体のものが手に入る。オレもそういう時があった。だから、最近の若い人達は賢いし、欲しかったら買ってもいいんじゃないかな。今はジムの会長もそんなにうるさくないしね。昔だったらとんでもないよ。コーチがとにかく怖くて、顔を見るのもためらったんだ。

コーチが厳しかったのですね。

恐ろしいよ。「俺の言うことを絶対に聞け!」「俺に『いいえ』と言うな!」って。だけどそういう人達はもう世代交代して、そんなに残ってないんじゃないかな。

具志堅さんはいまも厳しく指導されているんですか?

「選手を守る」っていうことを、第一に考えてますね。若い選手はいつどこに走っていくか分からないから。安全に練習ができるような環境というか、練習をサボらないような環境を作らないと、ころっと負けますよ。どんなに強い選手でもちょっとリズムが狂ったら、調整が遅れてすぐやられちゃう。

アメリカでもそうですよ。本当に強い一流の選手が、取り巻きが悪いせいで簡単に負けちゃうじゃん。何十億って手に入った金をばらまいて遊んだりするから。しかもそんな大金がまた一試合で手に入るから。

でもね、その誘惑に勝つために、練習を続けなきゃいけないんですよ。

他に指導面で気をつけていることはありますか?

やっぱり食事面は大事。ちゃんと良いものを摂らないとね。若い子のなかにはバイトしながらジムに通ってる子も多くて、お金も時間も限られてるから、こっちが気を遣ってあげないと。できるだけ肉類を食べさせてあげるとか。大事な時期なら、風邪一回引いただけでもで終わっちゃうからね。うちは選手の調子が悪いとか、顔色が優れないなと思ったら、すぐに帰らせますから。事故が起こったら大変だから「帰って休め」って。

具志堅さんが風邪を引かれたときにも同じようにされていたんですか?

オレは風邪ひいたことないもん。

ご自身で体調管理に気をつけていたのですね。

そう。ただ花粉症とか、アレルギーとか、それぞれ体質があるからね。オレにもアレルギーがあって、寒くなると鼻がポロポロ垂れるんだよ。そこは気遣ってたな。

昔から、冷たいのがダメなんだよね。だから、どこに行っても絶対にクーラーはかけないんですよ。なので家にいる時は相当調整しますね。汗かいて暑いなってくらいがちょうど良いの。車でも絶対クーラーなんかかけない。かけたら寒くて運転できないよ。みんな暑い暑いって言うけど、本当につけない(笑)。他人の車でもタクシーでも「クーラー弱くして」って言います。

選手時代から、体調管理には人一倍気を遣っているのですね。

そう。沖縄にいた頃から真夏が大好き。自然の風が一番気持ち良いんだよね。木陰にいる時とか最高。

具志堅さんがまだ石垣島で暮らされていた頃のお話をお聞きしたいと思います。当時の交通事情はどういったものでしたか?

オレが中学生だった頃はまだアメリカの支配下にあって、領事館とかありましたから。小さな島だから、車なんか走らないよね。車を持ってる家は、大変なお金持ちの家ですよ。

道路はしっかりと整備されていましたか?

でこぼこ。馬車だよ、馬車。農家の人はみんな馬車だった。田植えには水牛を使うような時代だからね。でも1年に1回くらいかな、遠足でバスに乗る機会があったんですよ。

それは小学生時代ですか?

うん。バスに乗ってみんなでどこか行くなんて、一番の楽しみだったよ。

あとは自転車。高校に受かったら新しい自転車買ってもらうのが、どこの家も条件なの。それまでは自転車にもなかなか乗れないですよ。誰かの自転車を借りるとかね。

まだ自転車もあまり普及していなかったんですね。

そうですよ。オートバイなんて乗ってる人がいたらすごい。役所とか、そういう所には車があったんですけどね。

石垣島は台風が多いもんで、大波で海岸にいろんなものが寄せられてくるんだよ。タイヤとか、壊れた自転車のパーツとか、草履とか。風速50mとか60mくらいの台風がしょっちゅう。すごいんだよ。

で、そういう流れ着いたガラクタを組み立て直して、自分たちでイチから自転車を作るんですよ。近くのお兄ちゃんに手伝ってもらいながらね。昭和30年代って、本当にそんな時代でしたよ。

石垣島にいた頃は車に憧れを抱いたりをしていましたか?

乗りたいと思っても乗れないんだよ、ないんだから。それよりか自転車だったよね。自転車で朝から出かけて、何時間もかけて遠くまで行って、夜帰ってくる。

自転車を手にして、行動範囲が広がったのですね。

あとは近所の同級生の家の馬車に乗るとかね。東南アジアよく見るような光景が、昭和30年代には広がっていた。パイナップルとか、さとうきびとか、青々しててね。自給自足みたいな。そういう風景が、目に焼き付いていますね。

石垣島でお気に入りだったことは何ですか?

釣り。海岸から手作りした竹の釣り竿に針金を付けて。石垣島って、立派で綺麗な船がいっぱいあるんだ。チャーターして釣りに行ったりね。釣れますよ、でっかいの。

何が釣れますか?

ブダイとか、ヒラメとか、ああいう感じの。ちょっと行けばカツオが釣れるし。刺身にすると美味しいんだよね。沖縄の夏は楽しいよ。

具志堅さんは中学校卒業後、沖縄本島にある高校に進学されたんですよね。石垣島との違いはありましたか?

高校からは那覇にある学校に通ったんだけど、すごい都会だったよね。車もバイクも多くてさ。学校までバスで通ってた。

那覇には車も多かったんですか?

多かったし、全部外車だよ、アメ車。当時はサンダーバードとかジープとかに、アメリカ人が乗ってた。全部左ハンドルで。実際にサンダーバードに乗せてもらったこともあった。物価も安くて、100ドルなんていったら大金だった。車も買えたんじゃないかな?

当時の那覇は、まるで外国みたいな風景でしたよ。

現役時代からボクシングに対して誰よりもストイックに打ち込み、現在は選手の健康を第一に指導されているという具志堅用高さん。一方で、地元・沖縄のお話になるとたくさんの思い出深いエピソードを語ってくださいました。具志堅さんの、強さと優しさがうかがえます。

次回、5月5日公開の第3話では、具志堅さんの現在のカーライフについてお伺いします。お楽しみに。

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Vol.3「心が弱いと、パンチを恐がる」

取材:田神洋子、米永豪、三浦眞嗣
撮影:HIROYUKI KONDOH
文:米永豪

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