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フラワーカンパニーズ×トヨタ ハイエース:Vol.3「“生きててよかった”と思う夜」MOBY連載インタビュー

車は人生をともに過ごす仲間。“その車”にはどんな想いが詰まっているのだろう――。全国を機材車・ハイエースで移動しながらライブ活動を行う「“日本一のライブバンド” フラワーカンパニーズ」。現在の“愛車”の走行距離は400,000km超……実に地球約10周分にも及びます。今回は、代表曲『深夜高速』にまつわるエピソードや、年間100本ものライブをこなしていた頃の思い出などを語っていただきました!

【Profile】フラワーカンパニーズ名古屋が生んだ“日本一のライブバンド”フラワーカンパニーズ。通称フラカン。Vocal:鈴木圭介(左)、Bass:グレートマエカワ(右)、Guitar:竹安堅一、Drums:ミスター小西の4人組。1989年に地元の同級生によって結成され、95年メジャーデビュー。“自らライブを届けに行く事”をモットーに活動、大型フェスから小さなライブハウスまで......メンバー自ら機材車に乗り込みハンドルを握り、日本全国津々浦々でライブを展開。2017年に自主レーベル「チキン・スキン・レコード」を新たに立ち上げ、ニューアルバム『ROLL ON 48』をリリース。現在でもバンドの“愛車”ハイエースを操り、精力的にライブ活動を行っている。

フラワーカンパニーズ×MOBY連載インタビュー
前回までのインタビューはこちら:
Vol.1「機材車とともに歩んだ28年」
Vol.2「青春の思い出の車たち」

Vol.3:“生きててよかった”と思う夜

フラワーカンパニーズ MOBYスペシャルインタビュー

初代ハイエースに乗られていた頃......第一期のメジャー時代の活動についてお伺いします。ライブ会場が大きくなるにつれて戸惑いを感じていたそうですが、それはなぜだったのでしょうか?

鈴木:今の若いバンドはどう言われているのかわからないですけど、僕らくらいの世代でよく言われていたんですよ、「スタンディングのライブハウスから指定席のホールに移った時に、コケるか上手くいくかがその後の明暗を左右する」って。

マエカワ:大物になっていくバンドはそこで上手くいくってね。俺らはそのトラップに引っ かかった......(笑)。

鈴木:そうそう。コケ側ですよね。

マエカワ:やっぱライブハウスって、人と人の距離が近いじゃん。それがホールになると、椅子があって冷静なムードになるよね。それに対処できなかった。あとはホール独特の「なり」に戸惑いを感じてたと思う。俺らも面白いなんて思ったことなかったけど、そこは事務所だったり、制作の方針でやってましたね。

鈴木:「赤坂ブリッツ2Daysのあとは渋公ね!」って、言われるままに。ホールに行かないっていう選択肢は、僕らには全く無かったですよね。「そうなんだ、次はホールなんだ」 と。

当時と今とではマネジメントが異なっていたのですね。

マエカワ:もちろんそう。自分たちも若いし、流れに乗って行けばいいと思ってたし、こだわりがあったわけでもないし。 ただやってみたらお客さんもそこまで増えなかったし、自分たちのいいところを出せてないなと思った。その辺りの、最初の暗雲が立ち込めたのが99年頃。

メンバーの皆様もファンの皆様も、ガラリと空気が変わった事を感じていたのでしょうか?

鈴木マエカワ:感じてたと思う。

鈴木:今みたいにSNSもないのでお客さんの意見をそんなに聞けなかったんですけど、今の時代であの感じだったら、ものすごい事になってたと思いますよ。お客さんから相当、罵詈雑言が書かれてたんじゃないですかね。

2001年にはメジャーから離れ、自分たちでライブを作っていく活動スタイルに移行されましたが、事務所との契約終了後も続けて行こうと思われた原動力はなんでしたか?

マエカワ:その時は32歳くらいか。音楽以外の事をやるっていう選択肢がなかったんだと思うなぁ。

鈴木:そもそもバンドしかやってなかったわけですから。他に趣味があればそっち行ったんでしょうけど、みんな何も無かったという。

マエカワ:それで人を雇うとお金かかるから、「一回4人でどこまでできるかやってみようか」ってツアーを始めた。ツアーを4人だけで回るっていうのはもう、名古屋にいたときの92年〜93年のとき以来。その時もローディーはいたから、本当の「4人だけ」っていうのはほとんどなかったけど。

不安でしたか?

マエカワ:まあ、楽しみだったってことはない。4人のテンションはさて置き、人気がなくなって、お客さんが入らなくなったのを目の当たりにしてたから。

鈴木:会場がどんどん小さくなっていく。同じ会場でもお客さんが10分の1になっちゃったりね。

そこから少しずつお客さんが増えてきて、どんどん評価も上がっていったわけですが、実際にその手応えを感じたようなエピソードはありますか?

フラワーカンパニーズ MOBYスペシャルインタビュー

マエカワ:ライブで地方に行ったりすると、メディアの方が観に来てくれるんですよ。3〜4年関わりのなかった方達から「フラカン元気で良かったよ」「観たかったのになんで来なかったの?」って言われて、「やっぱりライブやらんとダメだな」って思いましたね。 例え会場のお客さんが少なくても、「待ってました!」っていうのが伝わるんですよ。「俺らまだ、期待されてるんだ」って。俺らを求めてる人はこんだけおるんだって気がついたら、純粋にテンション上がるじゃないですか。「あ、また来なきゃな」っていう風に。

鈴木:逆にホールの時は気づかなかったんですよね、遠すぎちゃって。あの頃は、それこそ新幹線とか街とかでしかお客さんと触れ合うことも無かったので。

マエカワ:仕切り直した1回目のツアーで「あ、期待されてんだ」って喜んで、「ここからまた始まるんだ」って確信したのは2回目のツアーでしたね。「まだフラカンやってんだ」っていうのがちょっとずつ、ほんのちょっと、噂で広がってる感があって。

2000年代前半といえば、音楽的にもメディアがCDから変わるときで、いろいろと変革の時代でしたよね。

マエカワ:そう、そうよね。CDとかも売れなくなってきた時期だし、いろんなことが変わって......俺らがメジャーに出た95年〜96年の音楽バブルのころとはまったく変わってきてた。当時はミリオン連発だったからね。ま、ただ俺らはそこに関係なくやってたから。ツアーをやってアルバムを作るだけっていう。だからどこか客観視していた部分はあるかもしれない。ただ2000年代前半から中盤は、ここ頑張らんとっていう気持ちがすごい多かったと思う。「ここを乗り切らんと次が見えんぞ」って。

フラワーカンパニーズさんの代表曲といえばやはり『深夜高速』だと思うのですが、この曲が誕生したきっかけをお伺いしたいです。

フラワーカンパニーズ MOBYスペシャルインタビュー

鈴木:『深夜高速』を作った当時、移動で夜走りすることが多かったんですよね。ライブが終わったらもう次の会場に、って。その経験をもとに、アメリカのバンドとかでよくあるツアーソングみたいなものを作ろうと思って作った曲です。

歌詞にある「生きていてよかった」と思えるような夜はありますか?

鈴木:ありますよ! 一回もなかったら、ちょっとさすがにきつい(笑)。

マエカワ:48年生きててな! なかったら辛いわ(笑)。

鈴木:だけど「生きててよかった」のハードルはかなり下がります。「今日はこの程度でいいだろう」っていう。なのでまあ、そんな夜も僕は人より少ないかもしれないです。

「生きていてよかった」、と思う夜が?

鈴木:そうそう。楽しみベタっていうか。悪い方に悪い方に考える思考が強いから、なんかこう、一個損してるというかね。 みんな、割とお酒でストレス解消することって多いじゃないですか? 「酒がうまかったし、いっか!」みたいな。だけど僕、お酒を飲まないし、打ち上げもほとんど出てないので、発散する機会があんまりないですね。それになんとなく、一人でいるときって「生きててよかった」って思うことあんまりないじゃないですか? 「うわー、生きててよかったわー、今日楽しいわー」って。よっぽど面白いテレビ番組があれば別ですけど(笑)。

マエカワ:でも、それはまたちょっと違うからな。テレビは......楽しいのもあるだろうけど、それはハードル低すぎだわ(笑)。

鈴木:「生きててよかった」って思えるのって、人間関係とかじゃないですか。喜びの、喜び。

マエカワ:だからすごくよかったライブのときとか、そこまで思わんのや?

鈴木:あ、うーん......。すごいよかったライブは、体感してるその場で消えるんですよね。 持ち越さない、消えちゃうんですよ、ホテルに帰っちゃったらリセット。もう次のライブのこととか考えちゃうんですよ。

マエカワ:そうか。寝るまでじゃないんだね。

なんだか鳥肌が立っちゃいました。ストイックというか。

鈴木:ホテルの扉をカチャって閉めた瞬間に真顔ですよ。もう、すぐ寝る時間計算して、お風呂にお湯をバーっと。うがい手洗いして、次の日着る服出したりとか、そういうことをやりだす。ライブは、その瞬間だけなんですよね。やってるか、もしくは終わった瞬間。

マエカワ:まあね、一番大きなのはそこだね。

ライブが終わった瞬間に、「生きていてよかった」と。

マエカワ:良いときの、ね。ちょっと調子悪かったとか、ちょっと間違いが多かったとか、 お客さんをノらせれなかった、MCがいまいち噛み合わんかった......っていうライブと、まあまあそれが全部うまくいったときのライブでは、終わったあとの「あー、よかったわ」が違うもん。

鈴木:うん、ぜんぜん違う。

『深夜高速』が世に出た頃のフラワーカンパニーズさんは、年間100本と一番ライブをされていましたね。

鈴木:100本やりましたね。

マエカワ:偶然にも、100本ちょうどが4年くらい続いたね。

3日に一度のライブ......驚異的なペースだと思うのですが、肉体的にも精神的にも「つらい、キツイな」と感じることはありませんでしたか?

マエカワ:いま考えたら多く入れすぎだったかもしれない、うん。鈴木の喉だけ心配しながら。

ライブそのものだけではなく、機材の搬入・搬出や移動も大変だったのでは?

鈴木:もちろんそれもね。

マエカワ:あの時はまだ若かったよね。30代のときはそこまで移動がキツくはなかった。 昔は「なるべく車で行かせてくれ」って事務所に言ってたけど、今は新幹線の方が楽(笑)。

鈴木:今はもうさすがに、長時間の車移動は辛いよね。

マエカワ:腰にきたりね。年齢ですね。でも例えば名古屋とか3〜4時間でいける距離だったら、車の方が楽だからって結局車になるけど。昔は事務所から「新幹線か飛行機で」って言われてたな......。

鈴木:車は事故とか渋滞とかで入り時間に遅れるかもしれないからって止められてたんですよ。でも新幹線だと乗り換えやら待ち時間やら、逆にめんどくさかったりするでしょ。

マエカワ:飛行機は1時間くらい前に行かなきゃダメとかね。そういうのが割と嫌だったか ら、バスで移動したときもあったね。メンバーもスタッフも機材も全部載せて、ツアーをやった。あれは面白かった。

鈴木さんは新幹線に乗ると具合が悪くなる、というエピソードがありましたよね。

鈴木:僕が20代の頃、いわゆる「追っかけ」のお客さんが数人いたわけですよ。車だとその場で去るんで楽なんですど、新幹線に乗る時はどこで調べたのか駅のホームで張っててくれて、喋りかけてきたりするわけですよ。 大物バンドになるとガードマンが止めてくれるんですけど、僕らくらいのレベルだと、普通に「写真を取ってくれ」と言われる。でも周りの人達は僕らのことなんか知らないですから、「あれ誰?」「しらねーよ」って聞こえてくるの。そういうのが恥ずかしかった (笑)。

『深夜高速』発表当時のフラワーカンパニーズと機材車。当時は「日産・キャラバン」だったそうです。




バンドの代表曲『深夜高速』が誕生したいきさつや、“生きててて良かった”と思う瞬間など、ファンにとって堪らないエピソードを語ってくださったマエカワさんと鈴木さん。数々の苦難を乗り越えてきたというお二人でしたが、そのお話をされている時の顔は笑顔にあふれていました。

次回9月26日(火)公開のスペシャルインタビュー第4弾では、現在載られている機材車ハイエースや、"雨バンド”と噂されるフラワーカンパニーズさんの真相に迫ります!

フラワーカンパニーズ ニューアルバム情報!

フラワーカンパニーズ公式サイトはこちら!フラワーカンパニーズ Official Site

取材:朽木一輝、田神洋子、宇野智
撮影:市川晶
文:朽木一輝、田神洋子

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